真莉と遥 19



 訊くことを、止められた。その空気をずっと後ろから感じ取って、真莉は俯く。
 きっともう、気付いている。真莉が何かを隠していることに、藍たち四人は気付いたはずだ。そう考えて、そっと息を吐く。
 世界は、灰色だった。四年前からずっと、色を失って。そこに色を吹き込んだひとに、もう会えないかもしれない。
(じい様が呼んでるってことは、あともう少しぐらいは)
 この、灰色の世界で息をする。重苦しい雰囲気の洋館で、毒のような空気を吸う。あともう少しだけ、この世界に縛り付けられる。
 それをどう思っているのか、自分でも分からない。ただ、瞼の裏に熱があるような気がするだけだ。ここにいない彼に謝りたくなる衝動を抱えて歩く彼女の前で、義兄が口を開く。
「じい様だが、とりあえずお前を殺す気はないらしい」
 風に乗って、義兄の言葉が聞こえる。嘘でしょ、と呟いて、真莉は立ち止まった。信じられない言葉を、彼は言った。
「そんなわけ、ないでしょう? あのじい様が、いまさら慈悲なんて……」
「確かに、信じられないだろうな。実際、上じゃ軽い騒ぎだ。じい様は、『月森』がお前しかいないから生かすと言っている」
 振り向いた義兄の言葉に、小さく笑う。呆れたように、真莉は笑った。おかしいのだ、義兄が告げるじい様の言葉が。だって。
「じい様が『月森』を消したくせに、何よ、その言い草。まるで、『偶然』月森が私しかいないみたいじゃない」
 皆、真莉の前から姿を消した。最初は祖父だった。優しくて、時折既にいない祖母の話を宝物のように話してくれた。その次は、母。気が強くて、いつも父にぼさっとしない、と声をかけていた。てきぱきと動いて、時々真莉に笑いかけてくれる。そんなひとの次にいなくなったのは、父だ。気が弱くて、困ったように笑いながら真莉の隣でお母さんは怖いなぁ、と呟いていたひとは、料理が好きだった。真莉も一緒にやるか、と声をかけて、料理を教えてくれた父も、結局じい様のせいでいなくなったのだ。
「皆、私から奪って、そのくせ、何よ、その言い方……」
 普段ならば、義兄に咎められるはずだった。じい様を侮辱して、それを許すような男ではない。なのに、今日に限ってそれがない。だから、真莉は笑った。
「ねぇ、義兄さん、本当のことを言って。私は、あと何日生きられるの?」
 じい様が、そう簡単に許すはずないでしょう、と嘲笑う。義兄の言い方ならば真莉の価値は『月森』であることだけだ。それを失えば、即座に用済みとなるのは分かる。それまでに残されている年月で、じい様の考えは推測出来る。
 だから、言ってよ、と彼を見上げる。月に照らされて、顔色の読めない彼は一度溜息を吐いてさらりと告げる。
「一年以上、五年未満だな。『月森』のお前が消えても、その次がいれば何とかなるし、そこまでの繋ぎぐらい、じい様は見つける」
 顔を、歪める。やっぱり最低よ、皆最低、そう吐き捨てて、顔を覆う。顔を覆って、首を振る真莉に義兄が掛けた言葉は「さっさと帰るぞ。じい様がお呼びなんだ」という、組織の犬の言葉。だから、もう一度呟いた。
「皆、嫌いよ。最低だわ、皆」
 灰色の世界をもたらしたひとと、毒の空気を吸い込んで生きるひとの顔を思い浮かべて呟く。色を失った真莉の世界に、絵筆を持ったひとは現れない。



 元々、真莉が生まれた月森家は特殊だった。家系に頼って異能を維持しながらも、歴史の表舞台に名前を残すことはない。異能者の歴史にも名を残すことなどほとんどなく、ただの一般人に紛れて埋もれるように血を繋いでいた。
 その理由を真莉が知ったのは、十年以上昔だ。まだ、小学校に入る前。おいで、と母に声を掛けられて連れて行かれたのは、母の実家だった。久しぶりに帰って来たらしい母に親戚は喜び、そして不安を覗かせた。大丈夫なのか、そんな風に声をかけられて、母は笑いながらきょとんとしていた真莉の頭を撫でた。
 この子を、預かって欲しいの。ごたついてるから、巻き込みたくない。そう言って、真莉を親戚に預ける。視線を合わせるためにしゃがんで、「いい?」と問う。
 ちょっとだけ、お母さんの親戚と一緒にいて。そう言われて、真莉は頷いた。母が何を考えているのかは分からなかった。けれど、頷く以外になかったのだ。ひどく、寂しそうな顔で笑うひとの前で、首を振って拒絶する気には、なれなかった。
 そして、そこから数年母の実家に預けられた。時折、両親から電話が来て、他愛もない話をする。寂しくないの、と訊かれて、大丈夫と答える。だってね、優しいの、みんなね、そう言って笑ったのは、過去の真莉だ。
 いま、部屋の中で立ち竦む真莉ではない。灰色の世界を生きる自分ではなく、鮮やかな世界を生きていた自分。
(だって、あの時は……)
 母は、知っていた。祖父が断罪されることを。組織に逆らって、その結果消される。それを知っていたから、真莉を遠ざけた。巻き込みたくないの、と親戚に向かって頭を下げた。見なくていいものを見せないために。
 結局、真莉は家に戻った。祖父と、母を失って、月森が父だけになるとじい様によって連れ戻されたのだ。そしてその時から、世界は色を失い始めた。
 真莉を匿って、組織に連絡しなかった親戚は、数人を除いて消された。父は、じい様によって使い潰される駒となった。そして、その父が反逆して消されると、入れ替わるように真莉がその立場に立たされた。
 その時に、ようやく気付いたのだ。歴史の表舞台に名前を残すことなく、異能者の歴史に名前を残すこともない理由を。ただ、組織に食い潰される為だけに存在した月森を、真莉は知った。
(だから)
 息を吐く。一人きりの部屋で、ベッドに座り込む。座って身体を支えることすら面倒になって横になり、目を閉じる。
(皆、嫌いよ……。組織の犬なんて、皆……私から、奪ってばっかりで…………)
 母の実家は、月森とは関係ない家だった。異能者の家系ではあったが、月森の血を持っているわけではない家。そんな家の人間すら、組織は消した。
 悲鳴を、上げた。月森が関わった結果として見せ付けられた現実に悲鳴を上げて、真莉の世界は崩れて色を失う。鮮やかさを失って、色を失って、灰色になった世界で生きている。それが、月森真莉だ。
 声が、甦る。ごめんなさいと泣きながら謝って、真莉のせいじゃないと慰めてくれた声。優しい時間の中で生きた、今は組織に捕らわれ動けないひと。
 唇が震える。ほんの少し、空気が揺れた。私の。私のせいで。
「私のせいだよ、全部……」
 うつ伏せになって目を閉じる。涙が零れて、頬を濡らした。
 

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