真莉と遥と藍 24





 結局、藍に出来ることはなかった。能力を使い、その結果倒れた真莉を小牧遥と同時に受け止めて、そして芹菜が電話を掛ける声を聞いていただけ。
 真莉があんな行動を取った理由も、後から人伝に聞いただけだ。
(組織、か……)
 歩きながら溜息を吐く。異能者であっても、藍はどこかの家系と因縁があるわけではないし、異能者によって作られた組織と関わっていたわけでもない。ある意味では、異能者であると同時に一般人でもあるのだ。
 だから、真莉の抱えていたものに気付けなかった。想像すら、出来なかったのだ。
 廊下を歩いていると、時折ひととすれ違う。彼らに会釈しながら歩を進め、襖の前で足を止める。
 あの日、真莉が倒れた後に芹菜が連絡を取ったのは雛と翔だった。ほとんど何も分かっていない組織の壊滅を招いたのは真莉で、内情に詳しいはずの彼女は倒れた。彼女と一緒にいた小牧遥も組織の内情を知っているはずだが、情報を得たところで出来ることはない。そう判断した芹菜は、翔に頼んだ。
 月森真莉と、小牧遥の保護。そして、彼女たちが関わっていた組織の調査。
 襖を開ける。部屋の中央よりも少し奥に敷かれた布団と、目を開けることのない真莉。そして、その横に座って彼女を見つめる小牧遥が藍の視界に入る。
 藍が襖を開けたことに気付いて、彼は顔を上げる。小さく頭を下げ、襖を閉める藍に向かって彼は呟く。
「今日もですか」
「そういう小牧も。真莉、どうだ?」
「いつも通りですよ。変化なしです」
 そっか、と呟き、真莉を見る。
 彼女が能力を使って倒れたのは三ヶ月前だ。十月の中旬から、一月上旬までの間に、真莉は一度も目を開けない。倒れた理由は能力の使いすぎで、本来なら数時間で回復するにも拘らず彼女は目を覚まさない。その理由を、翔が呟いていた。
『起きたくないんだろうな。調べた限り、月森真莉の過去はいいものじゃない』
 小さく溜息を吐く。それに気付いた遥が視線を動かして藍を見た。
「どうなってるんですか、真莉の扱い」
「聞いてないのか?」
「事の中心にいる部外者ですから。情報制限でもされてるんじゃないかってぐらい、俺に情報入ってきませんよ」
 だから、知ってるなら言ってください、と彼が呟く。事の中心にいる部外者と自分自身で言った彼の立場は、確かに複雑だ。
 俺もそんなに情報持ってないんだけどな、と前置きしてから、藍は遥に向けて語る。
「とりあえず、真莉は『柚木』が保護。小牧もそうだな。で、組織の方だけど真莉のあれで幹部とか、そういう立場だったやつはいなくなった。で、出雲昴は……どさくさに紛れて逃走中。まぁ、近い内に見つかるだろうって話」
「……ほんとに情報ないんですね」
「俺も部外者だからな。必要最低限、突っかかれば面倒臭そうに教えてもらえるぐらいだ。小牧、一つ聞いていいか?」
「どうぞ。答えれるなら答えますよ」
 藍から視線を剥がし、真莉を見ながら彼は言う。血の繋がりがあるが故に藍が知りたいと思っている情報を持っていると信じて、藍は問う。
「真莉の能力って何だったんだ?」
 問うと、遥は顔を上げた。藍を見て、面倒なこと聞きますね、と顔を歪めた彼は一度息を吐く。
「俺だって詳しい仕組みは知りません。昔真莉本人から聞いた限り、破壊か分解、そのどちらかだと思います。無機物であろうが有機物であろうが、真莉が壊すという意思を持ったものなら、全て対象です」
 遥の説明を聞きながら、真莉の能力はおそらく前者だろうなと考える。あの日、藍が見た限り洋館の壁や床であった物は分解されたというよりも破壊されたという外見だった。それと同時に雛から聞いた話を思い出して、藍は首を振る。
『基本的に異能って人間に対して力を持たないの。人間すら対象になる能力は本人への負担が大きいから』
 例外は発火能力ぐらいかな、と彼女は付け足していた。眠ったままの真莉を見ながら、起きたくないんじゃなくて起きれないのかもしれない、と言って。
 眠ったままの真莉を見て、いつ起きるんだろうな、と呟くと起きたくなったら起きるんじゃないですか、と遥が呟く。そんな風に静かに時間を消費していると、唐突に襖が開いた。中で眠っている人間がいても気にせず、ごく普通に襖が開かれる。
 座ったまま、視線を上に向ける。それで、襖を開けたのが芹菜だと分かった。
「成瀬、どうしたんだ?」
「あんたたち呼びに来たのよ。もうお昼。姉さんが落ち込むわよ、お昼作ったのにって」
「もうそんな時間か?」
 立ち上がり、部屋の隅のテーブルの上の時計を見る。確かに、昼食時だ。
「別に、あんたたちがここに来て見守ってたら起きるってわけじゃないんだし、時間ぐらい見て動きなさいよ。それに、姉さんとか翔さんとかに言われてるでしょ? 家にいる間は家のルール守れって」
「そういえばそんなこと言われたな。成瀬、長谷部は?」
「もう向こうにいるわよ。小牧、あんたもさっさと立ちなさい」
 言われ、座ったままだった遥も立ち上がる。真莉を見て、ほんの一瞬泣き出しそうな顔になった彼は首を振り、息を吐く。
「いつまで冬休みなんですか、あなたたち」
「あと三日。だから、明日か明後日には向こうに帰るわよ。朝霧、あんたどうするの?」
「明後日に帰る。成瀬と長谷部は?」
「相談中。隼斗がさっさと帰りたいって言ってるし、明日帰るかもしれないわね」
 私はどっちでもいいんだけど、と言いながら彼女は居間に向かって歩く。その後ろをついていきながら、藍は遥を見る。
「小牧はどうするんだ?」
「真莉が起きるまでいますよ。最初からそう言ってますし」
「学校はいいのか?」
 問うと、彼は眉を寄せた。何言ってるんですか、と言って、遥は吐き捨てる。
「人質だったやつが呑気に高校に通えると思ってるんですか? どれだけおめでたい頭してるんだ」
「…………そこまで言うか」
「言いますね。あなたと話してると異能者らしくない理由が分かりますよ」
「まぁ、俺は家系に関係ないし、その辺りの違いはあるんだろうな」
 そもそも、藍は人外が視えて霊を寄せ付けるだけだ。人外が視えるのは能力で、霊を寄せ付けるのは体質。異能者としては人間に直接的な害がない代わりに、自分自身でも制御できないという迷惑を抱えている。異能者云々と言うよりも、ただの特異体質だと思ってしまう時もあるのだ。
 不意に、芹菜が振り返る。藍と、遥。二人を見て、彼女は口を開いた。
「脆弱な精神で能力を揮うことは赦されない、って聞いたことある?」
「雛から聞いたことあるような気がする」
「俺はないですね。『柚木』の教えか何かですか?」
 遥の言葉に芹菜は首を傾げる。まぁ、そうと言えばそうなんだけど、と呟いて彼女は首の角度を戻す。
「この言葉に納得出来るのが異能者で、出来ないのが異能者じゃないやつ。そういう風に考えればいいんじゃないの? 少なくとも、私はこの言葉に納得出来ない異能者なんて認めない」
「……傲慢ですね」
 遥が呟いた言葉に、芹菜は笑う。どう言われても気にしないわよ、と囁いた彼女は居間の襖を開ける。
「姉さん、朝霧と小牧呼んで来た」
「ありがと。ご飯とお味噌汁入れてくるから、もうちょっと待ってて」
 言いながら、彼女は居間を出て行く。先に居間にいた隼斗は襖の傍に立ったままの藍と遥を見て首を傾げる。
「さっさと座れば?」
「そうする。何かだらけてないか、お前」
「そりゃ、実家だし。実家で気張り続けたくないよ」
 だから俺はだらけるんだよ、と言って隼斗は急須からお茶を淹れる。人数分の湯飲みに緑茶を注いで配り、彼は息を吐く。
「朝霧、いつ帰る?」
「明後日。長谷部は?」
「相談中。多分、明日だと思うけど。雛ー、いつ帰んの?」
 問われ、人数分の茶碗と味噌汁を運んで来た雛は立ち止まる。いつって、と小さく呟いて、彼女は全員にご飯を配る。
「まぁ、もうしばらくここにいるつもり。私まで帰っちゃったら、月森さんが起きた時に困るし…………うん、最低でも起きるまでは残るかな」
「翔さんはいいの?」
 隼斗に問われ、雛は頷く。味噌汁を配りながら、彼女は言う。
「大丈夫。心配なら週一回見に行って」
「面倒だから断るよ、それ」
「そうでしょうね。芹菜、そこのふりかけ取って」
「これ?」
 差し出されたふりかけを受け取り、雛は「これ以外置いてた?」と首を傾げる。ふりかけの隣に海苔置いてあったの、と呟いて、芹菜は湯飲みを持ち上げる。
「で、全員集合してるの? してないの?」
「してるわね。お昼食べよっか」
 いただきます、と言って両手を合わせた雛に倣い、食事を始める。冬休みに入ってから食べ続けているにも拘らず未だに小さな違和感のある味付けに、藍は呟く。
「味薄くないか?」
「普通よ、普通。朝霧だけでしょ、そう思うの」
 芹菜に言われ、藍は視線を動かす。隣に座っている遥に声をかけても、彼は首を振る。
「普通ですね」
「……俺だけか」
 疎外感を覚えて言うと、雛が笑う。薄味だからね、と笑って、彼女は味噌汁に口をつける。
「濃いの苦手なのよ、私。だから、ちょっと薄いかもしれない」
「しょっちゅう高野豆腐が出てくるのは?」
「私の好み。あと、芹菜と隼斗?」
 確か好きよね、と話を振られ、二人は頷く。味噌汁を飲む芹菜の代わりのように、隼斗が口を開いた。
「まぁ、あと二、三日だし、我慢すれば? ていうか、まだ慣れてなかったほうに驚くよ」
 冬休みもうすぐ終わるし、と付け足した彼を見て「そう簡単に慣れないんだよ」と言うと、芹菜が小さく呟く。
「食べなきゃいいんじゃないの? 朝霧」
「……………………どういう結論だ、それ」
「こういう結論。ごちそうさまでした」
 箸を置いて、彼女は湯飲みに手を伸ばす。お茶を飲みながら、小さく息を吐いた芹菜は遥に声を掛ける。
「で、月森はどういう状況なの? 一日のほとんどあそこにいるんだから、何か変わったとことか分かるんじゃないの?」
「……変化なしですよ、ずっと。俺が見る限り、能力の使いすぎで起きれないってことはないです。あんなのは最初だけで、いまはそれこそ原因不明ですね」
 食べ終え、箸を置いて遥はお茶を飲む。ほんの僅か、苛立ちを表に出した彼に芹菜は問う。
「聞き忘れてたんだけど、月森とどういう関係だったの? 人質がどうとか言ってたけど、詳しいことは言ってないわよね?」
「柚木さんには言いましたよ。まぁ、元々は親戚です。で、真莉の人質ですね。組織に逆らえば俺を消す、そういう風に言ってたらしいです」
「それだけで月森は従ってたの?」
 その問いに、遥は眉を寄せた。どこまで踏み込む気なんですか、と呟いて、彼は溜息を吐く。
「真莉の事情を調べたんなら知ってるでしょうが、あいつの身内、俺だけですから。反逆を繰り返した『月森』への見せしめとして、『月森』の身内は消されました。俺の家族も、同じです。その辺り、責任感じてたんですよ、あいつ。だから、俺が人質として機能したんです」
「……えらい面倒なのね、あんたたち。というか、あんたは逆らわなかったの?」
「俺も逃げ出したら真莉を消すって脅されてたんですよ。さすがに、あいつまで消されるのは耐えれませんから」
 じゃあ、俺は戻ります、と言って遥は立ち上がる。居間を出て、真莉が眠っている部屋に向かう背を眺めていた芹菜は隼斗を見て問う。
「結局どういう関係だと思う?」
「親戚でしょ。あと、情があるんじゃないの」
 興味ないよ、と呟いてお茶を飲む隼斗を数秒眺め、芹菜は溜息を吐く。姉さん、と雛に声をかけ、彼女は言う。
「私たち、明日帰る。だから、朝ご飯だけお願い」
「うん。朝霧君は?」
「俺は明後日」
「そう。帰るまでに月森さんが起きるといいわね」
「そう簡単に行かないだろ、実際」
 お茶を飲んで、溜息を吐く。三ヶ月の間、真莉は一度も目を覚ましていない。穏やかな日常そのものの空気に、彼女だけが触れていないのだ。
 

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