覚醒 20




 唐突に、腕に掛かる重さが増した。契は力を失った莉世をベッドに寝かせ、彼女の横顔を眺める。
 莉世の意志と、『彼女』の意志は僅かに食い違っていた。
 莉世の望みは共存、『彼女』の望みは平穏だった。そして、優先されたのは『彼女』の意志だ。
 それを優先すると決めたのは契だ。『彼女』の意志を優先する為に莉世の意志を切り捨てたのも。
(莉世は二番目だったってことか……)
 死なす訳にはいかない。喪う訳にもいかない。だから、莉世よりも『彼女』を優先する。
 それは契個人の理由であり、他人が勝手に押し付けた都合だ。
 おそらく、莉世も『彼女』も怒らない。契の選択を当然として受け入れる。
 莉世の首筋を見る。
 そこにある二つの傷が人間ならばありえない速さで塞がったのを見て、契は確信する。
 裏は消え、表が唯一の存在として目を覚ます。その時間がやってきた。


 
 リビングで紅茶を飲んでいた弥生は視線を動かす。彼女が見たのはリビングの扉。ここからでは絶対に見れないどこかを見るように、呆然と呟く。
「莉世……?」
 違和感があった。
 元々、莉世の身体は『彼女』、吸血鬼である結城莉世のものだ。そこに自身が何者であるか知らない莉世を放り込んでいただけ。
 吸血鬼の特性を持ったまま『彼女』が眠ったからか、莉世は本当に『ただの人間』として過ごして来ていた。
 けれど、それが破壊された。
 数十分前までは、確かに莉世は『人間』だった。気配がそうなのだ。けれど、それに少しずつ揺らぎが生まれ始めた。
 そして、ついに揺らぎが消えた。
 揺らぎが収まり、『人間』の気配が消えた。それはそのまま、莉世が消え、『彼女』が目を覚ますということに繋がる。
 本来の結城莉世、吸血鬼である彼女が目を覚ませば、今まで沈黙していた者たちも動き出す。
 だから、弥生は顔色を変える。
 彼女が起きれば、彼らが動く。そうなれば、莉世や契は取り戻したはずの平穏を再び失う。
 そして、次に失うのが平穏だけとは限らない。
 十数年前は、平穏と家族を失った。厳密に言えば、契の家族はまだ生きている。けれど、契は彼らを家族だと、親だと思っていない。
 だから、契もあの時家族を失ったのだ。莉世と同じ様に、親と兄姉を失った。
 あの時の同じ様に『何か』を失うなら、次に失うものはある程度まで予想が付く。
 次に失うのは、おそらく平穏と互いの存在だ。
 そうなれば、二人は耐えれない。そんな未来を認めない為に努力するとしても、何も失わずに済む可能性など低い。
 どうなるか分からない。けれど、『平穏は失われる』ということだけは断言出来る。
(平穏が取られるだけで済む? あのひとたちが、それだけで)
 考えれば考えるだけ分からなくなる。平穏を失うだけで済む確証はない。他に何か失うとしても、それを予想出来ない。
 事の中心になる莉世が失う物と、契が失う物、外周に巻き込まれる弥生や奏、霧生家の失う物。その全てを予想することは弥生には出来ない。
 だから、怖くなる。
 弥生の身近にいる全員にとって最悪の結果が訪れるのではないかと。
 そうでなくとも、既に失われたものはある。
 今日まで存在し続けていた、ただの人間である結城莉世。彼女は、本来の結城莉世と入れ替わる形で消えた。
 元の彼女がいて、それを反転させた偽物に近い存在だとしても、彼女は確かに生きていた。
 彼女以外に、更に何か失う。そんなことにならないように、弥生は誰にともなく祈った。



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