月と秘密 11




「そういえば、金曜からあとの予定って聞いてるのか?」
 改札を通りながら聞くと、芹菜が首を傾げた。「金曜からあと?」と鸚鵡返しに呟いた彼女は眉を寄せる。
「聞いてるけど、なに?」
「いや、まだあるんならいろいろ予定立て直さないと面倒なだけ」
「ああ、そういうこと。次、日曜と火曜日よ。いまのところ」
「…………増える確率は?」
「五割。いい機会だからって増やすかもしれないけど、さすがに予想出来ない」
 いい機会って何だよ、と言いながら歩く。駅を出て日の沈み始めた空を見、藍は溜息を吐く。
「最近増えたよな、靄」
「確かにね。しかも、共食いだとか、巨大化だとか、凶暴化ばっかりよね。夏は終わったのに」
 怪談の季節は過ぎたわよ、とぼやく芹菜を見下ろし、藍はふと思ったことを訊ねる。
「夏の間に共食いして、今更表に出てくるってありえると思うか?」
「微妙。共食いを繰り返しすぎて限界が来たっていうのならありえると思うけど…………それにしたって時期がおかしいでしょ」
「芹、まだ十月だしありえるんじゃないの?」
「隼斗、もう十月って言うほうが正しいでしょ? 怪談は七月と八月よ」
 だから時期外れてるわよ、多分、と彼女は呟いた。歩きながら三人で話し合うが、結論は『靄が増えた理由は分からない』。理由があるのかもしれないが、芹菜や隼斗は分からず、同じように藍も分からない。考えるだけ無駄だって、と隼斗が告げて、芹菜が溜息を吐く。
「確かにそうね。こんなの、考えるだけ無駄よ。答えが分かって、それで靄が減るってわけじゃないんだし」
「身もふたもないこと言うなよ」
「だって考えても靄減らないじゃない。なに、朝霧がこれの答えに気付いて、それで靄全部減るの?」
「そんなわけないだろ」
 じゃあ考えるだけ無駄と芹菜は言い切る。もしかしてこいつ短気か、と口の中で呟くと隼斗が笑う。
「朝霧、いま考えてること正解」
「あ、やっぱりそうなのか?」
「うん。雛とか翔さんに比べて、どうしても気が短いよ、芹」
「あの二人と一緒にするのが間違ってるのよ」
 怒ったら危ないひとと比べるのは変、と彼女は言う。その言葉に疑問を覚えて、藍は芹菜に問う。
「怒ったら危ないってどういうことだ?」
「そのまま。姉さんとか翔さんっていまでこそそんなことないけど、小さい頃は自分の能力の制御だって完璧じゃなかったの。で、その時にあんまり怒ると箍が外れるかもしれないって教えられてたのよ。だから、二人とも出来るだけ怒らないようにしてて気が長いの」
「まぁ、雛とか物凄い穏やかだよな。怒ることとかなさそうだ」
 呟くと、芹菜が眉を寄せた。同じように、隼斗も眉を寄せている。朝霧、と隼斗に名前を呼ばれ、視線を動かすと彼は緩く首を振る。
「それ、雛の外面。雛だって滅茶苦茶怒るよ。ていうか、俺と芹、翔さんに叱られたことはほとんどないけど、雛には両手じゃ足りないぐらい叱られたから」
「…………外面って言うか、身内とそれ以外の差じゃないのか、それ」
「そうかもしれないけど、まかり間違っても『穏やか』じゃないから。俺なんて未だに雛が笑ってるの見ると裏があるんじゃないかって思う」
 お前昔何やったんだ、と聞くと即座に言わないよ、と返される。芹菜に視線をやっても、同じように黙秘権行使するわね、と言われる。
 仕方なく諦め、溜息を吐く。雛の家に向かう為歩いていると、道の先に茶に近い黒髪の少女を見つける。長袖の黒いパーカーを羽織った彼女も見上げていたビルから視線を下ろし、藍と視線が合う。驚いたように軽く目を瞠った彼女に声を掛けるべきかどうか迷っていると、先に隼斗が彼女に声を掛けた。
 月森、と呼ばれた彼女は軽く頭を下げ、「偶然ですね」と呟く。
「長谷部先輩、今日休みって聞いてましたけど……もしかしてサボリだったんですか?」
「いや、用事があっただけ。もう終わったから、今から親戚の家行くとこ」
 月森は、と彼は問う。けれどその言葉に、彼女は淡く笑った。
「ちょっと兄に頼まれたので、それで」
「そっか。て言うか、月森こそサボリなんじゃないの? 今日、休みだっけ?」
「途中で頼まれたから、抜けてきたんです。いまじゃないと駄目だって急かされて」
「どういう兄?」
「こういう兄です。じゃあ、失礼します」
 もう一度頭を下げ、彼女は駅へ向かう。その後姿を芹菜が睨んでいることに気付いて、声を掛ける。
「成瀬、どうしたんだ?」
「……隼斗、あの子名前は?」
 その問いに隼斗は眉を寄せる。月森がどうかした、と訊く彼に芹菜は短く告げる。
「異能者よ、あの子」
 異能者、という言葉に一瞬疑問を覚え、すぐに意味を理解する。分かるのか、と藍が問うと、芹菜は頷く。
「分かるわよ、普通に。隼斗、もしかして気付いてなかったの?」
 彼女は隼斗を見上げる。藍と同じように芹菜の言葉に驚いていた彼は苦笑して「芹じゃないんだし、気付かないよ」と告げる。
「言われるまで全然気付かなかった。何か違和感あるなとは思ってたけど、そっか、そういうことか」
「ちょっと待て、俺は違和感も何もなかったぞ?」
「そりゃ、朝霧は鈍いんじゃないの? それか、半分体質だから弱いとか」
「もうちょっと気を使え、直球過ぎるだろ、その言い方」
 いや、だって面倒だし、と開き直りのように告げる隼斗を見て、藍は溜息を吐く。それに重なるように、芹菜が囁く。
「でも、何であの子こんなところにいたの。あのビルだって、昔異能者たちがいただけじゃ……」
 顎に指をやり、芹菜は眉を寄せる。そもそも月森って、と呟く彼女の頭に隼斗が手を置き、「芹、考え込むのはいいけどせめて歩こうよ。雛のとこ行かないと駄目なんだし」と言う。
「…………まぁ、歩くわ。隼斗、月森家って聞いたことある?」
「ないよ。雛か翔さんに訊けば?」
「そうする。私も聞いた記憶がないから家系じゃないのかと思ったんだけど、あの子、どう見ても家系に繋がってるのよ」
 歩きながら、彼女はそう言う。どう見ても、と言う言葉の真意が分からず芹菜を見ると、それに気付いた隼斗が口を開く。
「家系に繋がってない異能者って、大抵制御が甘いんだよ。自己流で何とかするしかないから絶対にどこかに綻びがあるんだけど、家系で異能を維持してるところだと制御に関しても先人の知恵があるから、よっぽど強い能力を持ってない限り十になる前に制御出来るようになる。多分、芹の目から見て月森には制御出来てないところがなかったんだと思う」
 だから気になってるんだよ、と締めくくられ、藍は首を傾げる。
「制御がどうとか、見ただけで分かるのか?」
「一定以上の能力があれば。まぁ、平均以上の能力の持ち主だと誰でも分かるはずだよ、確か」
「成瀬って平均じゃないのか? 一族平均とか言ってただろ?」
 ああ、それ勘違い、と隼斗は右手を振る。勘違いってどういうことだ、と藍が聞き返すと彼は薄く笑う。
「一族平均と、異能者全体の平均は別だよ。基本的に柚木って強いひとが多いから、平均も高いんだ。芹は一族平均でも、異能者全体で見れば優秀。俺なんて柚木だと弱者だけど、異能者全体で見るなら平均だよ」
「…………紛らわしいな」
「いや、俺たちにとってこれが普通だから。芹だって何かの時に訊かれたら『平均です』って言ってるし」
「勘違いするんじゃないのか?」
「ないよ、そんなこと。向こうも成瀬って聞いて柚気の分家だって気付くから」
 その言葉に藍は溜息を吐く。きっと、家系で異能を維持している家に生まれた者は異能者の家系、その名を叩き込まれるのだろう。いくつあるのかすら分からない家々の名前を教え込まれるという事実に溜息を吐いた藍の前で、隼斗は笑う。
「まぁ、家系で維持してる家に生まれるか、そうじゃない家で偶然異能を持つか、そのどっちがいいかなんて俺は知らないけど。個人的にはよほど強い能力じゃない限り家系で維持してるところに生まれたほうが幸せだと思うよ」
 あっさりと述べられた彼の意見に芹菜が顔を上げる。その白い顔に僅かな驚きが浮かんでいるのを見て、藍も気付く。
 召喚して束縛するのが本領である柚木の中で、どちらにも向いていない者は弱者。そういう風に扱われることもあると、彼は告げていた。精霊を従えることに向かず、異界から何かを召還することにも向かないと言っていたのだ。
「長谷部お前」
「ああ、ごめん、訂正。物凄い強い能力を持つか、弱者って言われるほど弱くない限りは家系に生まれたほうが幸せだと思うよ。まぁ、俺の場合異能者全体の平均っていう力量だから生き方はあるけど」
「…………そうか。何で物凄く強い能力を持ったやつは家系に生まれないほうがいいんだ? 制御に関しては家系のほうがいいんだろ?」
 強すぎる能力を持って、それを制御出来ないよりはきちんと制御出来るほうがいいのではないかという意味を含めて問うと、彼は笑った。
「まぁ、制御に関しては家系のほうがいいよ。でも、あんまり強すぎると家系独特の問題も出てくる」
「問題?」
「本家よりも強いから本家の顔に泥を塗った、とか」
 その言葉で、唐突に雛の顔を思い出す。彼女の能力の強さを、芹菜は『歴代三位』と言っていた。上にいるのは、たった二人。まさか彼女がそれなのかと思って言葉を失うと、隼斗が藍の肩を叩く。
「朝霧、顔に出てるから。雛の場合はぎりぎりで大丈夫だよ、翔さんが『歴代二位』だから。まぁ、上の弟さんより強いせいでそのひとに逆恨みされたらしいけど、問題にはなってないらしいし」
「…………お前の言い方だとお家騒動でもあったのかと思うんだよ、紛らわしい」
「いや、さすがにそんなことは起きないって。と言うか、俺も見てみたいよ、お家騒動」
 凄い面白そう、と呟く隼斗を見ながら「お前めちゃめちゃ性格悪いな」と言うと芹菜が口を開き、「隼斗の性格が悪いのなんて五年前から変わってないわよ」と告げる。それに驚いて隼斗を見ると、彼は笑いながら「まぁ、間違ってないけど」と言う。
「それより、着いたよ。雛に連絡するの忘れてたけど」
「多分、大丈夫でしょ。駄目だったらあとでもう一回来ればいいし」
 二度手間だな、と藍が呟くと「その場合朝霧は来なくていいわよ、明日言うから」と芹菜が告げ、隼斗を藍より先にマンションに入った。


 チャイムを押すとすぐに雛が顔を出し、にっこりと微笑む。それを見て隼斗の顔が引き攣るのを見て本当に苦手なんだな、と思っていると「朝霧、さっさと入らないとドアで挟むわよ」と芹菜に急かされた。
 お邪魔します、と呟いてリビングに向かう。既に四人分の紅茶を用意してテーブルに着いていた雛は芹菜に向かって微笑む。
「六体も呼び出した理由は?」
 ねぎらいの言葉でも報告を急かす言葉でもなく、端的に失敗の理由を聞くような言葉に芹菜の顔が引き攣った。それは、と普段よりも覇気のない彼女の声に雛は笑みを深くする。
「紫苑から聞いてたの。三人とも怪我をしなかったのはいいことだけど」
 にっこりと微笑んだ彼女に芹菜だけでなく隼斗も距離を取る。彼女が叱ろうとしているのは芹菜だけのはずだが、隼斗や藍も雛から発せられる威圧に声を呑む。
(うかつに口挟むとこっちに飛んできそうだな)
 彼女が話し掛けて来るまで黙っていよう、と決めて雛と芹菜を見る。僅かに顔を青くした芹菜が雛に向かって口を開く。
「二体じゃ時間が掛かりすぎるって分かったから、つい」
「そう。芹菜、限界は七よね? 限界ぎりぎりまで呼び出して戦うひとのことなんて言うか分かる?」
 その問いに芹菜は首を振る。分からない、と呟いた彼女を見て、雛は笑みを深くする。
「ほとんどの場合、そういうひとのことは馬鹿って言うの。時々、馬鹿じゃなくてうかつ者っていうこともあるわね」
「…………つまり、私は馬鹿ってこと?」
「ええ、馬鹿ね。それが嫌なら未熟者って言ってあげるけど、どっちがいい?」
 こてりと、彼女は首を傾げる。仕草だけ見るなら可愛いそれは発せられる威圧のせいでかなり怖い。真正面で怒られている芹菜の頬を冷や汗が伝うさまを見て隼斗が「口出し出来ないな」と呟くと雛の視線が彼に向く。
「隼斗、何か言いたいことあるの?」
「いえ、ないです。気にせずにどうぞ」
「そう、じゃあ、黙ってて」
 はい、と隼斗が呟く。雛が怒っているところなど一度も見たことがない藍は「まかり間違っても穏やかじゃない」という隼斗の言葉に頷く。
(穏やかなだけじゃないな、確かに)
 身内相手だから容赦なく怒っている、と言うわけでもないのだろう。にこにこと笑いながら本気で怒る人間は少ないはずだ。
「でも、六体もいらないでしょ? 最初から戦闘向きのを一体でも呼び出せば、それで足りるわ」
「だって、見ただけじゃそこまで分からなくて」
「そういうところが未熟なの。見ただけでも分かるようになりなさい。それと、限界ぎりぎりまで呼び出すなんて馬鹿なことはしないように。その内倒れるわよ」
 雛の言葉に芹菜は俯く。靄を退治したあとに疲れた、と呟いたり、六体も呼び出している最中は気を抜くと危ないと言っていたのだ。当事者でない藍から見ても彼女の限界は近かったのだ。彼女自身、限界に近すぎることは分かっていただろう。
 さてと、と独り言を呟き、雛は視線を動かす。隼斗と藍を見て、彼女はにっこりと微笑んだ。
「で、そこの二人は自分から何か失敗したと思うことある?」
「…………戦闘中に振り向いて芹に文句言った」
「うん、それは紫苑から聞いてる。朝霧君は?」
「靄が出て来たあと何もしてない」
「囮だからそれでもいいわよ。じゃあ、今回一番問題があったのは芹菜ね。翡翠、メモない?」
 振り向き、彼女が問うと即座に翡翠が現れる。自分で取ったほうが早いんじゃないの、と言いながら彼は雛にメモ用紙とボールペンを渡す。
「で、何書くの?」
「報告する時のメモ。あんまり書くことないけど」
 言いながら彼女は二、三行書き、それを裏返してテーブルに置く。
「で、次は金曜ね。そのあと、日曜と火曜お願い」
「そのあとは?」
「いまのところないけど?」
 言って、彼女はテーブルの上の薄い紙を三枚取る。芹菜と隼斗、藍に一枚ずつ配り、「じゃあ、各自それ見ておいて」と笑う。
「金曜は忙しいから、土曜に芹菜に電話するわ。その時、情報も伝えるから、ちゃんと朝霧君にも連絡するのよ?」
 芹菜を見て笑う彼女に、藍は声を掛ける。
「俺に直接電話したら早くないか?」
「早いけど、いつ電話できるか分からないの。あんまり変な時間になると駄目だから」
「雛、俺と芹にはいつかけても大丈夫って思ってるってこと?」
 隼斗の問いに、彼女は笑う。言葉にしないまま隼斗の問いを肯定した彼女の後ろで、翡翠が薄い笑みを浮かべる。
「まぁ、当然じゃないの? 修行ついでに靄退治まで全部投げてるんだし」
「全部?」
 彼の言葉に疑問を覚え、藍は雛を見る。全部投げてる、と言う翡翠の言葉に額を押さえた雛は「なんでそういう言い方するの」と呟いて翡翠を見る。
「別に、全部投げてるわけじゃないでしょ? 危ないのは渡してないんだもの」
「その代わり、修行に使えそうなやつは全部投げてるじゃん。それに、危ないのなんて一つあるかないかだし」
「そうだけど、全部投げてるわけじゃないんだから口出しせずに黙ってなさいよ」
「雛、暴君になりたいの?」
「なりたくない」
 そう言って、彼女は翡翠との会話を終える。ほぼ丸投げされていたという事実に藍が苦笑すると、芹菜に睨まれる。笑いごとじゃないわよ、と呟いた彼女は雛を見て口を開く。
「姉さん、ほぼ全部丸投げってどういうこと?」
「修行によさそうだから、つい。私たちの時と比べてやさしいんだし、いいでしょ?」
 首を傾げながら問われた言葉に芹菜は唇を噛む。文句言いたい、と溜息を吐いた隼斗を見て、藍は「面倒だな」と呟いた。

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