月森真莉 14




 放課後、放送部の扉を開けた真莉は出席率の低いひとの姿を見て「珍しいですね」と呟いた。
「長谷部先輩、最近ずっとサボってましたよね?」
「そーだけど、とうとう文句言われたんだよ。今日来ないと殴るぞ、とか言われたらさすがに出て来るしかないし」
 自業自得ですね、と言って扉を閉める。部室を見渡して隼斗以外の部員がいないことに気付き、時計を見る。まだ、ホームルームをしているクラスが多いのかもしれない。そう思って円卓の、自分の席に座ると、「ねぇ、月森」と彼に声を掛けられる。
「何ですか? 今日、来るのは部長と千原君ですよ。それと、明日は会議です」
「それは分かってるって。ちょっと、本当の話しようよ」
 その言葉に眉を寄せる。本当の話ですか、と呟くと本当の話だよ、と彼は笑う。
「月森さ、今日朝霧と話したんだろ? 昼休みに。あいつ、遅刻してきたから」
「……クラス、一緒ですもんね。先輩から、聞いたんですか?」
「いや、聞いてないよ。単に、あいつが月森の名前出したから。しかも、苗字じゃなくて真莉って呼んでたから何かあったんだろうなって思っただけ」
「そうですか。で、それが本当の話ですか?」
 問うと、彼の笑みが質を変えた。椅子にもたれ、ふっと笑った彼は普段の印象とはまるで違う強者の笑みを浮かべる。
「月森真莉は異能者なんだろ? 何で、朝霧に関わる?」
 その言葉に、表情を消す。ああ、このひとも、と頭のどこかで誰かが囁く。このひとも結局異能者なのだ、と誰かが囁いた。
 一度、目を閉じる。暗闇と、静寂。それを感じて目を開けて、真莉は笑う。
「別に、異能者だから関わってるわけじゃないですよ。私が私だから、関わってるだけです」
 嘘はない。義兄からは知られる前に始末しろと言われたが、それを実行する気はないのだ。だから、告げる。
「私が異能者じゃなくても、あのひとが異能者じゃなくても、私はあのひとに関わったと思いますよ。異能なんて、何の関係もないんです」
 異能なんて必要ない、そんな風に誰かが囁く。必要ないものなの、そう囁く声に、肯定を返す。だって、これがあるから私は逃げられない、そう返して、隼斗を見る。
「だから、心配なんて要りませんよ? 私、何もしませんから」
 信頼出来ない言葉、と誰かが囁くのを無視して、彼女は笑う。いっそ、傲慢に。
 その正面で、隼斗が表情を消した。何もしない、かと呟いた彼は普段通りの笑みを浮かべて円卓に肘を着く。
「じゃあ、月森としては朝霧のことどう思ってるわけ? ただの先輩?」
「何ですか、その質問。長谷部先輩じゃないんだから、普通に『先輩』だって思ってますよ」
「つまり、恋愛感情はないってことか」
「あったら驚きます。まぁ、長谷部先輩よりは好きですけど」
「もしかして俺って月森に嫌われてる?」
「さぁ? どうでしょうね?」
 笑いながら、首を傾げる。部室に来る前に買ってきていたほうじ茶の蓋を開けて、まだ熱い液体を嚥下する。蓋を閉めず、重ねただけのそれを円卓に置いて「先輩が持ってた鈴、渡したの長谷部先輩って本当ですか?」と訊ねると、彼が首を傾げた。
「それ、あいつから聞いた?」
「ええ。で、どうなんですか?」
「まぁ、渡したの俺だけど、俺のじゃなくて預かり物」
「そうですか。あれ、そのうち返さないといけないものですか?」
 訊くと、彼の眉が寄った。どういう意味、と僅かな警戒を含んだ声に真莉は小さく息を吐く。
「いつまでに返さなきゃいけないって期限がないんなら、あのまま先輩に持たせてるほうがいいですよ。あの鈴、力を持ってますから」
 鈴は、邪気を祓う。それは真莉も知っていた。けれど、藍が持っているそれはその力がかなり強い。誰かが邪気を祓うように力を込めたのだろうが、それにしても強すぎるのだ。
(多分、力を込められた鈴を、力のあるひとが持ち続けてた)
 隼斗が誰から預かったかは知らない。柚木の親戚である彼が預かるとすれば成瀬雛か、柚木翔だろう。あの二人のどちらでも、鈴に力を込めることは出来る。邪気を祓い、持ち主を守る為の力ぐらいなら、あの二人は込めれるはずだ。
「月森、それどういう意味? 力を持ってるから、ただそのまま持たせとけって言いたいだけか?」
 警戒の強い隼斗の声に、真莉は頷く。そうですよ、と言って、彼女は笑う。
「それ以外に、意味なんてないですよ。持ってない状態と、持ってる状態で、持ってるほうがいいなら、誰でもそっちを勧めるでしょう?」
「どうだか。少なくとも、月森の言い方だと信用出来ないよ」
「失礼ですね。後輩苛めですか? 酷い先輩」
 笑いながら、真莉は言う。ほうじ茶の蓋を外し、それを傾けて、温かいお茶を飲む。半分ほど減ったそれに再び蓋を重ねると、部室の扉が開いた。
「お、今日は来たんだな」
「そりゃ、部長様に来ないと殴るぞって脅されたら来るしかないよ。感謝しなよ」
「お前、どっちだよ。ていうか、何様だ」
「幽霊部員でありたいけれど顔出したい複雑な部員」
「たまには本心言え。そんなんだから成瀬に胡散臭そうな目で見られるんだぞ」
「芹はいいよ。あれはあれで楽しいし」
 変態だな、と部長が話を締めくくる。いつも通り部屋の奥に進んだ彼のあとに、千原が顔を出した。
「うわ、長谷部先輩だ。今日も来ないかと思ってたんですけど、来たんですね」
「脅されたからね。来るしかなかった」
「自業自得って言うんじゃないですか、それ。月森、今日放送どうする?」
「千原君に任せる。私、本番だと凄く緊張するから」
 やればいいのに、と呟いた千原に苦笑を向ける。緊張しなくなったらやるよ、と言いながら、来年まで放送することはほとんどないだろうなと考える。
 いま、義兄は三年だ。今年で卒業していく彼は、真莉が部活に入ることに反対していた。駒として扱いにくくなるという理由で反対した彼の意見を無視して彼女は放送部に入った。けれど、未だにどの部活に入ったかは言っていないし、言いたくもない。出来る限り、彼が学校にいる間は放送をしたくないのだ。
(本当、最悪……私も、あのひとも)
 放送部は好きだ。ここに来れば、家に帰ったあとに待っていることを考えなくてすむ。時折騒がしい、どこにでもある部としての空気が好きで、真莉はここに顔を出している。
 話の輪に入らず、ただ眺めているだけでも楽しいのだ。だから、いつも通り部長と隼斗の会話を聞く。
「で、お前どこまで幽霊部員やるつもりだよ」
「あと数週間じゃない? 親戚に面倒事押し付けられてるから」
「まぁいいけどな。今日はお前と千原で放送しろよ。それから月森」
 名前を呼ばれ、真莉は首を傾げる。何ですか、と問うと、真剣な顔をした部長に「はっきり言うが、お前はこのままだとやばい」と告げられる。その言葉の意味が分からず、彼女は隼斗を見る。
「長谷部先輩、部長の真意、分かります?」
「いや、さっぱり。あれじゃない? このままだとお前の仕事がなくなる、とか」
「ああ、なるほど。部長、大丈夫です。私、掃除好きですから」
 言うと、そうじゃない、と否定される。こてりと首を傾げ、「じゃあ、どういう意味ですか?」と聞き返し、彼の言葉を待つ。
「お前、このままだと半幽霊部員になるぞ」
「何ですか、半幽霊部員って」
「来ても一切活動しないやつのこと。俺が考えた」
「そうですか。でも、大丈夫ですよ。緊張しなくなったらやりますから」
 もう半年経ってるんだよ、とぼやいた部長に、まだ半年ですと返す。まだ、半年しか経っていないのだ。義兄が卒業するまで、あと半年残っている。それまで、彼女は放送を出来ない。部活がばれて、邪魔をされるのが嫌なのだ。
 溜息を吐いて、「じゃあ、自習するので」と一言告げる。鞄から取り出した教科書とノートを広げて、自習しながら部員たちの話を聞き流す。
 帰りたくないな、と思った。ただいるだけで、落ち着く場所から動きたくない。重く暗い、毒が満ちているような場所には戻りたくないのだ。
 空いたままの鞄から、携帯電話が見える。それが僅か震え、着信を告げる。義兄か、じい様からの呼び出し。行きたくないと思ったそれを、彼女は無視した。
 

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