真莉と遥 22




 芹菜がソファーに座った。それだけなら、普通のことだ。けれど、普段と違って苛立ちの滲んだその座り方に、隼斗は疑問を抱く。
「芹、どうかした?」
「朝霧は馬鹿だって思ってるだけよ」
 関わるつもりだわ、あいつと呟いて、彼女は自身の髪を掻き揚げる。苛ついて、その結果でもある行動に隼斗は苦笑して、彼女の右手を掴んで下ろす。
「別にいいんじゃないの、朝霧が月森に関わったって。月森、異能者だからあいつに関わってるんじゃなくて、月森が月森だから関わってるって言ってたし」
 二日前の彼女の言葉を思い返して告げる。私が私だから関わってるだけです、と笑った彼女に僅かな陰はあったが、敵意はなかった。ただ、月森真莉が月森真莉であるが故に関わっているといった彼女に嘘はないだろう。
 好かれているんだろうなと思ったことを思い出す。朝霧藍は、月森真莉に好かれている。そして、朝霧も真莉に惹かれている。だから、芹菜に関わるなと言われた時に反論していたのだ。
「でも、朝霧は馬鹿でしょ。『私たち』みたいなのに関わっていいことなんて一つもないんだから」
「その辺決めるのは朝霧自身じゃないの? 俺としては、面倒事にならないならそれでいいんだけど」
「なるでしょ。だって月森、どう考えても何か抱えてるじゃない。しかも、限界寸前よ。いつ爆発してもおかしくないわ」
 そう断言する芹菜を見ながら、鋭いなと思う。昔からそうだ。芹菜は、他人のことは鋭い。自分のことは指摘されるまで気付かないくせに、他人のことならばすぐに気付いている。だから、彼女の腕を放して背中までの黒髪に指を入れた。
「じゃあさ、芹菜は何かするわけ? 朝霧と月森が会わないようにするとか」
「そんな面倒なことするわけないでしょう? 隼斗じゃないんだから」
「芹、ちょっと今晩話し合わない? 芹の中で俺がどういうイメージなのか物凄く気になった」
「嫌よ、面倒だから。それより、さっきの本当なの?」
 淡いブラウンの瞳が上を向く。さっきのって、と聞き返すと、雛と同じ色の瞳がすっと細められた。彼女の髪に差し込んでいた手が掴まれ、下ろされる。
「面倒事にならないならそれでいいって言ったでしょ。あれ、本気?」
「ああ、それか。大体本気だよ。別に、朝霧や月森がどうなっても平気だし。というか、どっちかって言うと芹のほうが珍しいんじゃないの?」
 問うて、彼女を見る。雛と同じ色を持ちながらも、彼女のような強さと柔らかさのない芹菜の考えを、隼斗はよく知っている。
 巻き込まれるのなら、巻き込まれたほうが悪い。助けることなどなく、ただ放置する。そんな彼女が、関わらないよう必死で語っていた。それを思い出して、薄く笑う。
「芹、普段だったら巻き込まれたほうが悪いって言うじゃん。何で今回に限って関わらないように言ってるの?」
「……巻き込まれるんじゃなくて、自分から首突っ込みに行ってるでしょ、あいつ。だからよ」
 だって、馬鹿でしょと芹菜は呟いた。視線を下ろして、彼女は溜息を吐く。まぁ、結局他人事なんだけどと締め括った彼女は立ち上がってキッチンに向かう。
「晩ご飯どうする?」
「兄貴は?」
「魚焼いてくれって言ってる」
「じゃあそれでいいじゃん。あ、味噌汁はわかめと麩で」
「はいはい」
 魚あったかな、と言いながら彼女は冷蔵庫を開ける。見慣れた後ろ姿を見ながら、隼斗は天井を見上げる。月森は、何かを抱えていて、それは芹菜が見る限り爆発寸前。
「近い内に何かあるかな、もしかして」
 独り言に返事はない。ただ、芹菜が夕食を作り始めた音だけが響き始めた。



 
 灰色の世界で息をするようになってから、少しずつ何かがずれ始めていたのだろう。そう考えながら、真莉は地下への階段を降りる。
 昨日も通った、ある意味では慣れた道。その道を歩きながら、そっと息を吐く。
 真莉がここに居続けたのは、遥が人質にされていたからだ。そして、遥がここに捕らわれ続けていたのは真莉が『月森』であり、同時に彼自身も逃げ出せば真莉を消すと脅されていたから。
 互いに互いを生かすために、ここに残り続けていた。自分の置かれている状況を、相手に知らせることなく。
(本当に、馬鹿……)
 遥も脅されていると知らなかったのは、真莉が彼と連絡を取らないようにしていたのも原因だろう。昨日、遥と話してようやく互いの状況を知ったのだ。馬鹿としか言えない。
 階段を降りきって、奥に視線をやる。壁にもたれて目を閉じている彼に近付いて、真莉は声を掛ける。
「遥」
 瞼が開く。遥はほんの一瞬、誰に呼びかけられたのか分からないような顔をした。「寝てた?」と問うとゆるく首を振って、彼は真莉の頭の上に手を置く。
「あんまり寝てない。真莉は?」
「いつも通り」
 そう言って微笑む。実際はほとんど寝ていないが、それを遥に隠す。わざわざいう必要もないのだ。
 頭に乗せられたままの彼の手が動く。昔のように頭を撫でて、遥は呟く。
「どうせ、三時間寝たとか言うんだろ」
「……どうだろ。私、時計見ないから」
 そっと、手が除けられる。正面で向き合っているのに遠い。そんな言葉が浮かんで、真莉は心の中で苦笑する。
 遠ざけているのは自身だ。遥との間に壁を作って距離を取り、そしてそれを後悔する。灰色の世界を知られたくないと思って彼の視界を逸らしていた。
「ねぇ、遥」
 声を掛ける。小さな、本当に小さな決意を込めて。
「遥は、ここから逃げて。私が、ここを壊すから」
 

Copyright (C) 2010-2016 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system