月と秘密 12




 駅を出て、真莉は帰路を急いだ。既に日が沈み、気温が下がっているのだ。制服でもあるブラウスとスカート、ブレザーの代わりに羽織っている長袖のパーカーだけでは肌寒い。
(バレたかな)
 息を吐いて、そう考える。隼斗や、彼の隣にいた成瀬芹菜、それから偶然目が合ってしまった藍の会話は彼女の耳にも届いていた。一応、他人に聞こえないように配慮していたようだが、周囲の情報に気を付けていなければならなかった真莉の耳は彼らの会話を拾ってしまった。
 異能者だということは、ほぼ間違いなくばれただろう。いくつかある一族の中で柚木はトップクラスだ。あの一族の最強は、異能者全体の最強でもある。そして、成瀬芹菜は本家である柚木に次いで力のある分家の纏め役、成瀬の家の次女。あの一族の平均ぐらいの能力はあるはずだ。
 その彼女が異能者だと見抜いた自分を、隼斗は異能者だと判断するはずだ。成瀬ほどの能力があるわけではないが、長谷部という家も異能者全体で見るとそこそこの力を持つ。たとえ異能者だと見抜けなくても、漠然とした違和感は感じるはずだし、それに成瀬芹菜が異能者だと見抜いたという事実を足すと月森真莉が異能者でない可能性などなくなる。
 早足で歩く。ここ最近、じい様からの指示だけではなく義兄の指示が増えてきた。それに対応する為に行動する場所で、朝霧藍と会うことが多すぎる。
(危ない、かな)
 異能者だとばれて、その上『兄に頼まれて何かをしている』。これだけで真実に気付く者は少ないだろうが、その内情報が増えれば真実に辿り着くことも出来る。
 一度足を止め、息を吐く。暗い空から視線を外し、再び歩く。
 どうせなら、完全にばれてしまえばいい。そうなれば月森は解放される。そういう風に考えて、真莉は首を振る。
 解放されるには、じい様の権力を無にしなければならない。そしてそれは、組織の崩壊を意味する。ただ全てを知られるのではなく、その結果組織の崩壊がなければ、月森は解放されない。
(自分で、やるしかないか……)
 歩きながら、もう何度も考えたことをまた考える。じい様をトップとした、組織の崩壊。父がやろうとして失敗し、謝っていたこと。父だけでなく、母や祖父、祖母も同じことを考えていた。そして、祖父は言っていた。月森であれば、誰もが同じことを考えて実行し、そして失敗していると。
 何代も何代も、同じ目的を持って。その実現にことごとく失敗しながらも、諦めることは出来ずに同じことを考える。ただ、解放される為の組織の崩壊を願う。
(分かってるくせに)
 何代も同じ目的を秘めていたのだ。トップである人間は、『月森』が起こそうとしている反逆に気付いているはずだ。それを押さえ込み、実行させない力に真莉は唇を噛む。
 一度、じい様と義兄の命令に逆らったことがある。その時は三日間の謹慎を言い渡された。その間、幾度となく繰り返された言葉はまだ彼女の耳に残っている。
 歩きながら首を振る。思い出しかけた声を封じ込め、早足で歩く。
 見えてきた古い洋館へと急ぐ。急ぐのは足だけで、彼女自身は帰りたくないと思っている。その感情を表に出さないように気を付けながら門をくぐり、扉を開ける。
 古い洋館に漂う、重苦しい空気。歴史があると言えば聞こえのいい、ただ陰鬱なだけのそれにほんの一瞬顔を顰め、すぐに切り替える。
 階段を上り、じい様の部屋へ向かう。コンコンと二回ノックして、入れという声を聞いてから扉を開ける。
「失礼します」
「ああ、真莉か。遅かったな」
「申し訳ありません。少し、予想外のことが」
 言うと、老いた男が首を傾げる。予想外、と独り言を呟いた男に彼女は告げる。
「成瀬と、長谷部の二人に会っただけです。彼らに、私が異能者であると知られました」
「ああ、あそこは鋭い。お前が異能者だと知られるのは時間の問題だっただろうな。月森がばれたのか?」
 その問いに彼女は沈黙する。まだ、月森が何であるかはばれていない。けれど、成瀬芹菜が呟いていた言葉は彼女の耳にも聞こえていた。この情報を、正直に言うか、それとも隠し通すか。数秒で思考する彼女の前で、じい様が笑う。
「それも、時間の問題か?」
「…………はい。知られる可能性だけは、あると思います」
 仕方なく、そう告げる。彼女は、芹菜の性格を知らない。気になったことをとことん調べるのならば、月森の存在は近い内に知られる。けれど、そういう性格でないのならば、知らない。
「知られたのは、成瀬の次女と長谷部の三男か?」
「……あ、はい。その二人です」
「他は?」
「ただの、一般人が一人」
 誤魔化すように告げる。朝霧藍は異能者だ。体質なのか、それとも能力なのかはっきりしていなくても、一般人と言える存在ではない。けれど、家系に繋がっているわけではない彼を、じい様は調べないはずだ。異能者の事情に巻き込まれるべきではないと判断して嘘を吐いた真莉の前で、じい様はゆるく微笑む。
 なぁ、真莉、と穏やかに笑った彼は真莉の髪を一房持ち上げる。茶に近い、黒色の髪。それを持って、じい様は笑う。
「お前は母親似だな。だが、髪だけは父親似だ。それ以外、外見は全て母親に似ているのにな」
 その言葉に、真莉の血の気が引いていく。言わないで、と言おうとして、声が出ないことに気付く。けれど、じい様は続ける。
 目元の黒子は母親にはなかったな、あぁ、父親にもなかった、お前だけだ、そう言って、彼の手が一度離れる。持ち上げられていた髪が落ちて、ぱさりと僅かな音が立つ。
「あの男の娘だと、思えんなぁ……真莉は、役に立つ子だ。それに引き換え、あの男は」
 役に立たなかった、とじい様は呟く。その言葉に含まれた怒りに、真莉は両親の顔を思い出す。
 気の強い母と、穏やかな父。正反対の性格でありながら、互いの短所を補うように仲のよかった二人。どちらも、じい様の所為で真莉の前から姿を消した。
 あなたが、と呟く。あなたが、私から、そう呟いて、叫ぼうとした時に唐突に扉が開く。
 驚いて、振り向く。赤い絨毯の上、静かに佇むのは義兄だ。じい様、と声を掛けた彼は室内に入って真莉の右腕を掴む。
「報告は御済ですか? なら、少し借りたいんですが……」
「ああ、もういい。真莉、ご苦労だったね」
 じい様の言葉を聞いて、義兄が部屋を出る。彼に引き摺られるようにして部屋を出て、真莉は訊ねる。
「義兄さん、どういうつもり?」
「お前、さっきじい様に嘘伝えただろ。朝霧藍は一般人じゃなくて異能者のはずだ」
 その言葉に、息を呑む。聞いてたの、と問うと彼は足を止め、真莉を見下ろす。
「聞いてたよ。お前は月森で、反逆者の素質を持つ。なら、疑いは向けておくべきだろう?」
「…………私が、反逆しないって可能性もあるでしょ」
「ない。一度、命令に逆らって失敗したぐらいで諦める性質か?」
 問われて、黙る。諦めていないのは事実だが、肯定すると後々面倒になる。それを考え、沈黙を保つ彼女の前で義兄は笑う。
「そうやって黙るのが証拠だ。さっさと諦めて、ここに慣れればいい。そうすれば、反逆する気も起きなくなる」
 彼の言葉に俯く。反逆する気など起きなくなる、そう言われても、それをいいことだとは思えない。ここに慣れてしまえば、ひととしてどこかずれてしまう気がする。
 慣れたくない、そう思っていることを隠して、彼を見上げる。じい様の部屋から連れ出した理由は、と問うと、彼は笑みの質を変える。
 何かを企むその顔で、彼は囁く。その言葉に、真莉は目を瞠った。
 

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