依頼と異能 05




「じゃあ、お茶淹れるからその間に姉さんから貰ったの読んでて」
 そう言って、芹菜はキッチンに消える。リビングに残された藍と隼斗は適当に座りながら雛から受け取った紙を見る。
「…………靄が巨大化? 凶暴化? どういうことだ?」
「ていうか、囮がかなり危険な依頼じゃん、これ。俺と芹じゃ万が一ってこともあるし、精霊借りたほうがいいかも」
 三人分の紅茶を持って芹菜が戻って来る。テーブルの上にマグカップを三つ置いた彼女は隼斗の手にある紙を覗き込んで「確かに」と呟く。
「隼斗と私だけじゃ危ないかもしれないわね。借りれるのか分からないけど、翡翠借りたほうがいいわ」
「ちょっと待て、翡翠ってあの翡翠か?」
 芹菜の前に右手を出すと、眉を寄せた彼女に「他に翡翠がいるのかどうかは知らないけど、私が言ってるのは姉さんの精霊の翡翠。優秀で、そのくせ性格に難のあるあれ」と返される。
「つまり、雛がしょっちゅう呼び出す奴だよな? あの口悪い精霊」
「ええ、それ。翡翠、攻撃も防御も出来るから一番都合がいいのよ」
 尤も、姉さんが貸してくれるか分からないんだけど、と呟いて彼女は椅子に座る。そして、隼斗を見て一言告げる。
「コーヒー淹れたから。私と朝霧は紅茶」
「芹、それぐらい見たら分かるから」
「そう。で、作戦会議でもする?」
「そうだね。まぁ、巨大化とか凶暴化とか言われてそれの対処法考えるのも変な話だけど」
 言いながら隼斗はマグカップを持ち上げ、コーヒーを飲む。一度溜息を吐いた彼はマグカップをテーブルに置き、藍を見る。
「で、朝霧は雛と組む時どうしてる?」
「何もしてない。基本的に動くと邪魔になるから彫像になれって言われるぐらいだ」
「つまり、何もしてなくても勝手に靄のほうから寄って来るってことか」
 隼斗の言葉に頷き、藍もマグカップを持ち上げる。紅茶を飲んで、「俺の場合、寄って来るだけだからな。それを退治出来るわけでもないし、むしろ動くと邪魔になる」と事実を告げる。
「それより、お前らこそどうするつもりなんだ? 雛から精霊借りるとか言ってるけど、何か呼び出したりするのか?」
 深く考えずに問うと隼斗が黙り込み、芹菜は驚いたように目を瞠った。
「朝霧、姉さんから何も聞いてないの?」
「何が?」
「姉さんが従えてる精霊、私たちがずっと受け継いできてて、いまそれに命令出来るのが姉さんと翔さんの二人だけってことよ」
「……………………初耳だな。で、何か呼び出さないのか?」
 もう一度問うと、隼斗が溜息を吐いた。朝霧、と呟いた彼はいささか疲れたような雰囲気を纏い「ちょっと話そうか。こっちの常識」と告げる。

「多分朝霧も知ってるだろうけど、異能って確実に遺伝するものじゃないんだよ」
 その言葉に首を傾げる。数年前に、雛から聞いた言葉を口に出す。
「あれか? 兄弟でも微妙に強さが違うっていう……運動神経と大差ないって聞いたけど」
「まぁ、雛が言うんならそうなるんだろうけど……運動神経か」
 もう少しマシな言い方したらいいのに、そう呟いた隼斗の隣で、芹菜が説明を引き継ぐ。
「私と姉さんなんていい例でしょ? 同じ親から生まれたのに、平均的な能力の持ち主と、歴代三位。必ずしも同じ強さになるわけじゃない、そういう例」
「成瀬はどれぐらいなんだ? その、精霊とかって」
「一体だけなら従えられるわ。どれだけ多くても三体までしか従えられないって前提を考えると、まぁそこそこって実力なの」
 その言葉に、小さな疑問を抱く。どれだけ多くても三体まで、彼女はそういうが、雛は十体従えているはずだ。
「雛は?」
「姉さんのは特別。いままでずっと、精霊を呼び出した始祖以外は三体までしか従えられなかったのに、姉さんと翔さんだけはそれから外れてるの」
「長谷部は?」
 問うと、数瞬だけ沈黙が訪れた。芹菜が彼を気にする、そういう雰囲気の中で、隼斗はあっさりと告げる。
「一体。でも、向いてない。雛や芹みたいに従えるってことは出来ないから、『柚木』としては最弱」
「柚木としては?」
 いきなり出てきた『柚木』という名前に眉を寄せると、隼斗が頷く。
「そ、柚木としては。召喚して束縛するのが本領である柚木の中で、そのどちらにも向いていない者は弱者。そういう扱いになる時もある」
「…………面倒なんだな」
 異能者としての『柚木』。同じ血を継ぐ中でも弱者と強者が生まれるそれに、いささか嫌気を覚える。そして、それを正直に告げると隼斗が肩を竦めた。
「まぁ、最近はマシだよ。弱者とか強者とかそういう区別が馬鹿らしいっていうのが広がってる。だから、『柚木』であっても他に師事することを許される」
「師事って……師匠でもいるのか?」
「土師充。って言っても知らないか。翔さんの友人で、確か雛とも顔見知りのはずだけど」
 言外に、会ったことはないのかと問う隼斗を見ながら首を振る。
「会ったことない。どういうひとなんだ?」
「滅茶苦茶なひと」
 するりと、芹菜が告げた。本心からそう思っている、そんな声音に隼斗が苦笑した。
「芹、それじゃ分かんないって」
「じゃあ、陰陽師」
「陰陽師って、あれか? 平安時代の……」
「平安時代に限ったやつじゃないんだけど、まぁそれ」
 隼斗がコーヒーを飲みながら頷いた。その隣で芹菜が天井を見上げながら「有名よね、安倍晴明」と呟き、「朝霧、日本史苦手なの?」と問うてきた。
「苦手だな。世界史の方が好きだ」
「そう。逆なのね」
「誰と?」
 問うが、芹菜は答えない。隼斗に視線を移し、彼の反応を見る。
「芹の周り、世界史得意なひとが多いから。自分と逆っていうのがあんまり好きじゃないんだよ」
「じゃあ、長谷部はどうなんだ?」
「世界史も日本史も駄目。中々頭に入って来ない」
「隼斗、話ずれてる」
「最初にずらしたの、芹だよ」
 言いながら、隼斗は再びコーヒーを飲む。どこまで話したっけ、そう呟いた彼は「土師さんのとこまでか」と言ってマグカップをテーブルの上に置く。
「まぁ、土師さんと俺じゃ能力の性質が全く違うから、師事したっていっても陰陽師って名乗れるわけじゃない。名乗る必要がある時は結局『柚木』って名乗るしかないよ」
「さっきから気になってたんだが、何で『柚木』なんだ? 長谷部だろ?」
 柚木として、と隼斗は言う。けれど、彼の苗字は長谷部だ。何故『柚木』になるのか。その疑問を口にすると、隼斗はあっさりと告げる。
「枝分かれする前が『柚木』だから。長谷部も成瀬も、大本は『柚木』なんだよ。だから」
「………………面倒だな。何で『柚木』のままにしなかったんだ?」
「増えすぎたんじゃないの? で、一握りの強者だけが『柚木』、あとはそれ以外って分けたとか」
「血の濃さで分けた、の間違いでしょ。嘘教えてどうするのよ」
 芹菜が口を挟んだ。彼女を見ると、「隼斗が言ったのは嘘だから」と強い語調で言われる。
「柚木は直系、成瀬や長谷部は傍系なのよ。朝霧、姉さんが翔さんに逆らってるの見たことある?」
「逆らう?」
 呟きながら、思い返す。雛と翔が同じ場にいるところを見ることはほとんどない。彼が翔を苦手だと思っていることを知っている雛が、なるべく会わない様に気を使っているのだ。だから、雛と翔が一緒にいる場面を見ることは少ない。けれど、その中で雛が翔に逆らう場面というのは見たことがない。
「ないな。それがどうかしたのか?」
「逆らっちゃ駄目なのよ、私たち。弱者は強者に従うのが当然っていう考えがあったから。皆気にしてないけど」
「本当に面倒だな、お前ら」
「だから、本当は隼斗も私に逆らえないんだけどそうじゃないのは分かるでしょ? 今じゃ誰も気にしてないっていう分かりやすい例よ」 
 言い終え、芹菜はマグカップを持ち上げた。それを傾け、中の紅茶を嚥下した彼女はテーブルに肘をつく。
「で、精霊は二十五体しかいなくて、それを翔さんと姉さんで二分してるから他の人間は精霊を継いでないの。だから、私たちは精霊を呼び出せない」
 でも、と彼女は小さく呟いて付け足す。
「私はその気になればここじゃない世界から召喚出来るから、姉さんほどじゃないけど強いわよ」
 そう言った彼女はマグカップを持って立ち上がり、キッチンへ向かう。マグカップを片付けて戻って来た芹菜は壁に掛けられた時計を見て「あ、もうこんな時間」と呟く。
 それにつられて、藍も時計を見る。七時前を指している針を見て溜息を吐き、鞄を持ち上げる。
「じゃあ、俺はもう帰る」
「作戦会議出来てないし、明日の昼にでも声かけるよ」
「かけるな」
 隼斗に向かって言ってから、玄関へ向かう。玄関を出て、最寄り駅へ向かう。
 その途中で、また昼に会った少女を見つける。ふわりと揺れた茶に近い黒の髪、気温の下がるこの時間にしては薄着の彼女は藍とすれ違う最中に僅かに目を瞠る。
 すれ違い、数メートル離れたところで彼女の視線を感じる。けれど、足を止める気にはなれなかった。駅の改札を通る頃には背後からの視線も消え、藍の中から彼女とすれ違った事実も消えた。

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