決別とそれから 28




 黒いスカートが揺れた。それを一瞥し、莉世はすぐに興味をなくす。
 歩きながら、溜息を吐く。
 午後四時を回った今、人間であれば夕方だと思うだけだろう。けれど、吸血鬼である莉世からすればこの時間はいささか眠い。
 小さく欠伸する。眠いと思いながら歩き続けていると目指していた公園が見えた。
 公園の入り口で足を止めて視線を動かし、莉世を呼び出した人物を捜す。時間に正確な彼が遅れていることはないだろう。なら、先に来ているはずだ。
 けれど、見つからない。見落としているのかを考え、莉世は眉を寄せる。
「こっちだ、こっち」
 不意に、声が掛けられる。視線を動かした彼女は相手を見つけ、溜息を吐く。
「先輩、私眠いんです。用があるならさっさと済ませてもらえませんか?」
「一応そうする気だ。それより先に、一つ聞いていいか?」
「ええ、どうぞ」
 莉世の言葉に桜井は一瞬だけ驚き、すぐにそれを消す。そして、冷静に問うた。
「何かあったのか?」
「聞きたいことって、それですか? まぁ、ありましたけど」 
 片手で髪を梳き、莉世は微笑む。
「いろいろあったんです。主にごたごたですけど」
「ごたごたぐらいでそこまで雰囲気が変わるか? 別人みたいになってるぞ」
「なるんです。色々ありましたから」
「まぁ、良いけどな。明日、学校に来るか?」
 その問いに莉世は首を振った。首を振って、出来る限り『莉世』らしい言葉を紡ぐ。
「行きません。私、あと数日で辞めます。途中で放り出すことになるのは嫌ですけど、そうしないといけなくなったので」
 怒るだろうな、と莉世は予想する。
 任されたことを、途中で止める。そんな無責任なことを彼が許すはずがない。『莉世』は彼のことを責任感の強いひととして記憶している。
「だから、行きません。ここも、近い内に出て行きます」
 訪れたのは沈黙だ。言うべきことを全て言った故の沈黙と、言うべき言葉を捜す為の沈黙。その二つが同時に訪れ、暫くして壊れた。先に、桜井が口を開いたのだ。
 彼は口を開き、確認するように問う。
「つまり、結城莉世はここからいなくなるんだな?」
「ええ。近い内に」
「ごたごたが原因だな?」
「ええ」
「お前、家のごたごたに巻き込まれるって言ってたよな? それって、家族を見つけたって取って良いのか?」
 その問いに莉世はもう一度微笑んだ。
「ええ、ひとりだけ」
 桜井の眉が寄る。ひとりだけ見つけた、その言葉の裏にある意味を考えている彼に、莉世は告げる。
「家族って言えるひと、ひとりしかいないだけです。私、もう帰りますね」
「ああ。落ち着いたら連絡ぐらいしろ」
「しますよ、ちゃんと」
 微笑んだまま、莉世は踵を返した。公園から遠ざかり、不意に足を止める。
 空を見上げ、すぐに視線を落とす。
 ある意味、決別だろう。
 桜井は、『莉世』が中学に通っていた時からの友人だ。その相手に、いなくなることを告げる。
 彼は、『莉世』が消えて結城莉世が目覚め、『莉世』の全てに決別する、その一番最後の相手だ。
 何も知らせる必要がないからこそ、莉世は彼の前から消える。『莉世』がもういない現実も告げることなく、ただここから立ち去る。
 足元に獣が現れた。彼は莉世を慰めるように身体を寄せる。
「ありがとう。でも、大丈夫よ」
 獣の背を撫でる。その手が僅かに震えていることを無視して、莉世は再び歩く。
 ここから先は人通りが多くなる。それが分かっているのか、獣も姿を消した。莉世は獣の行動に苦笑し、次いで眉を寄せた。
 何かがおかしい。
 その何かを特定しようとして、視線を動かす。けれど結局、彼女はそれが何か特定する前に気を失い、気付いた時には既に遅かった。

 (おかしいのは、人がいないことだったわね。その次は、異様に東宮が多かったこと……)
 そう気付き、莉世は溜息を吐いた。
 一瞬だけ頭が痛む。殴られたのだろうかと思って触ってみるが、いつもと何ら変わらない。
 もう一度溜息を吐いて、自分の状況を確認する。
 今いるのはA霧生家ではなく、東宮家だ。しかも、部屋には鍵が掛かっている。逃げようと思えば逃げれるが、その為に鍵を壊さなければならないのが面倒だ。
 小さく名前を呼ぶ。莉世以外は誰も知らないその名に反応して、獣が姿を現した。
 けれど、その姿は普段とは違う。普段の姿よりも、一回りか二回り大きいのだ。
 その背を莉世は撫でる。
「あそこ、鍵があるでしょ? あれを壊して」
 彼女の言葉に獣は無言で従う。すぐに鍵が破壊され、同じ様に扉も壊れる。
 獣に礼を言い、莉世は立ち上がる。スカートの裾に付いていた埃を払ってから、彼女は部屋を出た。その後ろを、獣が歩く。
 東宮家に来たことはない。それ故に、莉世はどこに行けば外に出れるのか分からない。一番早いのは窓を壊すことだろうが、それを実行すると後々面倒だ。
 一瞬だけ立ち止まり、視線を動かす。
 家のどこかに、東宮鈴がいる。穏便に出て行く為には、とりあえず彼女に会うしかないだろう。
 溜息を吐き、見つけた階段を上がる。勘だけで進みながら、莉世は獣を見る。
「そう言えば、こういうのは久し振りね。いつもは契がいるから、絶対にふたりにはならないもの」
 彼女の言葉に獣は小さく唸る。それを受けて、莉世は笑った。
「契の名前を出したぐらいで不機嫌にならないで。契が嫌いなのは知ってるけど、契がいないと私は存在出来ないのよ?」
 もう一度獣が唸る。その背を撫でながら、莉世は小さく溜息を吐いた。
(さすがに、予想しなかったわね)
 乗り込んで行くのを禁止されてすぐ、こんなことになるとは思わなかった。
 桜井と話してすぐに帰るつもりだったから、莉世は行き先を告げずに出て来ていた。まさか行方が分からないと騒いでいないだろうかと心配になりながら、彼女は足を止める。
 派手と言われる寸前の彫刻が施された扉。その奥に、東宮鈴がいる。
 獣を見て、次に自身の体調を確かめる。何も問題ないと判断して、莉世は扉を開けた。
 驚いたような表情が彼女に向けられる。それを受けて、莉世は微笑む。
「私がここに来たぐらいで驚くってどういうことかしら? 元々、私をここに連れて来たのはそっちでしょう?」
「貴女、あの鍵壊したの?」
「ええ、壊したわ。邪魔だったから」
 鈴が眉を寄せた。莉世の言葉を聞いて苛立ったらしい彼女は早口で吐き捨てる。
「貴女、どういう教育を受けてきたのよ」
「普通よ、普通。でも、私の中に『他人を攫っても良い』なんて常識はないわ」
 獣が唸る。それに僅かに反応した鈴を見ながら、莉世は微笑んで告げる。
「だから、私はさっさと帰りたいの。出口、教えてもらえないかしら?」
「貴女なら、窓から出て行くとか壁を壊すとか、そういう行動を取るんじゃないの?」
「考えたけど、止めたわ。私じゃなくて霧生に請求が行ったら悪いから」
 言いながら、説得力のある言葉だろうかと自問する。
 霧生家に迷惑が掛かっても良い、そう考えている部分がどこかにあるのではないかと思いながらも、それを奥に追いやる。考えるのは後だと決め、莉世はもう一度鈴に声を掛ける。
「出口ってどこかしら? ここ、分かりにくいから教えてもらえる?」
「貴女、何様のつもりなの?」
「別に何様でもないわ。どちらかと言うと、それは私の台詞。あなたこそ何様のつもりよ、勝手に殴るわ、連れ去るわ。昔のことを言うなら、私の家族も殺したわね」
 莉世の足元で獣が唸った。十四年も眠っていたとはいえ、彼も過去の記憶を持っている。その中には、莉世の家族がいた頃の記憶も含まれている。
 だから、獣も東宮を許せない。それを行動で示そうとする。
「あんまり調子に乗るなら叩き潰すわよ。私にもそれぐらいの能力はあるし、使えるものは全て使って東宮を潰すわ」
 本来、結城と東宮では東宮の方が下に位置する。極端に言ってしまえばいま東宮がしていることは反逆だ。
 そんな相手に容赦する必要などない、その考えを莉世は隠さない。
「で? 出口はどこ? さっさと言いなさい」
 莉世の言葉に鈴が眉を寄せる。すぐには言わない、そう感じた莉世は一歩前に出、鈴の目を見る。
「出口、どこなの? さっさと言いなさい。こんなところで死ぬのは嫌でしょう?」
「…………調子に乗ってるのは貴女の方じゃないの? 結城って言っても貴女は次女、それほど強い能力は持っていないでしょうが」
 その言葉に莉世は笑う。何も分かっていない彼女の言葉に笑って、そして笑みを消す。
「なら、試してみる? あなた自身で」
 唐突に轟音が響く。『吹き飛べばいい』と望み、その結果壁に叩き付けられた鈴に対する興味をなくして、莉世は部屋の隅で立ち尽くしている男に声を掛けた。
「出口ってどこかしら?」
「あ、え、階段を降りて左に曲がったらあります。結構、長い廊下ですが…………」
「そう。ありがとう」
 獣を連れて部屋を出る。男が慌てて鈴に声を掛けるのが聞こえたが、暫くは気を失ったままのはずだ。
 聞いた通りに歩き、玄関を出る。門を出て適当に歩いていた莉世は走ってくる契を見つけて首を傾げた。
「契、よく分かったわね」
「そういう問題じゃない!」
 叫ばれ、肩を掴まれる。普段ならばありえない行動に、莉世は苦笑する。
「どこも怪我してないから大丈夫よ。落ち着いて」
「莉世の怪我してないは当てにならないんだよ。本当に怪我してない?」
「ええ、してない。車で来たの?」
 霧生家と東宮家はかなり離れている。歩いてくることなど不可能だから、車か電車だろうと思って聞くと予想通りの答えが返ってきた。
「車。睦月さんに頼んだから」
「じゃあ、帰りに寝ても問題ないわね。ちょっと早く起きたから眠いの」
 微笑み、契を見る。溜息を吐いた彼は手を離すと歩き出した。莉世の顔を見ないまま、付け足すように言う。
「車、向こうだから」
「……………………実は怒ってる?」
「まぁ、莉世相手じゃないけど。三日したら出るから準備して」
「三日、ね。何で三日なの?」
 昨日の時点ではまだ出て行くということしか決めていなかった。出て行ってからの問題も色々あるのに、どうして三日と決めれたのか莉世には分からない。そう思って問うと、即座に返事が返ってくる。
「ちょっと知り合いに連絡したら転がり込んで良いって言ってたから、それで」
「あぁ、そういうことなの。でも、良いの?」
 相手にとって迷惑になるのではないか、そう言葉にせずに問う莉世に契は苦笑した。
「大丈夫。一応言っておいたし、あっちもそれぐらいなら平気だって」
「そう、変わってるわね。もしかして橘?」
「当たり。よく憶えてたね」
「忘れないわよ、あのひと色々と強烈だから」
 微笑んで告げ、莉世は視線を動かした。その先に、睦月の車がある。
 後部座席のドアを開けて、莉世は苦笑しながら謝る。
「すみません、油断してました」 
「さっさと乗りなさい。怪我はしてないんだな?」
「ええ、大丈夫です」
 契がドアを閉める。車が動き出し、莉世は小さく欠伸をした。
 眠気に負けて目を閉じる。夢を見ることもなく、静かに暗闇に沈んでいく。そういう時間を、彼女は何よりも嫌っていた。

 莉世たちが去ってから数時間後、ようやく鈴は立ち上がれるようになった。
 自身の調子を確認して、彼女は溜息を吐く。
「最悪だわ。本当、書類なんて何の役にも立たないじゃない」 
 彼女の言葉に男は「やはり、あの書類には真実は書かれていなかったのでは?」と問う。部下の問いに苛立ちを感じながら、鈴は口を開く。
「書いてあったでしょう、『戦闘に向いていない』って。それは、あくまで『契と比べて』なのよ。比較対象である契が戦闘に向きすぎているから、それよりも劣る彼女も強い、ただそれだけでしょ」
 それに気付いたのは壁に叩きつけられてからだ。あの時、莉世はほとんど能力を使っていなかった。
 うるさい蚊を追い払う。その程度の力で、彼女は鈴を壁に叩きつけた。
「あれで戦闘に向いてないんなら、契なんてどうなるのよ、……それこそ、化け物なんじゃないの」
「十数人で囲んでも平然としてましたし……そう言っても問題ないでしょうね」
 本来、一対一で勝てる相手でもそれが二対一となると勝てる可能性が低くなる。だが、契の場合は十人以上で囲んでもあっさりと勝つのだ。
 それこそ、鈴が彼女にやられたよりも早く。
 男が溜息を吐いた。首を振り、彼は鈴に問う。
「これからどうなさるんですか? 予定を変更せず、このまま進めます?」
「そうするしかないでしょ。今更変更なんて出来ないわ」
 呟き、鈴は溜息を吐く。指示をしようとした彼女は部屋の隅に違和感を覚え、そこを見る。
 そして、眉を寄せた。
「貴方、何?」
 部屋の隅に、ひとりの青年がいた。いつ部屋へ入り込んだのかすら分からない男。
 彼は顔を上げると同時に口を開く。
「お前と一緒で、平和ぼけした結城莉世を良いように利用しようとしてるだけだ」
 それを聞いて鈴は眉を寄せる。彼の声に聞き覚えがある。注意して見れば、彼によく似た人物を思い出す。
「…………結城が何の用?」
 彼女の言葉に青年は笑う。その目も、髪も、莉世や契と共通した色だ。年齢も、二人とほとんど変わらないだろう。そうなれば、必然的に相手が誰なのかはっきりする。
「貴方、朔でしょう? 貴方みたいなひとがここに何の用で来たの?」
「引き摺り下ろしに来ただけだ、気にするな」
 朔の言葉に鈴は眉を寄せる。疑問を言葉にする為に口を開く。
 けれど、彼女はその疑問を声に出来なかった。それよりも先に朔が動き、彼女の視界が傾く。
 床に倒れた、それだけを認識し、鈴は立ち上がる為に力を入れる。だが、それを実行出来ない。
 視界が霞む。その中で、広がって行く紅い染みを彼女は見る。
「東宮は退場だ。そういうシナリオなんだよ、俺たちの計画は」
 頭上で、朔が呟く。その言葉の意味を考えようとして、鈴は意識を失った。

 そして、次に彼女が目を覚ました時には全てが終わっていた。
  

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