依頼と異能 03




「朝霧ー」
 翌朝、教室に入ってすぐかけられた声に藍は眉を寄せた。振り向いて、声を掛けて来た相手を見る。
「何の用だ、長谷部」
「いや、雛からの伝言。これ、確か席自由だっけ?」
 言いながら、隼斗は「まぁいいや、隣隣」と自身の隣の席を指差す。
 そのままそこに座らず、彼の後ろの席に座って「伝言って?」と聞き返す。
「土曜だけど、雛が来るの無理だってさ。で、その辺りの説明とか、俺と芹でいけるかどうかの確認とかあるから放課後に来い、って」
「どこの暴君だよ。ていうか、それこそ連絡入れればいいだろ」
「電源切ってるのか電話通じない、って言ってたよ」
「そういえば切ってたな」
 鞄の中の携帯を思い出しながら告げる。基本的に朝にメールのチェックをしたらすぐに電源を切ってしまう。校内で携帯電話使用禁止という校則があるから電源を切ってしまうほうが楽なのだ。
「そういや、前から気になってたんだが何で『芹』なんだ? あいつ、成瀬芹菜だろ」
 問うと、隼斗の顔から一瞬だけ表情が消えた。問われると思っていなかったことを問われた空白と、それを誤魔化す笑みが彼の顔に浮かぶ。
「昔からだよ。時々芹菜って呼ぶけど、基本的にはずっと『芹』って呼んでる。まぁ、あだ名だよ」
「あっそ。で、放課後に来いってどこに?」
「雛の家。今日、翔さんもいるらしいけど」
「…………行かなくてもいいか? あのひと苦手だ」
 雛の同居人で、師匠。藍の知る限り頂点に近い強さを持つ雛よりも更に強い、真に頂点に立つ男。
 顔を合わせたのはたった数回だ。そして、その中で彼が能力を使っている場を見たことはない。けれど、ただ立っているだけでもその強さは伝わる。
 それを知っているからか、雛は翔と藍を会わすことはないし、翔も会おうとはしない。
「来ないと雛が怒ると思うよ。それに、翔さんは多分部屋に篭ってる。あのひともあのひとで忙しいし」
「それでも嫌なんだよ」
 溜息を吐いて時計を見る。あと数分で授業が始まることに気付いて教科書とノートを出し、「お前もさっさと前向けよ」と呟く。
「まぁ前向くけどさ、どうせなら芹に言われたいよ、そういうの」
「変態か?」
 それ、物凄い失礼だから、と隼斗が呟いた声に重なるようにチャイムが鳴り、教師が入って来る。
 そして、授業が始まった。



 午前の授業が全て終わってすぐ、芹菜が隼斗に声を掛けた。彼の隣を歩いていた藍を見て一瞬だけ目を瞠った彼女は、その表情が幻であったかのようにいつもの無表情に戻る。
「隼斗、屋上と中庭とどっちがいい?」
「屋上。朝霧、弁当と学食どっち?」
「コンビニでパン買ってるからどっちでもない」
「じゃあ屋上でいいか。芹、弁当は?」
「あるわよ。私のも隼斗のも」
 言って、芹菜は右手を上げる。その手に握られている二つの小さな鞄の中身は二人分の弁当だろう。二人の間で勝手に昼食を食べるメンバーとして数えられていることに呆れながら藍も屋上へ向かう。
 立ち入り禁止になっているわけではないが、常に人がいない屋上はがらんとしている。三人揃って適当に中央に座り、昼食を食べ始める。
 芹菜も隼斗も食事中は喋らない。そういうところが雛と一緒だと思いながら藍はペットボトルを開け、お茶を飲む。
 十数分して隼斗が弁当をしまう。小さく溜息を吐いた彼は藍を見て「で、今日の放課後だけど」と口を開く。
「雛の家に行く前にちょっと部活に出なきゃなんないから芹と二人で先に行ってて」
「隼斗、それなら終わるまで待つから。私、朝霧なんて空気にしか思えないから絶対に置いて行くわ」
「芹、朝霧も一応人間だから。視界の端に入るとかないの?」
「ない」
 断言して、芹菜は弁当をしまう。そもそも、と彼女は隼斗を見上げながら問う。
「部活ってどういうことよ。今日は休みって言ってなかった?」
「休みだけど、ちょっとした話し合いがあるんだよ。それに出る出ないの話」
「なにそれ。面倒なだけじゃない」
「うん、面倒なだけだよ」 
 頷いた隼斗は溜息を吐く。
「まぁ、そんなんだから先に行ってて」
「隼斗、私さっき言ったわよね? 待つって」
「うん、芹の意見は聞いたよ。でも、朝霧と芹は別の人間だから」
 芹菜の視線が藍に向く。無言のまま答えろという視線を送ってくる彼女に向かって「じゃあ、先に行く」と答えると淡いブラウンの瞳に睨まれた。
「朝霧、ここは空気読んで待ってるって言うべきじゃない?」
「いや、別に揃って来いとか言われてるわけじゃないんだろ? なら俺だけ先に行ってもいいだろ」
「翔さんもいるわよ、今日」
「やっぱ待つ。長谷部、さっさと終わらせろよ」
「意見変えるの早いって」
 苦笑した隼斗を睨んで、藍は立ち上がる。まだ中身の残っているペットボトルを持って立ち上がり、「じゃあ、俺は先に教室戻る」と告げる。
「はいはい。芹はどうする?」
「もうちょっとしてから戻る。隼斗は先に戻ってていいわよ」
「芹と一緒に戻るよ、どうせ次の授業一緒だし」
 そんな声を聞きながら扉を開け、階段を降りる。屋上から二階の教室まで歩いていると、その途中で一年の校章を着けた少女とすれ違う。
(珍しいな……)
 違う学年の生徒と廊下ですれ違うことはよくある。けれどそれは、二年と三年がすれ違うことのほうが多く、一年とすれ違うことは少ないのだ。
 彼女の茶に近い黒色をした髪が揺れる。視線を動かした彼女の黒い瞳と一瞬だけ目が合う。その瞳が瞠られたように見えてすぐに、彼女の姿は角を曲がって見えなくなる。
(何だ、さっきの……)
 ほんの一瞬、彼女は目を瞠った。会うことのない人間に会ったような、そんな顔をしていたのだ。
 足を止めて首を傾げる。けれど、藍の記憶の中に彼女と同じ顔の人間はいない。部活動もしていないし、委員会に入っているわけでもない藍を全く関わりのない後輩が知ることはないだろう。そういう風に結論付けて、余計に分からなくなる。
(まぁ、いいか)
 考えるのを止めて歩く。自身の教室に戻り、午後からの授業の用意をしているうちにすれ違った後輩の顔は忘れた。

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