依頼と異能 06





 金曜の昼に作戦会議と言えるのか怪しい会話を交わしながら芹菜と隼斗の三人で昼食を取り、土曜の昼過ぎに藍は駅前にいた。
「ていうか、昼で見つかるのか?」
 悪霊である黒い靄は日が出ている間よりも、沈んでからのほうが見つけやすい。見つけやすい分彼らも全力を発揮するのだが、それにしても昼に靄を捜すことは難しい。雛と組む時でも、夕方から捜すようにしていたのだ。いくら藍が悪霊に寄って来られる体質とは言え、力の落ちる時間帯に寄って来る霊は少ない。
(あいつら、時々意思あるしな)
 霊のほとんどは、意思を持たない。けれど、悪霊となってしまった霊は力を欲するあまり意思を持つことがある。それ故に、自身が弱体化する時間に行動する靄は少ない。
 藍の能力とも体質とも取れない特性があっても、この時間に寄って来るかどうかは半々だ。炙り出すから、と芹菜が無表情のまま宣言して隼斗が笑っていたが、それも本気かどうか分からない。
 待ち合わせ場所で唸っていると、芹菜と隼斗が歩いて来た。当然のように私服の二人を見て、藍は「意外だな」と呟く。
「なにが?」
 小さな呟きに気付いたのは芹菜だ。彼女を見下ろし、「雛がワンピースばっかりだから成瀬もそうかと思ってた」と説明すると彼女の眉が寄る。
「朝霧、私と姉さんの趣味が一緒だと思ってるの?」
「いや、姉妹だから似てそうだと思っただけ」
「…………私と姉さんが似たような服装してたら気持ち悪くない?」
 言われて、首を傾げる。雛と芹菜が似たような服装をしているところを想像してみても、何も思わない。
「正直に言うとどうでもいいな」
「あ、そう。隼斗はどう思う?」
 芹菜の問いに隼斗は「気持ち悪いよ」と告げ、笑う。
「まぁ、そんなことになるわけないって分かってるから言えることだけどね。芹はジーンズのほうが多いけど、雛はそうじゃないし」
 今日だって芹ジーンズだしね、と付け足した彼は芹菜の髪の一房を引き寄せ、「で、炙り出すとか言ってたのどうする気?」と問う。
 隼斗の手を払い、「歩きながら説明する」と言った彼女は藍を見上げ、「昨日の話憶えてる?」と確認を取る。
「一日で忘れるほど記憶力悪くない」
「じゃあいいけど。とりあえず、ちょっと歩くから」
 言って、芹菜は歩き出した。それを追いかけながら、昨日の会話を思い返す。


「朝霧、能力のコントロール出来るの?」
 昼食を食べ終えた芹菜の問いに藍は首を振った。
「無理だな。雛が言うには『常に蛇口開けっ放し』らしい」
 数年前に彼女が呟き、精霊に「そういう変な言い方やめたら?」と突っ込まれていた言葉をそのまま言うと、何故か隼斗が笑う。
 彼に視線を動かし、「どうかしたか?」と問うと笑いながら右手を振られる。気にするな、と行動だけで告げた彼を無視して芹菜に「で、それがどうかしたのか?」と訊くと、彼女は「確認」と呟く。
「コントロール出来るか出来ないかで色々変わってくるから。でも、『常に』ってことはやっぱり体質なんじゃないの?」
「今更能力じゃなくて体質でした、って言われても困るんだがな。霊が寄って来ることに慣れて諦めるしかなさそうだ」
「今でもそうじゃないの? コントロール出来ないんなら、寄って来ないようには出来ないでしょ」
 その言葉に「気持ちの問題」と返し、空を見上げる。コントロールなぁと呟いてから視線を下ろし、芹菜を見る。
「俺がコントロール出来るかどうかで変わるって、どういう作戦立ててるんだ?」
「朝霧が囮だけど? 隼斗が朝霧の安全確保で、私は靄の相手。万が一に備えて姉さんから翡翠借りるつもり」
 早い話が姉さんと組む時と一緒よと言って、芹菜は眉を寄せる。ようやく笑いの収まった隼斗に彼女は声をかける。
「隼斗、靄相手にどこまで出来る?」
「朝霧の安全確保と俺の安全確保ぐらいは出来るけど、芹の分は無理。ついでにいうと、俺の能力が効く保証もない」
「じゃあ、防御は問題ないのね?」
「ないよ。雛から精霊借りるなら翡翠がいいけど、それが無理なら攻撃に向いてるやつ借りてそっちに回したほうがいい」
 そのまま、二人は藍には分からない名前を出しながら相談を進める。途中で口を挟むことも出来ず、一段落つくまでペットボトルの緑茶を飲んでいると唐突に芹菜に声をかけられる。
「朝霧、霊が近くにいるとかいないとか、寄って来てるとか分かるの?」
「大体な。少なくとも、寄って来てるって感覚は雛より鋭い」
 事実、藍が気付いた霊の接近に雛が気付かない、ということが何度もあったのだ。彼女自身や、彼女が従える精霊よりも藍のほうが霊には鋭い。
 霊が寄って来るという体質故に、霊の気配にだけは鋭くなったのだ。
「じゃあいいわ。隼斗、あんた手抜きしたら許さないからね」
「しないって。下手に怪我させたら雛と芹に怒られそうだし。そこから更に翔さんに報告、とかなったら俺死ぬよ?」
「死なないでしょ。ていうか、殺されることはないでしょ。精々三時間の説教じゃない?」
 こてりと首を傾げた芹菜の言葉に隼斗は溜息を吐く。それが嫌なんだって、と呻いた彼に「まぁ、適当に頑張れ」と告げてペットボトルの蓋を閉める。
 手に持ったそれを置くと、中の液体が揺れた。その僅かな音を掻き消すように、芹菜がはっきりと告げる。
「とりあえず、朝霧は囮よ。隼斗が安全確保ぐらいするだろうから、死ぬことはないわ。囮として、靄を誘い出すことだけ考えて。それが無理なら」
 言葉が切られる。一度言葉を切った彼女は雛とは違い、無表情のまま宣言する。
「私が炙り出すから」


(炙り出す、か……) 
 彼女がどうやって靄を炙り出す気なのか、藍は聞いていない。同じように、あの場では隼斗も聞かなかった。同じ家に住んでいると言っていたし、帰ってから説明されているかと思っていたが、待ち合わせ場所に来てすぐにどうする気、と訊いていたのだ。おそらく、彼も芹菜から説明を受けていない。
 そう思いながら、視線を動かす。駅前から離れ、薄暗い路地裏を歩いていると微弱な霊の気配を感じた。まだ悪霊になっていない、それほど害のない存在。
(…………)
 ふわりと目の前を横切った、実体のない存在。目で追わず、視線を合わせず、視えていないように振舞うべきだと分かっていながらもそれを目で追うと、頭を叩かれる。
「朝霧、馬鹿だろ。雛の話全部聞き流してんじゃないの?」
 藍の頭を叩いたのは、芹菜とほとんど身長の変わらない雛の精霊だ。死にたいんなら聞き流してもいいけど、と付け足した彼の名前を小さく呟く。
「翡翠…………何で……」
「頼まれたから。芹菜もいい度胸してるよ、俺を雛から引き剥がすなんて」
 その言葉を聞いて、翡翠は一度協力を断ったのだろうと予想する。行かないと告げた彼に主である雛が命令し、その結果仕方なくついて来たような雰囲気がある。
「まぁ、それで言ったら許可出した雛も雛だけど。俺を何だと思ってるんだか」
「精霊だろ、多分」
 小さく呟くと翡翠の視線が突き刺さる。「当たり前だよ、それ」と呟いた彼は前を歩く芹菜に声をかける。
「芹菜、俺が何すればいいのか全然聞いてないんだけど?」
「私の補助。姉さんの時と一緒で、全体を見て動いて」
 振り向くことなく告げた彼女は二度角を曲がる。それについていき、藍は足を止める。
 それに気付いた隼斗が「朝霧?」と声をかける。どうかした、と問う彼に応えず、視線を動かす。
 ただの路地裏。薄暗く、昼であっても出来れば近寄りたくないと思う人間が多い場所。そういう認識をしている場所で、肌が粟立つ。
「来るぞ」
 呟くと、芹菜が首を傾げた。同じように、隼斗も不思議そうにしている。藍の言葉の意味を理解したのは既に何度もこの言葉を聞いた翡翠だけだ。
 溜息を吐いた翡翠が芹菜の腕を引く。藍や隼斗よりも後ろに下げられた彼女は言葉の意味に気付いて口を開く。
「隼斗、あんたも朝霧も無傷じゃないといけないのよ」
「分かってるって。で、朝霧、来るまであとどれぐらい?」
 隼斗の問いに首を振る。すぐに動けるように周囲を把握して、短く告げる。
「十秒もない」
 藍がそう言い、背後の翡翠が結界を張り終えると同時に黒い靄が現れた。 



 木曜に雛から渡された資料には靄が巨大化して、更に凶暴化していると書かれていた。
 それを見て、藍は『周囲の霊を取り込みすぎて巨大化し、その力を抑えきれずに凶暴化したのだろう』と思っていた。
 そしてそれは、半分だけ当たっていた。

「何ていうか、凄いなぁ、これ」
 靄ってここまででかくなるのか、と状況にそぐわない感想を呟いた隼斗の横で、藍は冷や汗を流す。
「でかい、なんてもんじゃないだろ、これ」
 通常、靄は人間と大差ない大きさか、ひとよりも一回り小さい大きさだ。けれど、目の前の靄は通常の二倍、三メートル近い大きさをしている。
 実体を持たないはずの霊でありながら、その巨大さ故に光を遮った靄はおそらく口であろう空洞を動かす。
「チカラ……身体……寄越せ……」
 空気を震わすことなく、直接頭に響く声。男とも女とも言えない、幾人もの人間の声が混ざったような声は不快としか言えない。
 靄の先が伸びる。その部分が手なのか、そんな風に考えた藍の前に伸びた手は唐突に動きを止める。
 不自然に動きを止めた靄から視線を動かし、背後を見る。翡翠の後ろで普段と変わらない無表情のまま右手を動かした芹菜は小声で囁く。
「退去するまでの命令よ、あの靄、退治して」
 彼女の前には翡翠がいる。藍と隼斗よりも後ろにいたのは二人だけだったのだ。けれどいま、芹菜の横に白い獣が三体いた。
 今まで見たことのない、白い獣。木曜に彼女が手に乗せた猫に近い獣よりも大きく、ライオンのようなサイズのそれは彼女の言葉を受けて頷き、翡翠の横を通って靄へ向かう。
 威嚇する為の鳴き声を上げて靄へ向かう白い獣。それから視線を剥がせないまま、藍は隼斗に問う。
「長谷部、あれって何なんだ?」
「さぁ? あれの正体は芹に聞かないと分からないけど、これが『柚木』の本領だよ」
 本領という言葉に、二日前に聞いた説明を思い出す。召喚して束縛するのが本領である柚木の中で、そのどちらにも向いていない者は弱者だとあっさりと告げたのは隼斗だ。そして、芹菜は言っていた。
『私はその気になればここじゃない世界から召喚出来るから、姉さんほどじゃないけど強いわよ』
 雛は、精霊を呼び出していた。けれど、それを継いでいない芹菜はここではない世界から力になるものを呼び出し、命令を下している。同じ血を持ち、同じ能力を持っている二人は手段こそ違うものの、行動は一緒だ。
 呼び出して、従える。それを目の当たりにして動きの鈍くなった藍に、再び靄の先が伸びる。
 一回目よりも速さのあるそれは数秒で藍の目の前に届く。鋭く研ぎ澄まされた靄の先が身体に沈む、そんな未来を藍が予測すると同時に隼斗に腕を引っ張られ、彼の声が響いた。
「引け!」
 短すぎる言葉によって、靄が動きを止める。その空白の一瞬で、隼斗は藍を突き飛ばす。
「ぼけっとするぐらいなら芹の後ろにでもいろ!」
「成瀬の後ろって、お前…………」
 囮になって靄を引き寄せるのが藍の役目だ。そして、そういう役割を課せられたのは靄が寄って来るという特性を持っているから。
 必然的に、靄は朝霧藍を狙う。戦力の要である芹菜の後ろに下がってしまえば、靄は芹菜を障害と見做して暴れるはずだ。
 それを、隼斗も知っているはずだ。霊が寄って来る、そういう現象に『霊に狙われる』という現象が付き纏うのは常識だと、雛が言っていた。
 けれど、隼斗は藍を芹菜の後ろに下げた。だから、藍は叫ぶ。
「長谷部お前、本気で馬鹿か!」
「うっさい! ぼさっとしてて怪我した、とか報告したら俺が殺されるんだよ! 自分の身も護れないなら後ろに下がってろ!」
 その言葉にカッとして前に出ようとすると、芹菜に腕を掴まれる。雛に無茶を禁止され、その場に留められる時と違い、絶対に動かさないという強さで腕を掴まれ、彼女を見下ろす。
 雛と同じ淡いブラウンの瞳には、怒りが浮かんでいる。昨日や一昨日よりも血の気の薄い白い顔で、彼女は呟く。
「隼斗のほうが正しいわ。あんたが囮になるのは、靄が出てくるまで。そこから先は怪我しないように大人しくしとくのが仕事なのよ」
 芹菜が疲れたように息を吐く。翡翠、と精霊を呼んだ彼女は藍を突き飛ばす。
「それ、見てて」
「了解。朝霧、とりあえず動くな。一歩でも動けば気絶させるから」
 自身よりも身長の低い翡翠に言われ、藍は溜息を吐く。分かった、と呟いて息を吐く。溜息のような、そうではないような微妙なそれに、芹菜が笑う。
「何ならあとで説明ぐらいしてあげるわよ。でも、いまこの場であんたがするのは翡翠の後ろに隠れてること」
 言って、彼女は翡翠の横をすり抜ける。靄の前に立った隼斗の隣に並び、「なんで芹が来るんだよ!」と叫ばれても彼女は動かない。
「チカラ、寄越せ…………身体、寄越せ……ヨコセ…………」
 頭に直接響く、不快な声。肌が粟立ち、吐き気を覚える。口元を押さえた藍の横で翡翠が溜息を吐き、藍の腕を掴んで靄から遠ざかる。
(あいつ…………)
 霊を取り込みすぎて巨大化し、その力を抑えきれずに凶暴化したのではない。霊を取り込んで巨大化し、それだけでは飽き足らず更に強大な力を求めて暴れているのだ。
 まだ意思のある、巨大な靄。それの前に立った芹菜ははっきりと告げる。
「あんたみたいなのにあげれるものなんて何もないわよ。ここまでなる前に、ちゃんとどこかで消えればよかったのにね」
 唐突に、風が吹く。突風に目を閉じ、次に開けた時には靄の姿はない。何が起きたか分からず「靄は?」と問うと、翡翠が呟く。
「芹菜が力技で消したよ。まぁ、『柚木』の本領発揮、みたいな感じじゃないから見てなくて正解だったんじゃないの?」
「翡翠、その言葉一語一句間違えずに姉さんに言いつけてもいいの?」
 芹菜の言葉に翡翠は笑う。いいよ、と言った彼は「その代わり俺も雛に報告するから」と言い残して姿を消す。
「……………………成瀬、いいのか?」
「よくないかも。結局力技ってばれたら怒られそう」
 呟いた彼女の顔は青い。やだな、怒られるの、と小さく呟いた芹菜の髪を撫で、隼斗は笑う。
「まぁ、とりあえず一回雛の家行こ。報告しないと怒られるし」
「うん。朝霧も来て。姉さん、しばらく仕事投げるって言ってたから、その辺りのことも聞かないと駄目だろうし」
「俺もかよ」
「あんたも。大丈夫、多分翔さんいないから」
 本当かよ、とぼやくと確率半々だけど、と付け足され、溜息を吐く。
「信用出来ないな、それ」

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