合流、変転 23





「ただいまー、兄貴いる?」
 迅が靴を脱ぎながら問うと、リビングの扉を精霊が開けた。その隙間から顔を出しながら小さく囁く。
「います。でも、機嫌悪いです」
「え、何で? 昼飯食ってないの?」
「いえ、当主からお電話があって、機嫌悪いです」
「あー、ただの親子喧嘩か。んじゃ、今日の晩飯親子丼でいいや」
「嫌がらせですか?」
 その問いに迅は「んーん、面白がってるだけ」と答え、リビングに鞄を置いてから台所に向かう。
 夕食の準備をしながら、ソファーに座っている兄を見る。精霊の言う通り機嫌が悪そうだが、迅はそれを無視して彼に声を掛ける。
「今日さ、雛に会ったよ」
 彼女からは言うなと言われた。けれどそれを律儀に守る必要はないだろう。そもそも、兄に言わないと約束すらしていない。
「……迅、さっき何て言った?」
「今日雛に会ったよ」
「どこで?」
 呆然としている兄を見て、「珍しいなぁ」と呟き、あっさりと告げる。
「学校。あいつ、隠れるの止めたみたい。俺でもあっさり見つけられた」
「本当に近所にいるんだな……」
「だろうね。でも家の方向は逆っぽい」
 背を向け、玉葱の皮を剥く。それを薄切りにしながら迅は精霊に声を掛ける。
「桔梗、暇なら出汁作って。分量分かる?」
「大丈夫です」
「じゃあよろしく。兄貴も暇なら手伝って」
「暇じゃない。というか、お前ら学校一緒だったのか」
 もっと早く気付けよ、とぼやいた兄に桔梗が「主、無茶苦茶です」と突っ込むのを聞きながら、迅は夕食を作った。

「雛、いる?」
 扉の辺りからそんな声が聞こえ、教室にいた雛は眉を寄せた。
 普段ならば、そんな声が聞こえることはない。元々の知り合いが少ない土地にいるのだ、わざわざ友人を作ろうと思わない限り知り合いはほとんどいない。なのに、いきなり名前を呼ばれる。しかも、よく知った声で。
 視線を動かし、扉を見る。廊下側に立っている迅の姿を見つけて、雛は溜息を吐いた。
 何故訪ねて来たのかは分からないが、あまりいい話だとは思えない。仕方なく彼のところまで歩いたあと腕を掴み、廊下の端まで歩く。壁に寄りかかり、雛は迅を見上げた。
「とりあえず、色々言いたいんだけど、何の用?」
「兄貴から伝言頼まれた」
「あ、そう。で、伝言って何?」
「今日の夕方、駅前に来い。以上」
「? 何で?」
 翔に見つけられてから六日が経った。その間に事件の犯人について情報が入ったという話も聞かないし、事件が解決したという話も聞かない。
 なのに、急に駅前に来いと言われても意味が分からない。 
「何か、情報が入ったから見に行くぞって言ってた」
「……意味分かんない」
「まぁ、行ってみれば分かると思うけど?」
「うん。それだけ?」
 問うと、小さく頷かれる。礼を言ってから教室に戻る為に歩き始めると後ろから声が掛けられた。
「兄貴と殺し合いなんて、絶対にするなよ」
 声の大きさだけでいうなら、決して大きくはなかった。押し殺された、小さな声に雛は足を止める。
 振り向いて、迅を見る。いつもと同じように立っている彼は僅かな感情を乗せて呟く。
「俺は、兄貴と雛が殺し合うとこなんて見たくない」
「大丈夫、そんなことにはならないから」
 普段は浮かべることのない淡い微笑みを浮かべ、迅の言葉を否定する。
 ありえるかもしれない可能性を否定し、そんなことにはならない、という未来に賭ける。
 本当は、雛自身ですらどうなるのか分からない。
 自我を失うほどの暴走など、本当は起きないかもしれない。けれど、もしかしたら運悪く起きるかもしれない。
 どうなるか分からないから、危惧され続けていたのだ。
「もし私が暴走しても、翔が止めるから。殺し合いにはならないよ」
 逆になれば、二人とも死ぬだろう。けれど、雛が暴走するだけならば翔が止めるはずだ。
 だから、殺し合いにはならない。そんなことにはならないはずだ。

 教室に戻って席に着き、雛は眉を寄せた。
 情報が入れば連絡すると翔は言っていた。だが、実際は直接連絡せずに人伝だ。
「何の為に教えたんだか。結局無駄になってるじゃない」
 小さく呟くと優に「どうした?」と問われた。僅かな苛立ちを抱えながら、雛は口を開く。
「今日の夕方駅前に来いって人伝で言われたの。電話番号教えたのに」
「……面倒だったんじゃないか? 電話掛けるの」
「面倒じゃないと思う。それに、迅に頼むぐらいなら電話の方が早い。何考えてるんだか」
 伝言を聞けたからいいが、もし聞けなかった場合はどうするつもりだったのだと翔を問い詰めたい。いっそ昼休みに迅から電話番号を聞き出して文句を言ってやろうかと考えていると、「柚木が伝言言いに来たってことは柚木の兄貴に呼び出されたのか?」と問われる。
「そう、でも何の為に番号教えたのか分かんなくなりそう」
「俺も行っていいか?」
 その言葉に雛は目を瞠る。何となくだが、優は事件にそれほど興味を抱いていないと思っていたのだ。この前喫茶店で話をした時も、異能者だから概要ぐらいは知っておこうと思っているだけだと思っていた。
「興味あったの?」
「割と。邪魔になるから来るなって言うんなら諦めるぞ?」
「……普通に話聞くだけだと思うし、いいよ。でも、私の従兄、面白くないよ?」
「そっちに興味はない。何となく凄い厳しいひとだって分かるしな」
「別に厳しくはないと思うけど……」
 能力のこととなると厳しいが、それ以外では普通だ。強いていえば彼は無条件の優しさを与えるようなひとではない。
 優しくても、甘くはない。それが柚木翔という人間だろう。
「何か起きて邪魔だって思ったら容赦なく言えよ」
「何も起きないと思うけど……」  
 断言出来ないが、おそらく何か起きる可能性は低いだろう。もし犯人の目処が付いたから交渉に行くぞ、となっても一応予告ぐらいはするはずだ。
 それぐらいのことはするはずだ、と思いながら雛は残りの授業に集中した。

 夕方に駅前に来い、という言葉だけで時間が指定されていたわけではないが、雛は学校を終えてすぐに駅前に向かった。同じように、優も駅前に向かう。
「そういえば、雛の従兄って師匠でもあるんだよな?」
「うん」
「やっぱ、強いのか?」
「うん、強いよ。翔に一人で勝てるひとなんてこの時代にはいないと思う。私でも、絶対に勝てないし」
 過去に手合わせとして戦ったことがあるが、かなり手加減され、雛に有利な状況であったにもかかわらず勝てなかった。
 もし、昔と同じ条件で手合わせをしても雛は負けるだろう。よくて掠り傷を負わせるぐらいだ。
「……あの時、翡翠でも呼び出して殴ってもらえばよかった。そうしたら勝てたのに」
「どんな条件だったんだ?」
「掠り傷でも何でもいいから、傷を負わせたら勝ち。手段は選ばなくてよし」
「……何で勝てなかったんだ?」
 その問いに雛は沈黙する。溜息を吐いてから、「身長差」と答える。
「翔は普通に立ってただけなんだけど、頭押さえられたの。で、顔上げれなくて。手を除けようとしても力が全然違うから無理で。その上、能力を抑えられたから何も出来なかったの」
「…………何で負けたんだ?」
「頬をね、軽く叩かれたの。ぺしん、って感じで」
 あの時、翔は『その場から動かず、能力も攻撃には使わない』ということを条件にしていた。
 攻撃に使わなければ何に使ってもいい、そういう罠に引っかかったのだ。
「卑怯じゃないか? それ」
「ううん、普通。伯父さんとかだったらいつ始めるとかも言わずにいきなり腕掴んでそのまま投げるから」
 伯父曰く『油断したら負けだ』ということらしいが、いきなり投げられた時は卑怯だと感じた。
「それに比べたら翔の方が優しいの。条件だけ見れば」
「褒めてるのか貶してるのかはっきりさせろ」
 唐突に響いた男の声に雛は顔を上げた。そして、「六日振り」と告げる。
「六日振り、じゃないだろ。褒めてたのか、貶してたのか、どっちだ」
「ご想像にお任せします」
「つまり貶してたんだな」
「ううん、比較してた」
 雛はそう告げると視線を動かす。翔の後ろに充がいるのに気付くと「あれ、土師さんも呼んだの?」と問うた。
「あぁ。それより、誰だ、それ」
 翔の言葉が示しているのは優だ。雛はしばらく考えた末に「友だち。興味あるから来たの」と告げる。
「……てことは、異能者か」
「家系に繋がってないらしいけどね」
 呟き、雛は首を傾げる。
「そんなことより、何で呼んだの?」
 理由を説明されることなく呼び出されたからまだ理由を聞いていない。雛も優も、翔が何を考えて呼び出したのか分からない。
「犯人が誰か分かったからちょっと交渉に行くんだ。で、どうせだから戦力として雛も呼ぶか、ってなった」
「交渉なのに戦力?」
「こんなことはもう止めろって言って大人しく止めるとは限らないからな」
 それを聞き、雛は眉を寄せる。
 交渉に行ってそれに失敗したとしても翔と充がいれば何とかなるはずだ。わざわざ雛まで呼び出す必要はない。
「何で私まで?」
「多人数で来られたら流石に危ないからな」
「そう?」
「まぁ、保険だけどな」
 翔が小さく呟いた。それを受けて、雛は「じゃあ、私を呼ぶ必要なんてないじゃない」と文句を言う。だが、その言葉は翔にしか届かず少し離れた場所にいた充が「んじゃ、ちょっと歩くか」と告げる。
「歩くって、どこまで?」
「犯人のいるところまで。大丈夫だ、そんなに遠くない」
 そう言って歩き始めた充の後ろを付いて行きながら、雛は翔に声を掛ける。
「翔って普段何してるの?」
「仕事」
「異能者絡み?」
「ああ。あとは、充の仕事手伝ったり、親父に仕事押し付けられたりだな」
「大学、行かなかったの?」
 雛の記憶にある限り、翔の成績が悪かったことはない。何となく見せてもらったテストの結果にしても、八十を下回る点数を見たことがない。だが、翔の言葉を聞いている限りでは、大学に進まなかったように聞こえる。
「どうせ、行く気なかったからな。充も行ってないぞ」
「え、そうだったの? じゃあ、透さんは?」
 翔の弟であり、柚木家次男の名前を出すと、彼は沈黙した。そして、しばらくしてから「あいつは行ってる」と呟く。
「あいつはこっちにいるのが嫌だったからな」
「……悪いことしたかなぁ」
 柚木家次男は、本来なら一族の中でも頂点に近い位置に存在するが故に強い能力を持つ。
 今でも、彼は優秀だ。精霊を従えれる限度は三体。始祖以外の者ならばそれ以上従えることは不可能だと言われていた数なのだから。
 けれど、翔と雛は違う。始祖に次いで能力を持った二人の限界を知った者は透の限界を知ると眉を顰めてしまう。
 あの二人に比べて大きく劣っている。そう感じてしまうのだ。
「別に悪くないだろ。俺たちがこんな能力が欲しいって思って手に入れたわけじゃないんだ。偶然の結果を逆恨みしてる馬鹿は放っておけばいい」
「馬鹿って……弟でしょ?」
「暴走して殺しあえばいいって思ってるような弟だがな」
 その言葉に雛は僅かに目を瞠った。
 暴走して殺しあえばいい、そう思われていたことに今日まで気付いていなかったのだ。
 彼女の周りにいたのは、暴走しなければいいと考えるひとか、暴走するのではないかと危惧するひと、もしくは暴走した末の殺し合いなど起こすなというひとだけで、暴走した末の殺し合いを望むひとなどいなかった。
「今も……?」
「いや、今はそう思ってない。でも、暴走すればいいのにな、ぐらいは思ってるだろ」
「迅みたいに、執着がないひとじゃなかったんだ」
 迅は翔と雛の能力が始祖に次いで強いことに対し何も思っていない。それは彼が異能者であると同時にそれほど能力に執着しない性格だからだ。
 同い年の従兄がそういう性格だったから、暴走して殺しあえばいいと考えたことのある人間がいるとは思わなかった。
「まぁ、あいつみたいに考える奴はほとんどいないけどな。あいつは異能者として生きていくことを止めたんだ、気にするな」
「透さん、私たちを抜きにしたら優秀だったのに……」
「制御だけ見ればお前より優秀だったな。お前は今でも下手だ」
「放っておいて欲しいんですが」
「何で弟子の欠点無視しないといけないんだ。おかしいだろ」
 正論を言われ、雛は黙り込む。そして「あとでちゃんとやり直すからいいの」と呟く。
「本当にやり直すのか?」
「やり直すよ。翡翠に見てもらう」
「異能者として生きるって決めたって取っていいか、その言葉」
 思わず足を止める。雛は驚愕が張り付いた顔を上げ、翔を見る。
「成瀬雛は異能者として過ごすと決めた。そう取っていいのか?」
「……保留じゃ、だめ?」
「別にいいぞ。今すぐ決めろって言っても決めれないんだろ?」
「……分かってて、言った?」
 試す為に言ったのかと問うと淡い微笑みが返って来る。
 誤魔化す時の癖だと知っているから、雛は文句を呑みこみ代わりに一言呟く。
「性格悪い」
「それぐらい知ってただろ」
「知ってるけど、昔より悪くなってるような気がするの」
 昔はもう少しマシだったような気がする。尤も、はっきりと断言出来ないのだが。
「充、そろそろ着いたか?」
「あぁ、着いたぞ。ここだ」
 そう言って充が指差したのは、一見するとどこにでもあるビルだった。
 けれど、雛たちは『違う』と感じる。ただのビルではなく、『どこか違うビル』として認識する。
「んじゃ、行くか」
 充の言葉に全員が頷き、ビルの中に入る。
 彼らはそこで一つの異状に直面する。  



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