転換、再会 24



 模様替えは数時間で済んだ。莉世は机とベッド、テーブルなどの位置を動かしただけで基本はあまり変えなかったからだ。
 それらを動かし終えるとすぐに莉世は寝た。安定していない彼女にとって今一番必要なのは睡眠だろうと思い、契は邪魔にならないように窓際に移動する。
 そこから見えるのは霧生家の庭と道路。夜が明けてからそれほど経っていない所為で通行人は少ないが、あと数時間もすれば学生が増えるだろう。
 莉世を見る。
 既に深い眠りの中にいる彼女も、二日前まではただの学生だった。本来の莉世である彼女がこれからどうするかは別として、彼女の身分は学生だ。 
 だが、彼女は安定するまでの間は学校に行かない。その後も、おそらく行かないだろう。学歴に執着するしない以前に、彼女と『莉世』の違いを誤魔化すのは難しい。
 誤魔化すのが面倒だから、という理由で辞める可能性もあるのだ。
 そして、契は莉世がどういう行動を取っても止めるつもりはない。彼女も考えて行動する。何も考えず、感情のままに行動することは少ないのだ。だから、莉世がこうすると決めて行動するなら止めない。
 不意に莉世の携帯が鳴る。その音で目を覚ました彼女は電話に出て首を傾げる。
「先輩、何の用ですか? 眠いんですけど」
 相手の声は契には聞こえない。莉世は会話しながら眉を寄せ、起き上がる。
「無理です。ちょっと家のごたごたに巻き込まれそうなので」
 莉世が壁に背を預けた。それを見ていた契はもう一度外を見る。
 彼女の声が意識から弾かれた。目を閉じ、契は眠気を追い払う。
 莉世と違って睡眠時間が短くても平気だが、ここ二日の睡眠時間は四時間程度だ。流石に眠い。
(眠い……。諦めて立ったまま寝るか?)
 そんなことを考えながら壁に頭を預ける。このまま寝るか、そう考えていると唐突に声を掛けられた。
「契、寝るならこっちで寝たら?」
 振り向いて莉世を見る。通話を終えたらしい彼女は淡く微笑む。
「どうせ、ほとんど寝てないんでしょ? 寝たら? 私も寝るし」
「そうする。あとで散歩でも行く?」
「起きてからね。そうじゃないとちょっと危ないから」
 何が危ないのか契は追求しない。重要なのはそんなことではなく、莉世が安定したか否かだ。
「莉世、ちょっとは安定した?」
「ちょっとだけ。まだ万全じゃないけど」
「そっか」
 莉世の髪を梳く。
 その行動に彼女は苦笑し、眠気に負けるように目を閉じる。その隣で契も目を閉じ、束の間の夢を見る。
 遠い昔の想い出。疾うに失った過去を夢という形で見て、自身が無力だった事実に後悔を抱き、同じ結末を迎えないと決意する。
 これ以上何かを失うことに耐えれないと確信している。だから、何も失わずに済むように努力する。再び決意して、契の意識は深い闇の中に沈む。

 
 
 月が出ている。その事実に、莉世は小さく息を吐いた。
 昔から、月は好きではない。かと言って太陽が好きだということもないのだが、何故か月は好きになれない。
(確か、兄さんは好きだったっけ……)
 ぼんやりと思い返す。兄である信は太陽よりも月の方が好きだと言っていた。その理由は、莉世の記憶が正しければ『暑くないから』だ。
 太陽に触れることは出来ないが、太陽の放つ熱によって暑いと感じる。それが嫌で、太陽が嫌いだと言っていた。
「莉世?」
 声が掛けられる。空を見上げていた彼女は振り向き、契を見る。
「何?」
「あんまり空ばっかり見てると転ぶよ」
「これぐらいじゃ転ばないから大丈夫よ」
 契の隣まで歩く。並んで歩きながら、莉世は小さく笑う。
「でも、契って基本的にはあんまり変わってないわよね。雰囲気が変わったぐらいだし」
「……中身の話をしたいのか外見の話をしたいのか、どっち?」
「両方。ねぇ、契にとって『莉世』ってどんな存在だったの?」
「手の掛かる妹」
「じゃあ、私は?」
「物凄く手の掛かった妹」
「適当なこと言うなら殴るわよ」
 契の背中に拳を当てる。『莉世』についてはともかく、莉世については完全に嘘だ。それが分かるからこそ、莉世は問う。
「で? 本当は何?」
「莉世、本当は分からなくても良いって思ってるんじゃないの?」
「ええ」
「じゃあ、言わない。今度言うよ」
「今度っていつ?」
「さあ? とりあえず、公園まで行く?」
 誤魔化された、そう思いながら、莉世は頷く。知れなくても良いと思っているのは事実だ。知りたいと思ったのは『莉世』に対する評価で、自身に対する評価ではない。
 歩きながら、空を見る。日が沈んだ後の空は莉世にとって馴染みのある物だが、実家の辺りと比べると星が少ないのが気になる。
「星、あんまり見えないわね」
「上ばっかり見てると転ぶよ」
「大丈夫。でも、少ないと思わない?」
「空なんか見ないから」
「まぁ、そうでしょうね。たまには見たら?」
「目を離した隙に莉世が転びそうで怖い」
 転ばないわよ、と呟きながら莉世は歩く。その視線は夜空に固定され、周囲を見ない。
「……」
 足を止める。それに気付いた契が振り返り、声を掛ける。
「莉世、どうかした?」
「……多分だけど、来るわ」
 その言葉と同時に契は眉を寄せた。
 莉世が来ると言った理由が分かったのだ。
「東宮か……」
 いつの間にか、囲まれていた。その男たちを見て、契は呟く。莉世には分からないが、東宮の血筋特有の特徴でもあるのだろう。
 男たちの中に、鈴はいない。それに気づいた莉世は契を見上げる。
「契、あの馬鹿はいないみたい」
「どうせ、どこかに隠れてる。莉世は走って帰って、睦月さんにでも言って来て」
「私が足手纏いってこと?」
 訊ねると、すぐに否定の言葉が返ってきた。
「そうじゃなくて、危ないから。莉世だって、俺の能力の範囲ぐらいは知ってるんじゃないの?」
「怪我したら怒るわよ」
「大丈夫、大丈夫。こいつら相手なら掠り傷も負わない」 
 それを聞いて莉世は微笑む。じゃあ後で、と呟いて契に背を向ける。
 元々、霧生家からはさほど離れていない。走って戻るのにそれほど時間は掛からないだろう。
 包囲網を抜ける。契の声が聞こえなくなった頃に、莉世はバランスを崩して転んだ。
(最悪……。何でこんな時に……)
 傷を負っていないか確かめる。小さな擦り傷が治ったことを確認して立ち上がり、莉世は眉を寄せた。
「もしかして、あっちは契の足止めだった?」
「ええ、そう。貴女も大概馬鹿ね。この場合、契かしら?」
 そう言って、少女は微笑んだ。薄紅の塗られた唇が弧を描く様を見て、莉世は呟く。
「相変わらず悪趣味ね。それで、何の用? まさか呑気にお久し振りって訳じゃないんでしょう?」
 そう聞き、莉世は少女の名前を口にする。
「ねぇ、東宮鈴」

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