月森真莉 17




 時折、遠くでひとの気配がする。それに僅かな居心地の悪さを感じて、芹菜は隼斗の袖を引いた。
「私、やっぱり外で待ってる」
「駄目だって」
「でも、ここ苦手なのよ」
「諦めなよ。どうせ、すぐに土師さんも来るよ」
 でも、と呟くと襖が開く。喧嘩か、と疑問を口にしながら部屋に入ってきた男を見て、芹菜は小さく呟いた。
「充さん……」
「喧嘩ならよそでやれよ? 止めるの面倒だしな」
「俺と芹の喧嘩なんて滅多にないですよ。芹菜が一方的に突っかかってくるのは多いけど」
 笑いながら言った隼斗を睨む。それ、隼斗のほうが多いでしょ、と呟き、充を見る。
「充さん、私、外で待ってるから。なるべく早く済ませて」
「何言ってんだお前。月森月森うるさいから調べた結果もあるんだぞ?」
 だから座れ、と言われて、諦める。別に調べなくてもよかったのに、と呟くと「うるさかったからな。黙らすには調べたほうが早い」と笑われる。
 その笑い方が、隼斗に似ていることに気付いて僅かな疎外感を抱く。芹菜は、隼斗が充に師事することになった経緯を知らない。聞こうと思ったこともないし、聞くべきでもないと思うが、『柚木』の本領から離れたことがない芹菜は彼に比べて視野が狭いのだ。
 小さく息を吐く。きっと、自分たちは互いに手の届かないものを欲している。それを手に入らないと諦めて、自分の持つ物だけを受け入れたのは隼斗のほうが早かったのだ。そこに立つのに、時間はいらない。ただ少し、覚悟を決めればいいだけだ。
(……なに考えてるんだろ)
 息を吐いて、俯く。唐突に思い出したのは姉の立ち姿だ。迷うことを止めた、強いひとの姿。それを振り払って、顔を上げる。
「充さん、調べた結果って?」
「そっちはあとだ。隼斗、お前、翔から渡された鈴どうしてる?」
「朝霧に預けたけど、問題でも?」
「いや、預けてあるならいい。そのまま持たせとけよ」
 充は隼斗と話す。芹菜には関係のない、師弟の会話に口を挟まずに黙っていると、二十分ほどで彼らは会話を終える。芹菜、と充に呼ばれて、彼女は視線を動かした。
「月森だがな、翔や雛も聞いた覚えがないらしい」
 まぁ、雛が知ってるはずないんだがな、と付け足して、彼は隣に置いていた紙の束を持ち上げる。クリップで留められたそれをぱらぱらと捲りながら、充は説明する。
「元々、中途半端に古い家系だ。名前が出始めるのが、大体五百年ぐらい前から。それ以前にあったかどうかは知らないが、一応こっちで調べれたのはこれぐらいだな」
 それで、と彼は紙を捲る手を止める。芹菜を正面から見た彼は一つ間を置いてぽつりと告げる。
「変な話だが、『月森』は早死にするやつが多い。これ見てみろ」
 すっと、差し出された紙を受け取る。それぞれの時代の平均寿命と、そこに届くことなく死んだ人数。その多さに、芹菜は眉を寄せる。
「早死にが多いって言うより、早死にばっかりじゃない?」
「まぁ、そうとも言うよな。いまの『月森』……、隼斗の後輩の月森真莉なんて、少し遡ってかなり驚いたぞ」
 どういうこと、と隼斗が口を挟む。彼の問いに充はすぐには答えない。緑茶を飲んで、一息吐いてから彼は言う。
「まず、父親が四年前に死んでる。母親は八年前に死んで、祖父が十年前。祖母はもっと前だな、確か二十年以上昔。元々、一人っ子だったらしい。『月森』の血を持ってるのは、月森真莉一人だ」
「…………冗談?」
 隼斗が呟いた言葉に、芹菜も同意する。冗談のような話だ。偶然と言い切るには、違和感が大きすぎる。ただの偶然ではなく、誰かが仕組んだかのような確率で、月森の血を持つ者が消えているのだ。
「冗談じゃない。多分、後ろに何かいるんだろ。それが何かは突き止められなかったけどな」
「……………………充さん、ありがとう。とりあえず、『何かある』ってことだけでも分かれば充分だから」
 言って、立ち上がる。出て行くために襖に手を伸ばすと、「そんなに関わらせたくないのか?」と問われた。
 振り向いて、座ったままの充を見る。彼の問いにどう応えるべきか数秒悩み、結局素直に応える。
「関わらせたくないわね。『私たち』はそれぞれ、他人を巻き込むべきじゃない事情を抱えてる。そこに、例外なんてないと思うのよ。だから、朝霧みたいなのは関わるべきじゃないって思うの」
「関わりたいって言われたらどうするんだ?」
「張り飛ばすわね。そのあとは本人の好きにさせるけど、生半可な覚悟で関わることだけはさせない」
 じゃあ帰る、と言って襖を開ける。隼斗が溜息を吐き、充と少し話すのが聞こえた。その会話を無視して彼女は玄関に向かい、追いかけてきた隼斗と共に集合場所でもある靄の主現地に向かった。


 
 小さく、鈴が鳴った。隼斗に渡され、持ってないと来ちゃいますよ、と真莉が告げた鈴。その音に、藍は視線を動かす。
 普段ならば、さほど害のない霊があちこちにいる。けれど今日はそれがない。鈴の効果なのだろうか、と考えて溜息を吐いた。
 七時という時間を抜きにしても、あたりは暗い。生温い風が肌を撫で、視界の端を何かが通り過ぎる。黒く、薄い何か。悪霊としか言えないそれに鳥肌が立ち、反射的に距離を取る。
 ぞわりと広がっていく靄の姿。薄く、面積のあるそれが密度の濃い、悪霊そのものに変わるさまを見て、息を呑む。
(何で、こんな……)
 視界を、靄が占めていく。小さく、ちりんと鳴った鈴の音に、靄がたじろいだように動いた。藍が一歩下がると、靄の隣をすり抜けて隼斗と芹菜が現れた。
「朝霧、鈴は?」
 隼斗に問われ、「持ってる……」と返す。靄と距離を取るように後ろに下がり、彼は藍の腕を放す。
「芹、準備は?」
「少し時間稼いで。朝霧、あんたはそこから動かないようにして」
 芹菜の言葉に頷く。隼斗が靄の正面に出て、それと入れ替わるように芹菜が藍の少し前で足を止める。雛と同じようにさてと、と呟いた彼女は肩にかけていた鞄を地面に置く。
 一度息を吸い込んで、芹菜は言葉を紡ぎだす。藍にとって馴染みのない、未だに意味の分からない音の羅列は二十数秒続いて途切れる。
 ふわりと、風が吹く。靄が出てくる前に吹いた風と違い、澄み切ったそれは一瞬で止む。
「命令は?」
「靄の退治。還るまでの間、全力で頼むわ」
「承知」
 応えて、人型のそれは靄へ向かう。ほっと息を吐いた芹菜は鞄を持ち上げ、藍を見る。
「あんたはそこから動かないようにしなさい。どうせ、あれに関わりたくないんでしょ?」
 彼女は視線で靄を示す。それに頷いて、「関わりたくないな」と呟くと「じゃあ、あの鈴ずっと持ってなさい」と告げられる。
「力だけは強いから、厄除けにはなるはずよ。翔さんには私から言っておく。あんたが貰っちゃっても、大丈夫なはずよ」
「いや、その内返す。俺以外に、これがいるやつだっているだろ」
「少なくとも、『柚木』にはいないわね。私たちは自分たちである程度弾けるもの」
「それでも、その内誰か必要になるかもしれないだろ。部外者の俺が持ってるよりは、お前らの内の誰かが持ってるほうがいいだろ」
 必要とするひとなんていないんだけどね、と芹菜が呟く。強い風が吹いて、彼女の髪がなびく。風によって持ち上げられた髪が再び背に掛かると、靄の姿が消えていた。
「芹、終わった」
「みたいね。還っていいわよ」
 隼斗に言ってから、彼女は呼び出したものにそう言う。それに頷いて消えたものを見て、隼斗が呟いた。
「芹、無駄が減ったね」
「怒られるのは嫌だから減らしたのよ」
「なるほどね。芹、今日の晩ご飯どうする?」
「帰ったら適当に作るわよ」
 言いながら、芹菜は駅に向かって歩き出す。さっさと帰りたい、と呟いた彼女の後ろを、藍と隼斗が追いかけた。

 

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