月と秘密 10




「で、今日はどういうのなんだ?」
 藍が問うと芹菜が首を傾げる。「姉さんから聞いてないの?」と問うた彼女は隣の隼斗を見上げて説明よろしくと告げる。
 一週間前に比べて彼女の感情が読めるようになってきたが、それでもどういうつもりなのか分からない。自分で説明する気ないのかよ、と呟くと「ないわね」と答えが返ってくる。呆れて溜息を吐くと隼斗が笑った。
「まぁ、芹の説明って基本的に分かりにくいし、仕方ないって。で、今日のだけど靄が三体ぐらい合体したんだって。早い話が共食いだね。雛が言うにはそこそこ強いの一体と、普通ぐらいの一体と、弱いの一体がいたらしい。その三つだから、かなり強力になってる可能性があるってさ」
「…………精霊、借りれたのか?」
「翡翠は借りれなかった。何回も俺に頼るな馬鹿、って言って、さすがに姉さんの言うことまで聞かないってなると無理だったの。その代わり、翔さんから紫苑借りてきた」
「紫苑?」
 芹菜の挙げた名前に首を傾げる。雛の精霊ではない名前に誰だそれと言うと隼斗が笑う。
「まぁ、すぐ分かるって。雛と違って、翔さんってあんまり精霊呼び出さないから精霊もそっちに慣れてて姿見せないし……、危なくなったら出てくるよ」
「それはそれで嫌だな」
「けど、あんまり戦闘に向いてないんだよ、紫苑って。翔さんからも『怪我した時ぐらいしか協力するなよ』って言われてたし、多分翔さんと雛は俺と芹の修行代わり、ぐらいの気持ちでいると思うよ。朝霧はそれに巻き込まれただけ」
「バイト代の値上げ交渉がしたくなった」
 呻くように言うと、隼斗だけでなく芹菜までも笑った。小さく、けれど確かに声を上げて笑った彼女の顔を驚いて見ると隼斗も同じように驚愕を浮かべていた。
「芹、何年振り?」
「知らない。九年ぶりぐらいじゃないの? もしかしたら十年振りぐらいかも」
 だって面白いんだもの、と彼女は笑う。この状況で値上げか、と呟いてくすくすと笑う彼女の顔は姉である雛に似ている。それを意外だと感じる朝霧の前で、隼斗が溜息を吐いた。
「まぁ、芹のツボに入ったんならそれはそれでいいけどさ。とりあえず、行くよ」
 彼は芹菜の背を押す。遠いんだからさっさと歩くよ、と告げる彼に笑って、芹菜は歩く。その後を追いかけながら、やっぱり分からねぇ、と藍はぼやいた。


 青い水だけが湖を満たしている。靄が出るということを聞かされていなければ、そこそこ綺麗だと感じたそれの前で、藍は足を止める。
「で、ここで出るのか?」
「雛が言うにはここ。芹、準備は?」
「大丈夫、出来てるわ」
 言って、彼女は藍と湖から距離を取る。準備するから話しかけないで、と呟いた彼女は目を閉じ、藍には分からない言葉を紡ぐ。
 意味があるはずの言葉の羅列。けれど、そこにあるはずの意味を藍は感じ取れない。あとで雛に聞くか、と呟くと同時に肌が粟立ち、どこからか黒い靄が現われる。
 先週の土曜に見た靄よりも更に大きい、五メートル近い靄、それを見上げて息を呑んだ藍の肩を隼斗が叩く。
「朝霧はさっさと下がる。俺と芹で何とかするから」
「……、ああ……」
 頷いて、湖から距離を取る。芹菜の後ろには下がらず、彼女と隼斗の中間で足を止めて靄を見上げる。
 今まで見た中で一番大きい靄。共食いの結果巨大化したと言われる靄、その凶悪さに冷や汗が背筋を伝う。
「何で…………」
 元々、靄が共食いを繰り返すことはある。けれど、それは夏に行われることのほうが多い。今の季節は秋だ、既に夏を過ぎ、彼らが共食いを繰り返す季節は終わっているにもかかわらず、ここ最近の靄は共食いを繰り返したものが多い。
 単なる偶然なのか、藍には分からない。靄に詳しい者などいないのだ。雛も、最近の靄の多さは不思議だと言っていた。彼女も、この状況に疑問を抱いたままだ。
 唐突に、背後から風が吹く。ただの風だというには違和感のあるそれに振り向くと、芹菜が薄く微笑んでいた。
「還るまでの間よ、ここにいるのは」
「承知した」
 人型の、けれど人間ではない存在。雛の精霊にも似た存在に目を瞠る藍を見て、芹菜は告げる。
「朝霧、大人しくしてて。出来るなら私の後ろに下がって、それこそ彫像にでもなってて」
「……雛といい成瀬といい、彫像みたいにって言えば相手が大人しくなると思ってるのか?」
「ええ。少なくとも隼斗は大人しくなるから。姉さんも、翔さんには通用するって言ってたわよ」
 いや、その二人以外には通用しないだろ、と言って彼女の後ろに下がる。彼女の隣に立つ人型のそれは「命令は?」と感情を感じさせない声で問う。
「靄の退治、お願い」
 彼女の言葉に頷き、靄へ向かうそれは雛の精霊に近い。彼らと同じように人の形を取り、命令を聞く。二十代前半の青年に見えるそれは靄に対して攻撃を始める。
 それを見ながら、芹菜は眉を寄せる。これじゃ、と小さく呟いた彼女は隼斗に向かって声を上げる。
「隼斗、私は攻撃と補助に回る!」
「了解! 何秒いる!」
「二十五!」
 叫んですぐ、芹菜は再び小さく呟き始める。近くにいても意味の分からない言葉が彼女の宣言通り二十秒ほど続き、その結果として再び人型の存在が現われる。
「命令は?」
「靄の退治、及びそれの補助」
「承知」
 言葉と同時に、それは走る。芹菜の呼び出したもの二体と、隼斗、三人がかりの攻撃で少しずつ靄の体積が減っていく。それを見ながら、芹菜が舌打ちする。これじゃ足りない、と呟いた彼女はまた二十秒ほど呟き続ける。
 最初二回と同じ言葉の羅列。締めとなっていた言葉から先を彼女が紡ぎ出したことに気付き、藍は彼女を見る。
 僅かに焦った、彼女の顔。焦りながらも彼女は言葉を続け、そして三度人型の人外を召喚する。
 それも、同時に四体。
 無茶のし過ぎではないかと息を呑む藍の前で、彼女は息を吐く。
「靄の退治、補助、頼んだわよ」
 彼女の言葉に、人型のそれらは従う。攻撃と、それの補助に加わった四体の人外に隼斗が驚いたように振り向く。
「芹、何考えてるんだよ!」
「だって遅いんだもの! それより前向きなさいよ! あんた馬鹿でしょ!」
「馬鹿は芹だろ! 何体呼び出してんだよ!」
「六! 別にいいでしょ、私の限界七なんだから!」
「限界ぎりぎりまで呼び出すっていうのが馬鹿なんだよ! 帰ったら覚悟しろよ!」
 叫んで、隼斗は再び靄に向かう。二人が言い争っている間にも攻撃は加えられ続け、靄は最初の半分ほどの大きさになっている。
 六体の人外と、隼斗が攻撃を加え続けるさまを眺め、唐突に藍は疑問を抱く。
「成瀬」
「何よ、言っておくけど聞きたいことがあるなら短く言って。気を抜くと危ないから」
「長谷部って、どういう能力を持ってるんだ?」
 問うと、彼女の眉が跳ねた。面倒なこと聞くわね、と呟いた彼女は隼斗本人には聞こえないよう声を落として話す。
「召喚と束縛に向かなかったのよ、隼斗。だから、持ってる力だけを活かすことにして、土師さんに弟子入りして、言霊を使えるようになった。詳しいことは本人に聞いて、私だって大雑把にしか把握してないから」
「…………分かった」
 溜息を吐く。人外六体と、隼斗の攻撃によって靄は消える。それを見てほっとしたように息を吐いた芹菜は召喚していたものを元の世界に還し、小さく呟く。
「疲れた……」
「だから言っただろ、馬鹿! あとで雛に言うよ、今回のは」
「別にいいわよ。でも、本当に疲れた……今日の晩ご飯、手抜きしてもいい?」
 その問いに隼斗が溜息を吐いた。言わんこっちゃない、そう呟いて、彼はもう一度溜息を吐く。
「いいけどさ、その前に雛に報告しないと。朝霧も一応ついて来て」
「帰ってもいいか?」
「駄目だって。どうせ、報告のあと金曜の分の説明も聞くだろうし」
 言われ、藍は溜息を吐く。さっさと帰りたいんだがな、と呟くと「私もさっさと帰りたいわよ」と芹菜が呟く。俺もさっさと帰りたい、と隼斗までも言い、三人揃って帰りたいを連呼して気が済んでから歩き出した。

Copyright (C) 2010-2016 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system