転換、再会 23



 振り向いた莉世はリビングの扉の辺りに立っている男を見て首を傾げる。
 どこかで見たことがある。けれど、名前までは思い出せない。
 契を見る。莉世が男の名前を思い出せないことに気付いた彼は「睦月さん」と呟く。
「あぁ、睦月さんなんだ。お久し振りです」
「……十四年振りか? 二日ほど顔を見てない気しかしないが」 
「大体十四年振りですよ。『莉世』と最後に会ったのがいつなのかは私は知りませんから」
「だろうな。知っていればもう少し『莉世』の雰囲気が残ったはずだ。体調はどうだ?」
「ほとんど問題ないですよ。強いて言えばアップルパイが食べたいぐらいで」
「それはあとで葉月に言いなさい。本当に問題はないんだな?」
 重ねて問われ、莉世は頷く。
「ええ、本当に大丈夫ですよ。そんなにふらふらしてるように見えます?」
「安定してない気はするな。本当に大丈夫なのか?」
「ええ。あと二日もあれば安定しますから。何かあったんですか?」
 莉世の問いに睦月は眉を寄せる。どこから説明すれば良いのか分からないな、そう呟いた彼は「莉世はどこまで憶えているんだ?」と問う。
「何に対して、ですか? 一般常識は大丈夫ですけど」
「いや、常識の話はしていない。東宮家を憶えているか?」
 その名前に莉世の眉が跳ねる。一瞬だけ不機嫌さを表に出した莉世は微笑みながら問う。
「ええ、憶えてますよ。それがどうかしたんですか?」
「彼らの跡継ぎ……次期当主の東宮鈴が最近『莉世』に近付いた、それは?」
「あぁ、ありましたね。でも、あのひとって私の血が欲しいだけでしょう?」
「そこまで憶えているなら良い。ただ、彼らが行動を始めそうだから言っておこうと思っただけだ」
「そうですか。でも、心配ないですよ」
 莉世は微笑む。紅茶の入ったマグカップを持ち上げた彼女はあっさりと告げた。
「私、あのひとには負けませんから。そもそも、私に勝てるの、契ぐらいですし。多少不利でも、力で叩き潰せます」
「……持久力がないのにか?」
「ええ、ないから力で叩き潰すんです。最初から全力で掛かれば、私に勝てるひとなんていません。まぁ、契は別ですけど」
 紅茶を飲み、莉世は睦月を見る。
「でも、どこからそんな情報を?」
「東宮の次期当主は目立つからな。目撃証言を集めるだけで予想は出来る」
「あのひとの場合は目立つって言うよりも香水がきついだけじゃ?」
「そうとも言うな。だが、一応気を付けておきなさい」
「ええ、分かりました」
 答えた莉世の声に真剣な響きはない。形だけの返事に睦月は溜息を吐いたが、何も言わずにリビングを出て行く。それと入れ替わるようにして、奏がリビングに足を踏み入れた。
 彼は莉世を見て眉を寄せ、契に問う。
「契、これって莉世であってるの?」
「これって言うな。見たら分かるだろ」
「いや、別人だし。これが莉世だって言われてすぐに納得するのは難しいんじゃないの、普通」
「奏の普通と俺の普通は違う」
 そんな会話を聞いて莉世は眉を寄せる。契も言っているが、いきなり『これ』扱いはないだろう。
「奏、私が寝起きで機嫌悪いって知ってる?私が私だって認められないなら殴ってでも認めさせてあげるけど?」
「いや、良いよ。そういうとこは亜梨紗にそっくりだし、妹なんだなって納得出来た」
「比較して納得するのは止めて。第一、私と姉さんじゃ性格だって違うでしょ」
「きついとこはそっくりだよ。あと、外見も」
「ああ、そう」
 莉世は奏の言葉を聞き流す。そして、不意に首を傾げた。
「ねぇ、私と姉さんが似てるって言ったわよね?」
「言ったよ。それがどうかした?」
「喧嘩売ってるのかと思っただけよ。私がこう育つって確証もなかったし、ついでに言うと姉さんがあのまま育ってこんな性格になるって確証もないのに」
 姉である亜梨紗は十四年前に時間を止めた。彼女の時間は何が起きても進まない。だから、莉世と亜梨紗が似ているという言葉はおかしい。
 莉世の時間は進み、亜梨紗の時間は進まなかった。二人が似ているなど言えるはずがない。
 元々、莉世と亜梨紗は方向性が違ったのだ。幼い時は似ていても、その内差が出てくる。それを誰もが予想していた。だから、似ているという言葉は莉世の癇に障る。
「別に、姉さんのことなんてさっさと忘れろとは言わないわ。でも、私を見て姉さんを思い出すなら殴るわよ?」
「それは、莉世個人の感情で?」
「当たり前じゃない。それ以外の何で私が奏を殴るのよ」  
「亜梨紗の代わりとか」
「私が姉さんの代わりに殴る訳ないでしょ。姉さんなら、多分蹴り飛ばすわよ」
 確証はないが、亜梨紗の取りそうな行動の中で一番確率が高いのはそれだ。彼女は基本的に平手か蹴りのどちらかを使っていた。
 壁に背を預ける。溜息を吐いた莉世は目を閉じた。
 話しているだけで体力が削られていく。立っているのが悪いのか、そう思うがおそらく原因はそれではない。
 眠っていた時間が長すぎた。それが一番の原因だ。
「私、もう寝るわ」
 そう告げてリビングを出る。ふらつき、転びそうになった時に契に腕を掴まれた。
「やっぱり、大丈夫じゃないんじゃないの?」
「大丈夫よ。数日で落ち着くんだから、それまでの我慢よ」
「じゃあ、もうちょっと大人しくしてたら? 見てて不安になる」
 莉世は小さく笑う。契が心配性なのは昔からだが、昔よりも酷い。
「そんなに、『莉世』は頼りなかったの?」
「さあ。別に、莉世と『莉世』を混同して心配してるんじゃないけど?」
「知ってるわよ。聞いてみただけだから」
 契の手が離れる。階段を上がりながら、莉世は溜息を吐く。
「長い間休みすぎたって思うと溜息が出るわね。いつの間にか色々起きてるし」
「そう?」
「ええ。いつの間にか成長してたり、契の雰囲気が変わってたりとか。あとは、東宮の馬鹿が未だに諦めてなかったり、色々」
 微笑んで告げると契の眉が寄る。それを見て、莉世は呟く。
「固定されるわよ、それ」
「莉世が変なこと言うからな」
「何が?」
 契を見る。眉を寄せたままの彼は不機嫌だと全身で主張しながら告げる。
「俺の雰囲気が変わってたって言うのが理解出来ない」
「そう? でも、変わってるわよ。どこが変わったかは言わないけど」
「……莉世の性格が歪んだのは誰の所為?」
「さあ? 少なくとも、私は歪んでないって思ってるけど? ある意味分かりやすいわよ。大事なひとに何かあったら怒るだけだから」
 それが行きすぎかどうかを莉世は考えない。大事なひとという括りに誰が入るかも口にしない。
 彼女自身『大事なひと』という括りが狭すぎることを理解している。疾うに亡くしたひと以外は大事なひとなど一人しかいないのだ。
 階段を上がる。二階ではなく、三階に向かう莉世の背に契の声が当たる。
「莉世、自分の部屋で寝る気?」
「ええ、何となく。独りは嫌なんだけどね」
 言って、すぐに笑う。これではまるで子供だ。
「独りが嫌なら一緒にいようか?」
 その言葉に莉世は振り向く。いつもと何も変わらない契を見て、彼女は小さく微笑んだ。
「契にとって迷惑じゃないなら」
「莉世の行動で迷惑だって思うことはないよ」
 ドアノブを回す。自室を見た莉世は首を傾げ、「模様替え、しようかな」と呟く。
「模様替え?」
「ええ、模様替え。ちょっと家具の配置が気に入らないから」
「まぁ、莉世の部屋だし……。起きてからする? それとも、先にする?」
「今から。そうじゃないと気持ち悪くて寝れない」

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