転換、再会 25



 問われるのと、轟音が全てを支配するのは同時だった。
 その音の中心が莉世であり、それを引き起こしたのが彼女であることに気付いた鈴は息を呑む。
 結城莉世は戦闘に向いていなかったのではないか、そう考えていると不意に莉世が微笑んだ。
 その笑みに、鈴は覚えがあった。
 莉世の姉である結城亜梨紗が良く浮かべていた笑み、幼い時の莉世が浮かべることなく、同時に数週間前に見た莉世が浮かべることもなかった笑み。
 そんな笑みが彼女の顔に浮かんだことで、鈴は悟る。
 彼女は、甦るまでの時間、眠りに就いていた。そして、外界からの影響はほとんど受けていない。
「全く、隠した結果があれ? ただ貴女を奥に追いやっただけじゃない」
「それはハズレ。正しく言うなら、私を水底に沈めて、莉世を表として出したのよ。表と裏を反転させたの」
 もっとも、と莉世が小さく付け足す。
「私が沈められるまで、あの子は存在してなかったけど」
 その意味を理解して、鈴は小さく嗤う。
「つまり、契はあの日から存在するようになった結城莉世の面倒を十四年も見てたの? 自分のことなんて何も憶えてない、全てにおいて貴女よりも劣る偽者の面倒を」
「そう思うならそうでも良いわ。でも、あなた、一つ忘れてない?」
「何を?」
 首を傾ける。それとまったく同じタイミングで、鈴の首筋には莉世の手が突きつけられていた。
「私が表で、あの子が裏だった。それってつまり、元は同じ存在なのよ? 私を侮辱して、私が怒るとは思わなかったの?」
 冷や汗が流れる。いつ彼女が動いたのか、鈴には分からなかった。気が付くとこうなっていた、そんな状態なのだ。
「貴女……契と一緒で、気が短すぎるわよ」
「そうでしょうね。でも、安心して。私が怒る時なんて、侮辱された時か、契に何かあった時だけよ」
「それはそれでどうかと思うんだけど……。貴女、絶対それ以外でも怒るでしょ」
「さあ? ちゃんと考えたことないから分からないわ。でも、憶えておきなさい」
 莉世が目を細める。契と同じ様な蒼の瞳は彼よりも苛烈な光を宿す。
「私は、私の敵に容赦しない。容赦なんて、絶対にしないわ」
 突きつけられた手は、少しでも動かすだけで鈴の命を奪える。ここで莉世の機嫌を損なえば命を失ってもおかしくない。それを理解していながら、鈴は彼女を挑発する。
「出来るの? 甘やかされ、護られ、犠牲を払って生き残らせられた貴女が? よく言うわ、貴女はこれ以上喪いたくないだけでしょう? これ以上の喪失に耐える自信がないから必死になっているだけじゃない!」
「…………まぁ、そういう見方も出来るわね。でも、だからって容赦する理由にはならないのよ?」
 鈴の首に軽く爪が食い込み、ゆっくりと流れた血は首を濡らした。それを元に、鈴は自身の意志を現実に反映させる。
「……っ!」
 莉世が僅かに目を瞠った。彼女の視線が向く先、彼女の指先には鈴の血液が付着している。それが姿を変え、彼女の腕を拘束していた。
「貴女も大概馬鹿よね。油断しすぎよ、吸血鬼相手に血を流させるなんて」
 鈴はそう告げ、莉世の顎を掴む。寸前までと違い優位に立った鈴は小さく笑う。
「本当、馬鹿。そういうところが契の従妹で亜梨紗の妹よね。そっくりだわ」
「そう言われても全然嬉しくないわね。私の前で二人を侮辱するなんて、死にたいの?」
「あら、貴女に何が出来るの? 私、貴女の能力は知らないけどあまり戦闘に向いてないのは知ってるわよ?」
 鈴は過去に見た書類を思い出しながら告げる。
 結城家の中で、莉世に関する情報は少ない。だが、その中で彼女は戦闘に向かないと断言されていたのだ。そう断言された理由は忘れたが、鈴には『向いていない』という情報だけで充分だ。
「確かに、向いてないわね。契と比べれば、どうしても私は見劣りするわ。でもね」
 言葉を切る。それだけのことで、鈴の背を冷や汗が伝った。彼女の言い方ではまるで。
「契と比べて向いていない、というだけなのよ」
 ある程度の戦闘は可能だと、彼女は告げる。拘束されたままの腕に視線をやり、莉世は「これ、結構痛いわね」と呟くと右腕を軽く振る。
 それだけで、彼女の腕は自由になっていた。どうやって拘束を解いたのか分からず視線を動かした鈴は数瞬前までいなかったものを見つける。
「貴女、戦闘に向いていないってそういうこと?」
 莉世の足元には黒い獣がいた。その獣の口元が濡れていたことから、鈴はそれが拘束を解いたのだろうと判断する。
「ええ。コントロールが下手なのよ。だから、出来る限り使いたくないの」
「どちらにしても、反則ね。充分戦えるじゃない」
「私、後方支援は出来ても前に出るのは無理だから。戦えないって認識で良いわよ」
「それもあくまで『契と比べて』でしょう?」
「本当に向いてないのよ、私は。一人で戦えって言われたらほとんど何も出来ないわ」
 そう言って莉世は微笑む。
「だから、止めてくれないかしら? これ以上は、私にとってもあなたにとっても得なんてないわ。あともう少しすれば、あなたが部下に足止めを頼んだ契も来る。それぐらいの時間なら、私も戦える。無駄な犠牲を出すのが趣味なら、他の所でやってくれる?」 


 契は倒れた男たちを一瞥するとすぐに興味をなくし、霧生家の方へ走った。
 結城家と東宮家は格が違う。同時に、能力の強さが違う。本来ならば、莉世が運悪く鈴に会ってしまってもすぐに霧生家へ向かえる。
 けれど、莉世は本調子ではない。そんな彼女が運悪く鈴に会った場合、何が起きるか分からない。
 走っていると、獣の唸り声が耳に届いた。一瞬だけ足を止め、眉を寄せる。
 この近辺に犬はいない。そもそも、聞こえた唸り声は犬の物ではない。あの唸り声を、どこかで聞いたことがある。
 それがどこで聞いた物か思い出すと同時に契は舌打ちした。走りながら、莉世を探す。
 莉世はすぐに見つけれた。その近くに鈴と、黒い獣がいることに気付き、契はもう一度舌打ちする。
「莉世、俺にああ言っておいて自分は怪我した?」
「大丈夫、もう治ってるから。そもそも私、怪我しないって言ってないわよ?」
「知ってる。でも、何でそいつがいるの?」
 契が指差したのは莉世の足元にいる獣だ。鈴を威嚇しながら莉世を護ろうとするそれは、本来ならばいるはずのない獣だ。
「ちょっと危なかったから。そういえばいるなって思い出したのもあるけど」
「思い出すのが遅い。普通に右腕振ろうとするからおかしいとは思ってたけど」
 常に莉世の影に潜んでいる獣は莉世に呼ばれない限りほとんど出てこない。獣を呼び出す方法の内、一番時間が掛からないのは右腕を振ることだ。
 だが、時間が掛からないという利点がある代わりに呼び出す気がなくても呼び出してしまうと言う欠点が付いて回る。
「でも、別に良いじゃない。十四年も寝てたのにしっかりしてるんだから」
 そう言って微笑んだ莉世の顔を見て、契は溜息を吐く。
 獣が十四年も寝ていたという事実を感じさせないのは当然だ。莉世の影に潜み続けていた獣は全てが変質している存在であり、常識というものが全く通用しない。
 そういう風に変質させたのが自身であることを憶えているはずなのに、莉世は楽しそうに笑う。
「で? あなたはどうするの? 私は短期ならば戦える。長期戦も可能な契も来た。あなたの部下はいない。この状態でも諦めない?」
 鈴が唇を噛む。悔しそうな彼女は小さく拳を握る。
「貴女、その内痛い目に合うわよ」
「何? 負け犬の遠吠えなの? 私が寝てる間に東宮家も随分落ちたのね」
 微笑む莉世の隣で契は小さく溜息を吐く。
 安定していないといったのは彼女自身だが、その所為で口調がころころ変わっている。同じ様に、雰囲気も。
(どれに安定するんだ……)
 それを知る術はない。莉世自身、安定してどうなるかも知らないだろう。
「本当、落ちたのね。昔なら散歩に来ただけの私たちなんて襲わなかったでしょうに。正面から霧生に乗り込むには戦力が足りないのかしら?」
「貴女には関係ないわ。さっさと、私と一緒に来てくれればそれでいいのよ」
 鈴の言葉に莉世は微笑む。一見すると優しげな表情を浮かべた彼女は言葉でそれを裏切る。
「嫌よ、わざわざ罪人に捕まる趣味はないわ。落ちぶれた東宮なんて絶対に狭いでしょうし」
 莉世の足元で獣が唸る。それが主人である莉世に対する警告のように聞こえ、契は眉を寄せる。 
 契には獣の考えていることは伝わらない。完全に獣の思考が伝わるのは莉世だけだろうが、彼女はそれを口に出さない。
「そもそも、私が大人しく連いて行くと思うの? 私がそこに行けば、同時に何かも壊すわよ?」
「貴女、そんなこと出来ないんじゃないの?能力がないんでしょ?」
「さあ? 好きに判断したら?」
 そう言った莉世は鈴に対する興味をなくしたように契を見上げる。
「そろそろ帰らない? 散歩もこれで充分でしょ?」
「散歩って言うよりは運動だったけど。帰るんだったらそいつも仕舞わないと。葉月さんがびっくりするよ」
「そう? あんまり驚かないような気もするんだけど」
「驚かなくても睦月さんに怒られるから」
 契の言葉に莉世は苦笑した。
 足元の獣の背を撫で、誰の耳にも届かない呟きを零す。それを合図にしたように獣の姿が消え、右手の先を数瞬だけ見つめた莉世は踵を返す。
 その背に、鈴の放った能力が向かう。無形のそれを莉世は振り返ることもなく掻き消す。
「本当に、落ちたわね。後ろから狙うなんて弱者のすることじゃないの?」
 その呟きに答えはない。ただ、何かを言おうとしていた鈴の声と、それを止める男の声が聞こえる。
 契は部下に止められる鈴を一瞥し、すぐに興味をなくした。莉世の隣を歩きながら、彼女に一つ問う。
「莉世、本当に安定するの?」
「するわよ。そんなに心配なの?」
「ちょっと。まぁ、その内安定するなら良いけど」
 霧生家の門を潜る。玄関の扉を開けた契はリビングに向かい、同じ様に莉世もリビングへ向う。
「契、睦月さんに言うの?」
「言うよ。あいつらがこっちに来ないって確証もないし」
「そう。言うのね」
 莉世の横顔を見下ろし、契は問う。
「言わない方が良いって思うの?」
「そうじゃないわ。ただ、東宮だけじゃなくて、あのひとたちまで来たらここから出た方が良いのかと思っただけ」
 あのひとたち、という言葉が誰を差すのか莉世は口にしない。けれど、口にしたくない相手だと分かっている契は「そういう問題もあったね」と呟く。
「しつこいから出て行ってもその内見つけられるだろうし……そうなったらいつまでも逃げ続けるってことになるかもしれない」
「それ、嫌ね。あのひとたちから逃げ続けるなんて、まるで私が悪いみたいだわ」
 莉世の顔に疲れたような微笑みが浮かぶ。契は彼女の髪を梳きながら「出て行くとか、出て行かないとか、そういうのは後で考えよう」と呟き、リビングの扉を開けた。



Copyright (C) 2010-2011 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system