月森真莉 16



 放課後に、校門で待つ。既に、義兄が帰ったのは見ていたから、気が楽だ。待ち合わせをしている相手が来るのを待つ楽しさが大きい。
(何年ぶりだろ、こういうの)
 待ちながら、考える。少し考えて、大体四年ぶりかな、と呟いた。
 昨日の、義兄に踏み付けられた肩はまだ痛い。なるべく左腕を動かさないようにしようと決めて頷くと、後ろから声を掛けられる。
「真莉、悪い、ホームルームが長引いた」
「大丈夫です、あんまり待ってませんから」
 そう言って笑うと、藍はほっとしたように息を吐く。彼を見上げて、彼女は微笑んだ。
「それで、どうするんですか?」
「とりあえず、駅行こう。で、ちょっと電車乗る」
 言ってから、彼は真莉を見る。帰るの、遅くなっても大丈夫なのか、と問う彼に、真莉は頷く。
「大丈夫ですよ。私の家、割と放任ですから」
 実際には、そんなことはない。じい様と義兄の都合に合わせて、彼女の時間が削られるだけだ。けれどそれを彼に言う必要はない。だから、誤魔化すように付け足す。
「暇つぶし、何時ぐらいまで掛かるんですか?」
「七時前、ぐらい」
 多分、と彼が付け足した言葉を聞いて、真莉は唐突に思い出す。最近、靄が多発している。そしてそれの退治を、成瀬雛が請け負っている。もしかしたら、彼の用事はそれなのかもしれない。
 駅へ向かう為に歩く。放送部の部室で話すような、真莉にとって息抜きそのものの穏やかな会話。時々お互いに質問しながら、言葉を重ねる。
 誰かと出かけるのは久し振りだ。その楽しさで、いつもより笑っている自覚があった。だから、「楽しそうだな」と言われたときに、彼女は焦った。
「こういうの、久し振りなんです。最近、一人だったから」
 言って、誤魔化すように笑う。楽しいんです、今日、と言って笑うと、頭の上に手が乗せられた。
「ならいいけど、暇になったらすぐに言えよ?」
「多分、暇にならないですよ」
 毒のような、重苦しい空気。それを吸わずにすむだけで、彼女は暇などしないのだ。

 朝、芹菜に言われた言葉を思い出さないようにしながら、藍は真莉と話す。家系で異能を維持している家は何かしらの問題を抱え、それは真莉も例外ではないと告げた彼女の言葉は、時折浮かんで来る。泡のように浮かんだそれを沈めて、思い出さないようにしながら真莉を見る。
 どこにでもいるただの高校生。そういう風にしか、彼女は見えないのだ。『何か』を抱えているようには見えない。
『月森真莉だって、何か抱えてるはずよ。あんたが予想すら出来ない、嫌になるような事情を』
 そんなことはないはずだと否定する。ごく普通の、どこにでもいる高校生にしか見えない彼女が『何か』を抱えているはずなどないと否定して、彼女と歩く。
 電車を降りて、立ち止まる。靄が出ると言われたのは、普段来ない辺りだ。その周囲で時間を潰そうと思っていたのだが、周囲に何があるのか把握していない。
(失敗したな、この辺り詳しくない)
 視線を動かす。どうするかな、と考えていると「あ、雑貨屋さん」と真莉が呟いた。 
「雑貨?」
「そこにあるんです」
 彼女が駅から少し離れた店を指差す。それほど大きくない、小さなその店を指差しながら、真莉が首を傾げた。
「あそこ、行きません?」
「……そう、だな」
 そうするか、と言って歩き出す。外から見る限り女性が多い店に入ることにさほど抵抗はないが、その代わりのように「暇しそうだな」と思う。
 暑くない程度に暖房が掛けられている店内に入ると真莉が楽しそうに歩き、逆に藍は暇になる。見るものないな、と思いながらも彼女の隣で彼女の見ているものを見る。
 ただ眺めているだけでも楽しそうな真莉を見ていると、「先輩、実は暇ですよね?」と訊かれた。黒い瞳には、確信が宿っている。誤魔化せるか否かで言えば、後者のほうが確率が高い目を見ながら、「そんなことないぞ?」と答えると、「疑問になってますよ」と笑われる。
「暇なら別のところ行きます?」
「真莉が飽きたらな」
「……一時間後とかになりますよ? いいんですか?」
「いま楽しいんだろ?」
 質問に質問で返す。きょとんとした真莉は「楽しいですけど」と呟いて首を傾げる。
「私が楽しいだけですよ?」
「別にいいよ。暇潰しに付き合ってもらってるのは俺だし、真莉のほうが暇そうにしてたら嫌だからな」
 だから気にするな、と言って笑うと、真莉も笑った。気にしないことにします、と言いながら、彼女はぬいぐるみを手に取る。
「こういうの久しぶりで、本当に楽しいんですけど、先輩は暇そうだなって思うと気になるんですよね」
「だから、気にしなくていいって。でも、久しぶりなのか?」
「久しぶりですね。最近、出かけるとしても一人だったので」
 これ長谷部先輩みたいな顔してる、とにっこり笑った顔のクマのぬいぐるみを持ち上げて真莉が呟く。胡散臭い笑顔だなぁ、と彼女が言った言葉を聞いて、藍も笑う。
「確かに、長谷部って胡散臭い笑顔だよな」
「あれ、絶対に笑ってないと思うんです。本心は別のところにあって、それを隠す為に笑ってるんじゃないかなって」
 ぬいぐるみを棚に戻しながら、彼女はそう言う。ちょこまかと動いて、時折立ち止まる彼女の顔には笑顔が浮かんでいる。楽しいと言っていた通り、本当に楽しそうな彼女を見て小さく息を吐く。
 どちらが暇潰しに付き合っているのか分からなくなったような気もするが、暇そうな真莉と、楽しそうな真莉なら、後者のほうが見たいのだ。
 不意に、彼女が足を止める。立ち止まって、一点をじっと見る真莉の視線を、藍も追いかける。
「真莉?」
 彼女が見ているのは、先に小さな猫の飾りが付いたペンダントだ。小声で、「いいな」と呟いた彼女の隣で、値札を見る。
(二千円いかないのか)
 もう一度、真莉を見る。眉を寄せ、どうしようかな、と呟いた彼女を見て、ペンダントを手に取る。
 それに気付いた真莉が驚いたように顔を上げた。黒い瞳を軽く瞠った彼女は「先輩?」と疑問を口にする。
「あの、それ」
「暇潰しに付き合ってくれたお礼。いらないか?」
「あ、えっと、……二千円近いですけど、いいんですか?」
「いいよ」
 言いながら、レジへ向かう。支払いの終わったそれを真莉に渡すと、彼女は小さな袋を握る。
「ありがとう、ございます」
「暇潰しに付き合ってくれてるお礼だから、それはいいって」
 苦笑すると、彼女も苦笑した。それでも言いたいんです、と言って、真莉はほんのりと笑う。
「本当に嬉しいです。今度、何かお礼しますね」
「それだったらお礼のお礼になるぞ」
「大丈夫です。お礼のお礼でも気持ちは込めますから」
 そういう問題じゃないだろ、と言いながら笑うと、真莉も笑う。ペンダントの入った袋を宝物のように鞄にしまった彼女は「外、行きましょ」と藍を見上げる。
「ここの近くに、スパゲティの美味しいお店があるんです。ちょっと早いけど、晩ご飯に行きませんか?」
「そうだな」
 店を出て、真莉と歩く。日の沈みかけた、冷たい空気の中で話しながら歩き、時々笑う。穏やかな、芹菜の言った言葉など思い出すことのない時間に、二人で笑った。 


 早めの夕食を取って藍と別れ、真莉は駅への道を歩いていた。
 誰かと出かけるのは久しぶりで、浮かれていた自覚がある。楽しくて、普段の生活が夢だったらと思ったぐらいだ。
(でも、あれが現実)
 送っていく、と言った藍と別れて一人で駅へ向かったのも、それを分かっていたからだ。楽しければ楽しいほど、帰ってからの出来事が嫌になる。比べて、どうしようもない現実に対して夢であれば、と思うのは分かりきっているのだ。
 かさりと、ナイロンの擦れる音がする。鞄の中に入った、ペンダントの入った小さな袋。それの存在を思い出して、少し泣きたくなる。
 楽しくて、嬉しくて、幸せな時間が続くのは、帰るまでだ。帰って、じい様や義兄に会えば感情を封じ込めなければならない。忘れる為に努力して、思い出さないようにしなければならない。
(本当は、私だって……)
 誰もが当然のように手にしている、『普通』が欲しいのだ。じい様や、義兄の所為で失ったそれを、真莉は未だに求めている。だから、部活に入って、穏やかな時間に身を置くのだ。ごく普通の、どこにでもいる高校生として過ごしたいと、常に思っている。
 じい様や義兄、組織の駒として扱われたいという願望はない。逃げたいし、壊したいと思っているのに、実行する為の力が足りないから、時折逆らって失敗し、その度に罰を受ける。
 その現実に嫌気が差しているのは分かっている。帰る度に待ち受けている現実そのものが夢であれば、と祈って、そんな奇跡など起きないことを思い知らされるのだ。
 改札を通る。ざわざわとした、ひとの話し声。このまま帰らず、どこかに消えてしまおうか。そんな風に考えて、ゆっくりと歩く。
 帰らないといけない、じい様や義兄のいる家ではなく、彼女の記憶に淡く残る家。そこに、帰ろうかと思って路線図を眺めていると唐突に携帯電話が鳴る。鞄の中の、現実から逃げることを許さないそれを取り出して、真莉は溜息を吐く。
「なに?」
 いつもと同じ言葉が聞こえる。帰って来ないことを責める、義兄の声。じい様が呼んでいると繰り返す声に、目を閉じる。左肩から、鈍い痛みが広がった。
 結局、これが現実なのだ。たった一瞬で、夢は終わる。
 そっと、目を開ける。色を失った、灰色の世界で呟く。
「分かってる」
 どうしようもない現実と、それをもたらすひと。じい様や義兄の前から姿を消しても、いずれ見つかる。それなら。
(最初から、あそこを消したほうが早いのに……)
 分かりきっていた結論に泣きたくなった。
 

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