真莉と遥と藍 23





 雛に頼まれていた靄の退治。前日である土曜日に芹菜から聞いた説明を思い返しながら、藍は集合場所までの道を歩く。
(二体の靄の共食いか)
 水曜日にも同じ理由で巨大化した靄を退治した。その時の靄は三体の共食いで、今回は二体。数が減っているから水曜のより弱いなんて思わないほうが身のためだから、と告げて電話を切った芹菜の声を思い出して、溜息を吐く。
 彼女の言い方だと、今日退治しなければならない靄は水曜日の靄よりも強い。囮として動くことに抵抗があるわけではないが、もう少しマシな言い方をすればいいのにと思ってしまうのだ。
 集合場所として告げられていた公園に足を踏み入れ、芹菜と隼斗を探す。おそらく、二人で行動しているだろうと思って視線を動かしていると、すぐに二人を見つける。
 ベンチに座っている芹菜と、その近くの樹にもたれて彼女と話す隼斗。その二人に近付いて、藍は呟く。
「早くないか? お前ら二人」
「五分前集合って言うでしょ。あれよ」
 朝霧も来たし、さっさと行かないとと言って芹菜は立ち上がる。道どっちだったかしら、と首を傾げ、彼女は隼斗を見上げる。
「道憶えてる?」 
「まぁ、大体は。別に、何時までにやらなきゃなんないってわけでもないし、多少時間かかっても大丈夫じゃないの?」
「そうだけど。報告する時に嫌じゃない、時間掛かった理由が道に迷ってた、とか」
「雛も翔さんも気にしないと思うけど? 芹が方向音痴なのはとっくに分かってるだろうし」
 とりあえずこっち、と呟いて公園を出る隼斗の後ろを芹菜が追いかける。その後を、急ぐことなく追いながら藍は芹菜に声を掛けた。
「今日、どうするつもりなんだ?」
「前と一緒よ。あんたは囮。私と隼斗は攻撃」
 まぁ、精霊は借りれなかったけどと呟いて、彼女は振り返る。
「あんた鈴は持ってるの?」
「持ってる。いつ返せばいいんだ?」
「さあ? 私は聞いてない。多分、隼斗も聞いてないんじゃないの?」
 前を歩く隼斗は振り返らない。藍と芹菜の会話など聞こえていないかのように平然と歩いていた彼は不意に足を止める。
「芹、一応着いたよ」
「一応って何よ、一応って」
「靄がいないから。この時間だったら出るはずなんだけど、今日はいないみたいだし」
 そう言って、隼斗は空を見上げる。雲一つない青い空に靄の姿はない。待ってたら来るかな、と呑気に呟いた彼に藍は告げる。
「待ってなくても来るだろ。あと二十秒で」
 冷や汗が背を伝う。共食いの結果凶暴化した靄、その気配が近付き、姿を見せた。

 最初に三人で靄を退治した時に、雛が言っていた言葉を思い出す。連携が取れなかった藍たち三人に、雛は微笑んで言ったのだ。
『芹菜と隼斗は元々相性いいもの。朝霧君と隼斗がそこそこ連携取れるようになれば何の問題もないわ』
 その言葉を思い出しながら、藍は靄が薄れていく様を見る。芹菜が攻撃の要で、隼斗が補助。そう役割を振っていたらしい二人は藍が余計なことをしなければたった数分で靄を退治出来る。相性云々というよりは、ただ慣れていると感じさせるそれを眺めているうちに、靄の姿が完全に消える。
「朝霧、あんたもう動いてもいいわよ」
「言われなくてもそうする」
 言ってから、藍は視線を動かす。ほんの数秒前までは靄の漂っていた視界。薄暗さなどなく、ただ青い空が見えるそれに小さく安堵して芹菜を見下ろす。
「次って火曜か?」
「そうね。そのあとはまだ聞いてないから知らないけど。隼斗、増えると思う?」
 芹菜に問われ、隼斗は首を傾げる。どうだろね、と呟いて彼は歩く。
「まぁ、増えないんじゃないの? 俺と芹の修行代わりなら、もう充分だろうし」
「というか、お前ら二人修行する必要ないだろ。最初から強かったし」
「そうでもないわよ」
 藍の言葉を否定して、芹菜は視線を上げる。ここではないどこかを見るように視線を遠くに向けて、彼女は告げる。
「私と隼斗、理論だけだもの。実戦経験なんてものはほとんどなし。実際の退治と、訓練は違うわよ。姉さんがやらせたいのは、頭の中に入ってる理論を戦闘中に引き出して使えるようになるってことだから、結局修行は必要なのよ」
 頭で考えること全部行動に出せるようになるには慣れるしかないもの、と彼女は付け足す。それに隼斗が頷いて、補足するように口を開く。
「それに、芹って下手に優秀だから。俺みたいに苦労して能力を使うって経験もないし、その辺分からせたかったんだと思うよ」
「その割に慣れてなかったか?」
「その辺は訓練の結果だって。あとは、『柚木』の血」
 隼斗は薄く笑う。柚木の血、そう言って笑った彼を見上げて、芹菜が眉を寄せる。
「隼斗、私の分析なんて趣味悪いことしないで」
「別にいいじゃん。事実だし」
「そんなわけないでしょ。血に情報なんてないわよ、馬鹿」
 踵を返し、彼女は歩く。駅へ向かう彼女の後ろ姿を数秒眺め、藍は隼斗を見る。
「ないのか?」
「まぁ、多分ないと思うよ。でも、芹ぐらいだとあるかもなって思うんだよ。翔さんの従妹で、雛の妹だし。柚木の強者の血縁ってなれば、何かしらの影響あるんじゃないかって思わない?」
「いや、別に。というか、長谷部も血縁だろ?」
「俺は別だって。強いひとと強いひとの間にいれば、芹だって影響受けてそうな気もするんだけどなぁ」
 独り言のように呟かれた言葉に藍は眉を寄せる。分かるような分からないような、そんな中途半端さを感じていると、隼斗が芹菜を追って歩き出す。それを藍も追いながら歩いて、不意に足を止める。
 走る音が聞こえた。それは背後から聞こえる音で、足を止めたまま振り返った藍は近くに古い洋館が建っていたことに今更気付く。
 どこか重く暗い雰囲気を放っているように見える、古い洋館。それを見上げて息を呑み、視線を下ろして溜息を吐くとその方角から走って来たらしい真莉と視線が合う。
「真莉……?」
 呟くと、彼女の目が軽く瞠られる。会うはずのない人間に会った顔。唇を噛んで、彼女は隣の少年の手を引く。
 距離はさほどない。十数メートル走って、真莉は藍たちの前で足を止める。先輩、と小さく呟いた彼女は息を整えて告げる。
「早く、ここから離れてください。さっさと帰ったほうがいいです」
「どういうことだ?」
「説明してる暇はないです。長谷部先輩と、成瀬先輩も。さっさと帰って、この辺りに近付かないほうが身の為です」
 それこそ、実家にでも帰ってくださいと真莉は呟く。その顔に焦りが浮かんでいることに気付いて、藍は眉を寄せる。彼女の言葉の意味を問うために口を開こうとすると、それよりも先に芹菜の口から疑問が飛び出す。
「月森、それどういう意味なの?」
「説明してる時間はないんです。お願いだから、さっさと離れてください」
「説明もなしに動けって言うのはおかしくない? 何があるの?」
 芹菜の言葉に真莉は唇を噛む。それはそうですけど、と呟いて彼女は隣の少年の手を掴む。掴まれた手を一瞥して、少年は芹菜を見る。
「すいません、こっちの事情で話す時間がないんです。ここで立ち止まらず、歩きながらでもいいんなら説明は出来ます」
 彼の目に真莉と同じような焦りはない。ただ、冷静に言った彼を見て芹菜が溜息を吐いて歩き出す。それを受けて隼斗も歩き出し、藍と真莉、そして少年も歩く。
 説明の為に口を開いたのは少年だ。
「さっき真莉も言いましたけど、三人ともここから離れた方がいいです」
「なんで?」
「端的に言うと、狙われてます。冗談だって笑うならそうしてください。でも、俺や真莉にとってこれは現実です」
 前を行く芹菜は振り返らない。彼女の隣を歩く隼斗もそうだ。けれど彼は「月森」と振り向かずに声をかける。
「正直に言って。君が異能者だから、いま俺たちにここから離れろって言う羽目になってるの?」
 その言葉に藍は真莉を見る。説明をしていた少年の手を掴んだままの彼女は唇を噛み、俯く。歩みだけは止めないまま、彼女は告げる。
「私が異能者だからです。そうじゃなければ、こんなことにはなってません。遥だって……」
 真莉、と少年が声をかける。顔を上げ、なに、と聞き返した彼女に少年は首を振る。
「それ、このひとたちには関係ないんだろう? なら、言うべきじゃない」
「……ごめん」
 うっかりしてた、と真莉は呟く。その声が藍と話す時や、隼斗と話す時、そして放送部で聞いた時の声ではないことに藍は内心で首を傾げる。
 身内だろうかと思って少年の顔を見ると、真莉と同じ左目の下の黒子に目がいく。一つ彼女との共通点を見つけると、すぐに別のことにも気付く。
 真莉と少年の雰囲気は似ている。芹菜と雛が似ているような、そんな雰囲気がある。そして、彼の長めの髪は真莉と同じ茶に近い黒。
(身内?)
 見られていることに気付いたのか、少年が藍を見た。何ですか、と疑問を口にした彼に、藍は首を振る。
「何でもない。それより、狙われてるって俺たち三人か?」
「そうですね。俺は真莉からそう聞きました」
 真莉を見る。少年を見上げ、彼の言葉を訂正したいという顔をした彼女に、藍は疑問をぶつける。
「なんで俺たちが狙われるんだ?」
「……私が、異能者だって気付いたからです。成瀬先輩、私を見て異能者だって気付いたでしょう? あれが原因です」
 真莉の言葉に芹菜が足を止めて振り返る。眉を寄せ、「どういう意味?」と聞き返した彼女を、真莉は嗤う。
「そのままですよ。あなたが気付かなかったら、狙われることはなかったんです。最低ですよ」
 あなたも義兄さんも、じい様も。そう呟いて、彼女は俯く。皆嫌いよ、と囁いた真莉の頭を少年は撫でる。
「真莉、それも関係ないだろ」
「あるわよ。義兄さんとじい様がいなかったら、こんなことになってないわよ。あそこの皆、全部嫌いなの」
 首を振って言った真莉の目に、藍は違和感を感じる。彼女は否定の言葉を口にしている。その理由を藍は知らない。けれど、ぼんやりと分かることがある。
「真莉」
 いま生きている自分を含めて全て嫌いなんじゃないか、そう問うために口を開こうとして、腕を掴まれる。いつの間にか近付いて来ていた芹菜を見下ろし、息を呑む。
 彼女の淡いブラウンの瞳にははっきりとした感情が浮かんでいる。絶対に訊くな、そう視線だけで告げて、彼女は藍の疑問を表に出す隙を与えない。
 そして、その僅かな空白の時間にはっきりとした靴音が響く。それに顔を上げ、振り返った真莉の肩が跳ねて、「ほんと、最低」と小さな呟きが零れる。
「見逃すって選択肢はないの?」
「あるわけないだろう、そんな選択肢。真莉、さっさと戻って来い。じい様がお呼びだ」
 二日前にも、似たような会話を聞いた。その時の真莉は落ち込んでいたが、今日の真莉はそうではない。行くわけないじゃない、と呟いた彼女に、昴は眉を寄せる。
「お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか? じい様の呼び出しだぞ?」
「義兄さんこそ自分が何言ったのか分かってる? 私は逃げ出したのよ? そんな人間が呼ばれてるって言われてはいそうですか、って帰るわけないじゃない」
 そこまで堕ちてないわよ、彼女は付け足す。掴んでいた少年の手を放して、真莉は昴を見る。
「そろそろ、趣味の悪い家族ごっこなんて止めない? どうせ、出雲昴って人間は情なんて何一つとしてないんでしょう? ただ、家族のほうが都合がいいからそうしただけで」
 彼女の言葉の意味を、藍は掴めない。同じように、芹菜と隼斗も彼女の言葉の意味が分からないだろう。分かるのは、真莉と昴、そして彼女と共にいた少年の三人だ。
 昴が眉を寄せる。趣味の悪い家族ごっこか、と呟いた彼は真莉を見てはっきりと告げる。
「確かに、最悪だったな。僕たちと違って、絶対に従順にはならない『月森』を義妹にするのは。常にチャンスさえあれば噛み付くつもりの猛犬の手綱を握るのは面倒だ」
「ならちょうどいいじゃない。私はもう二度と戻らないわ。後は勝手にやって」
「残念だが、そういうわけにも行かない。僕の意見はともかく、じい様はお前が戻って来ることを期待してるんだ。便利な駒としてのお前が戻って来ることを」
 その言葉に真莉が舌打ちする。ふざけたこと言わないでよ、と呟いた彼女は昴を見上げる。
「私はあなたたちの駒じゃないのよ。分かってないなら宣言してあげましょうか? 『月森』はもう二度とあなたたちに従わない。今まで何度も繰り返した反抗も、これで最後よ」
 藍たち三人は彼女と昴の会話に口を出せない。部外者であることばかりが強調される会話の聞き役になっていた藍を見て、昴は嗤う。
「真莉、お前はもう二度とじい様の命令を聞かないんだな?」
 その確認に真莉は頷く。
「絶対に聞かないわ。私が私である限りは」
「なら、罰ゲームの時間だな。小牧にばらしたのと同じことをしよう」
 昴の言葉に真莉は息を呑む。ちょっと待って、と呟いた彼女は首を振って、そして昴を見る。
「また、言うつもりなの? 遥だけじゃなくて、先輩たちにも?」
「お前が言っただろう、出雲昴に情なんてないって。それはその通りだ。だから、何の疑問もないだろう?」
 僕がお前の過去をばらすのは当然だ、と彼は告げる。首を振って、それを否定する真莉を昴は嘲笑う。
「朝霧君、昔話をしようか」
「……遠慮しますよ。いい話じゃなさそうですし」
 首を振って断ると、彼は笑う。じゃあ、僕の独り言として聞き流して、と言った彼は真莉を見て告げる。
「四年前に家族を失った子どもは、人質になった少年を殺させない為にじい様の命令を聞き続けてその手を汚し続けましたとさ。はい、この子どもって誰だと思う?」
 笑いながらの言葉に藍は眉を寄せた。その後ろで、芹菜が小さく息を呑む。それに気付いて、真莉が振り向き、そして疲れたように笑う。
「知ってたんですか、成瀬先輩」
「全部じゃないわよ。それに、まさかこういうことだとは思わなかった」
「そうですか。ならいいです」
 結局、もっと早く行動してればよかったんですよ、と真莉が呟く。前に立つ昴を見て、彼女は右手を横に伸ばした。
「ねぇ、そうでしょ? 私だけじゃない、みんな、もっと早く行動するべきだったのよ。『月森』は反逆者だって思われるよりも先に、破壊するべきだったの」
 彼女の言葉に少年が息を呑む。真莉、と名前を呼んで、彼は叫ぶ。
「何をする気だ!」
「壊すの、全部。存在してる必要なんて、ないでしょ」
 振り向かないまま、彼女は少年の問いに答える。真莉の正面で、唯一彼女の表情を見ている昴は眉を寄せ、口を開く。
「つまり、お前は僕やじい様に反逆するんだな?」
「まさか。私は組織に反抗するのよ。あなたたち二人なんかじゃないわ。全員よ」
 言葉の意味を問うために、藍は一歩足を進める。けれど、それよりも先に横に伸ばされていた真莉の手に力が集まり、轟音が響く。

 組織なんて、消えればいいのと囁く声が聞こえた。本来なら轟音に掻き消されるはずの、真莉の声。
 洋館だって、必要なかったのよ、と囁く声も藍の耳に届いた。

 風が吹く。それによって粉塵が舞った。
 視界を覆うそれが晴れた時、建っていたはずの洋館が消えていた。それに気付いて、藍は呟く。
「何で、お前がこんなことをするんだよ……」
 答える声はない。ただ、小さな笑いだけが響いた。今にも泣き出しそうな、小さな声。
「お前がこんなことをする必要ないだろ、真莉!」
 藍の言葉に応えるように、少女の笑い声が止まる。泣き笑いのような表情を浮かべた彼女は振り返って首を振る。
「あるの、必要……。あれが存在し続けたら、苦しむひとがいるから」
 彼女の髪が風に揺れる。粉塵によって薄汚れたそれは彼女の背を覆う。
「だから、壊さないと駄目なの。誰かがしないと駄目だった、ただ、それが私だっただけ」
 真莉が手を伸ばす。その手の先に集まっている力を感じ取って、彼は叫ぶ。
 けれど、それが彼女の耳に届く前に轟音が全てを掻き消した。
 

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