束の間の日常 08




 最悪だ、と呟く隼斗を先頭にして廊下を歩く。先週の木曜にも歩いたとはいえ、普段足を踏み入れない階の廊下は慣れ親しんだ廊下とは雰囲気が違う。
「とりあえず、芹も朝霧も大人しくしてて。部外者がいてもまぁ、よくあることだから気にしないだろうけど、邪魔になるようだったら追い出さないと駄目だから」
「つまりあれか? 放送中は黙っとけってことか?」
「そういうこと」
 頷いた隼斗は扉を開ける。既に三人の部員がいる室内に足を踏み入れた彼は「ごめん」と部員に声を掛ける。
「ちょっと知り合い二人入れる。一応、邪魔しないようには言っといたから」
「俺は平気ですよ。月森は?」
「私も大丈夫です。ちょっと飲み物買って来ますね。部長、要ります?」
「要る。炭酸買って来てくれ」
「分かりました。他のひとはお茶でいいですか?」
 彼女の問いに隼斗が「月森、この二人のは買わなくていいよ」と応える。それを聞いて、彼女は首を傾げる。
「いえ、四人分買うのも六人分買うのも変わりませんから」
「変わるって。さすがにそんなに持てないんじゃないの?」
「気合で何とかします」
 隼斗が溜息を吐く。千原、と一年の校章を着けた後輩を呼び、彼は告げる。
「一年同士、買いに行って来たら? て言うか、月森一人じゃ持てないだろうし、荷物持ち」
「はいはい了解です。んじゃ部長、時間になったらお願いします」
「おー。炭酸は炭酸でもレモンソーダとか買うなよ」
 分かってますよ、と千原が言う。月森と呼ばれた女子と一緒に彼が部室を出て行くと、急に静かになる。奥のほうで何か作業をしていた部長らしき生徒が振り向いて笑う。
「で、長谷部はどういうつもりで部員じゃない奴二人も連れて来たんだ?」
「諸事情。芹も朝霧も適当に座って。こっち側の席なら空いてるから」
 部屋の中央に用意された円卓の席を指差し、隼斗は告げる。芹菜が隼斗の隣に座り、藍が彼の二つ隣の席に座ると「あ、そういう関係か」と部長が呟く。
「長谷部、お前今日放送するか?」
「断る。月森か千原でいいんじゃない?」
「あの二人だと千原のほうが放送慣れしてるんだよな。月森に回すべきか?」
「そうでしょ。最近男ばっかだし、たまには女子で」
「それ本人に言うなよ」
 部長が釘を刺す。それを笑ってかわし、隼斗は「今日の予定は?」と問う。
 話逸らすなよ、とぼやきながらも部長は手元の紙を見て「月森が戻って来たら放送一回。あとは普段通りだな」と告げる。そして、「お前、今日休みだったろ。何で急に出て来たんだ?」と問う。
 その問いに隼斗は笑う。諸事情だって、と言って彼は円卓に肘を着く。
「まぁ、怖いひとから朝霧とそこそこ話すぐらいになれって言われて、それで」
「怖いひととかいるのか」
「そりゃ、いるって。下手に身内だからこっちの弱点も知られてるし、逆らえないから」
 そう言って彼が笑う。まぁ頑張れ、と部長が告げると同時に扉が開き、千原と月森の二人が戻って来る。
「部長ー、コーラでいいですよね? 長谷部先輩はコーヒーとカフェオレのどっちかでお願いします」
 部長にコーラを渡し、隼斗の前にコーヒーとカフェオレを置いて千原は座る。芹菜に「お茶どうぞ」と渡して彼は息を吐いた。
「んで、放送どうするんですか? 部長じゃなくて長谷部先輩?」
「いや、月森。月森、放送行ける?」
 問われ、月森は動きを止める。藍にホットのお茶を渡そうとした彼女は中途半端な場所で腕を止め、「私ですか?」と確認を取る。
「そう、月森。千原と比べてあんまり放送してないし」
「……分かりました。先輩、お茶どうぞ」
「ありがと」
 彼女からお茶を受け取り、蓋を開ける。月森は藍の対面に座り、手に持ったお茶を揺らす。ほうじ茶と印字されたそれを眺めているとそれに気付いた彼女が「あ」と声を上げた。
「すみません、もしかして緑茶じゃなくてほうじ茶のほうがよかったですか?」
 月森に問われ、藍は首を振る。
「いや、緑茶の方が好きだから。単に、ちょっと嫌そうだなと思っただけ」
 ただの癖かもしれないが、お茶を揺らす彼女が放送を嫌がっているように見えたのだ。だから、と言うと月森は首を傾げ、「そうですか?」と言った。その左目の下に小さな黒子を見つけて泣き黒子だ、と思う。
「別に、放送が嫌ってわけじゃないんです。ただちょっと、今日、千原君とか部長とかがするだろうなって思ってたから、急に言われてびっくりしただけです」
「そっか」
 そうです、と彼女は頷く。蓋を開け、ほうじ茶を飲んだ彼女は時計を見て立ち上がる。
「じゃあ、しばらくの間無言でお願いします。すぐ終わりますので」
 言って、彼女は部長のいる奥に向かう。部長が振り向き、「んじゃ、全員黙れよー」と注意し、藍も聞きなれている放送前の音が鳴る。
 その音が終わって、月森が口を開く。僅かな緊張を漂わせた彼女は手元のメモ用紙を見ながらサッカー部に呼び出しの連絡をし、放送を終える。
「もう喋っていいぞー」
 部長の一言で、月森が息を吐く。緊張した、と小さく呟いた彼女を見て隼斗が笑う。
「千原に任せすぎないで、たまには月森も放送したらいいんだよ。そしたらすぐに慣れる」
「やです、緊張するので。月一ぐらいでいいんです、私が放送するの」
「月森、それ俺に投げるってこと?」
「そういうことじゃないけど、千原君のほうが慣れてるでしょ? だから、ちょっと多めにお願い」
 慣れる為に放送しろって話だ、と部長が告げて、小さな笑いが零れる。部外者である藍と芹菜がその空気からはみ出される中、隼斗が口を開く。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るから。芹、朝霧、とりあえず帰ろ」
「ああ」
 鞄を持って立ち上がり、部室を出る。お邪魔しました、と言って扉を閉めると、芹菜が溜息を吐いた。廊下を歩きながら、彼女は隼斗を見上げる。
「隼斗、もしかして気付いていたの?」
「そりゃ気付くよ。芹、全然喋んないし、そもそも部活とか嫌いだし」
「…………部活中のあんた見れば長谷部隼斗っていう人間がどういう人間か若干分かるかも、って提案したのは失敗だったわ」
「だろうね。朝霧も分かんなかったんじゃないの?」
 問われて、藍は首を傾げる。
「いや、とりあえず放送部が仲いいっていうのは分かった。あと、長谷部がそこそこ普通の人間だってことも」
「うわ、凄い失礼だ。芹、どう思う?」
「どうも何も、隼斗は割と変人でしょ。それが嫌なら変態とか」
 芹まで酷い、と言いながらも、隼斗は笑っている。芹菜の言葉が本気なのか冗談なのか分からない藍は冷や汗を流すが、隼斗が笑っていることからおそらく冗談なのだろう。こいつらどういう関係なんだ、と口の中で呟くと「それより」、と芹菜が呟いた。
「朝霧、月森って子と知り合いなの?」
「なんでだよ」
「普通に話してたから」
「いや、全然知らない。何回かすれ違ったことはあるけど、一回も喋ったことない」
 歩きながら、彼女とすれ違った回数を数える。木曜の昼とその日の夜、その二回だけで、彼女と話したのは今日が始めてだ。けれど。
「なんか最初にすれ違ったとき、会うはずない人間見たような顔してたな」
 肩の下で揺れていた茶に近い黒髪と、一瞬だけ瞠られた黒い瞳。それを思い出しながら言うと、芹菜が首を傾げた。
「何それ?」
「そういう風に見えた。月森本人に聞いたほうが早いんだろうけど、さすがに聞きにくい」
「まぁ、知り合いに似てたんじゃないの?」
 どうなんだろうな、と呟くと「そもそも、月森ってあんまり喋んないよ」と隼斗が告げる。
「話しかけられたら返事するけど、基本的には大人しいし……。まぁ、芹よりはマシだけど」
「隼斗、言いたいことがあるならあとでじっくり聞くから。で、あの子隼斗から見ても大人しいの?」
「うん。協調性がないってわけじゃないからいいんだけど、あんまり前に出ようとしないから他の一年に比べて放送もしてないし……」
 言いながら、隼斗は首を傾げる。何で放送部入ったんだろ、という彼の疑問に藍も芹菜も応えず、階段を降りた。


Copyright (C) 2010-2016 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system