合流、変転 22




「雛ー」
 月曜日の放課後、聞こえてきた声に、いつもと同じように帰ろうとしていた雛は足を止めた。
 聞き覚えのある声だから振り向きたくない、そう思っている間に数メートル先に進んでしまったらしい優に声を掛けられる。
「雛?」
「……優、私の後ろ、誰かいる?」
「そりゃ、帰ろうとしてる奴等が何人か。どうかしたのか?」
「…………何か、呼ばれたような気がするんだけど、振り向きたくない」
 そう言うと同時に、再び声がする。
「雛ー、おーい、雛ー」
 その声に、聞き覚えがあった。いま聞こえる声よりも高い声と、僅かに低い声、その両方に。
 振り向きたくない。そう思いながらも、雛は諦めを浮かべて振り返る。その視線の先に、茶に近い黒髪と濃いブラウンの瞳を持つ少年がいた。
 それを見て、彼女は「やっぱり」と呟く。
「迅、ひとの名前連呼しないで。迷惑になるから」
「誰の?」
「それぐらい自分で考えて」
 追いついてきた少年にそう返し、雛は溜息を吐いた。
 声に聞き覚えがあるのは当然だ。迅は、翔の弟。家を出る前まで幾度となく聞いていた声と、ほとんど変わらない声を持つ。ただ、強者たる貫禄がないだけで。
(……嫌な考え方)
 ゆるく、頭を振る。昔嫉妬の目を向けてきた親族、それと同じ考え方をほんの一瞬でもしてしまったことに小さな後悔を抱く。それを表に出すことなく、雛は迅を見上げた。
「それで、何? わざわざ呼んでたってことは、何か用でもあるの?」
「いや、ないよ。単にこの前までなかった雛っぽい気配があったから捜してただけ」
「捜さないでよ。あんまり会いたくないんだから」
 既に翔に見つけられた以上、もう隠れる必要はないかと思って名草の結界は単純に雛の暴走を防ぐ為だけの物になっている。
 おそらく、迅が彼女を見つけれたのも能力が隠されていないからだろう。そうでなければ、四年も会っていない従妹を見つけられないはずだ。
 それを告げずに、雛は迅に背を向ける。だが、下ろしたままの髪を引っ張られ、彼女は小さく悲鳴を上げる。
「迅、嫌がらせでもしたいの!」
「いや、あっさり帰ろうとするからむかついただけ」
「迅のそういうところ嫌い」
「俺は雛の性格割と好きだよ」
「紛らわしい冗談も止めて、優が引いてる」
 数メートル先で立ち止まっている優を指すと迅は首を傾げ、「何? 友だち?」と訊く。それに頷きながら、雛は優に声を掛ける。
「優、先に帰っててもいいから」
「……雛、そいつ、知り合いか?」
「…………会いたくなかった従兄。同い年の」
 それだけを告げると、迅本人から抗議の声が上がる。
「雛、俺の方が年上」
「一ヶ月は年上に入らないの」
 髪を掴んだままの手を叩き、雛は迅を見上げる。
「で? 本当に何も用がないの?」
 濃いブラウンの、感情の読めない瞳、それを見上げていると同時に翔を連想する。思い出しかけた声を封じ込める為に、ゆっくりと瞬きをする。
 その小さな動きに、迅も気が付いたのだろう。不意に薄い笑いを浮かべ、はっきりと告げる。
「なかったんだけど、いま出来た。雛、今日暇?」
 嫌な予感がする。そう感じた雛は首を振った。けれど、迅に手首を掴まれる。
「よし、暇だね。んじゃ、駅前まで行こ。で、四年ぶりに色々話そ。特に兄貴のこと」
「ちょ、待って! そもそも、兄貴ってどっちの?」
「普通に考えたらすぐ分かるじゃん。透兄のこと雛と話す必要なんてないし、それに兄貴って雛にとって何?」
 薄い笑いが浮かんだままの顔が近付いた。翔と同じ笑い方をする迅の顔を見ながら、雛は小さく呟く。
「師匠……」
 こんな風に、身内である人間に彼が師匠だと言ったことは今まで一度もない。
 わざわざ言葉にする必要がなかったのだ。誰も、雛の師が誰であるかを気にしなかった。気にしたのは、雛の能力が暴走するか否か。
 浮かんできた記憶を封じ込める。迅の顔から視線をはずし、雛は優を見た。
「優、どうする?」
「…………そもそも、どういう関係なんだ?」
「ただの親戚。迅、そろそろ離して」
「雛、そいつってただの友だちじゃないの? もしかして、一緒?」
 その言葉に優の肩が小さく跳ねたのが見えた。雛は迅に視線を戻し、頷く。
「そう。でも、ちょっと違う」
「あぁ、そっちか。まぁいいや、さっさと行こ。そんなに暇じゃないし」
「…………分かった。でも、何で行かないと駄目なのか説明して」
 そうじゃないと行かない、と付け足し、雛は迅を見上げた。彼の肩越しに見える空の色を眺めながら言葉を待つ。
「何でって……何となく。まぁ、雛もあの騒ぎに関わってるみたいだし、その辺の話聞きたいなって思ったのもあるけど」
「その言い方だと私が犯人側みたいじゃない。それに、面白い話なんて何もないわよ?」
「別にいいよ、雛が面白くないって思ってるだけで面白い話かもしれないし」
 言い切り、迅は優を見る。そしてついでのように「あんたも来る?」と声を掛ける。
「まぁ、来ても面白いことなんてないだろうけど」
「…………行く。雛、ついでに騒ぎについて教えてくれ。気になる」
「いいけど、私だって分かってないことの方が多いよ?」
「別にいい」

 騒ぎについて教えてくれと言われても、雛に説明出来ることは少ない。だから、必要最低限の概要のみを語った彼女に、優が疑問を問う。
「そもそも、何で他人の異能が爆弾になるんだ?」
「他人のだから。ちょっと強引な例えになるけど、人間の身体に他の生物の血を入れると大変なことになるでしょ? それと一緒」
「…………分かりにくい」
「分かってよ、これぐらい。迅、説明お願い。面倒になった」
 ストローで紅茶を掻き混ぜながら彼に言うと、小さな苦笑が返って来た。
「自分で始めたんだから最後までやろうよ。相変わらずだなぁ」
「やだ、これ以上分かり易い説明なんて出来ない。頭痛くなるの嫌」
「ガキ」
 からかう様な声を彼女は無視した。雛に無視されたことを気にすることなく、迅は優に説明を始める。
「まぁ、雛も言ってたけど結局拒絶反応なんだよ。元々異能を持ってない人間に、いきなり異能を入れたらそれだけで危ない」
「そうか? 持ってても持ってなくてもやばそうな感じするけど」
「俺たちみたいに最初から異能者だったらすぐに拒絶反応が出るけど、そうじゃなかったら時間が掛かるから。だから、爆弾」
 そこまで説明して、迅はコーヒーを一口飲んだ。カップを手に持ったまま一瞬だけ雛に視線を向ける。
「例えばだけど、俺の能力を雛に入れたとしたら、すぐに拒絶反応が出て死にそうになるよ。元を辿れば同じ物でも俺たちに合わせて変化してるから、結局『異物』だし」
「それが全くない一般人はあとから被害が出るってことか?」
「そういうこと。多分、何も持ってないからだろうね。風邪とかインフルエンザとか、そういうのの潜伏期間と一緒じゃないの? まぁ、こんな馬鹿なことやったひとなんてほとんどいないから確実な資料とかないのが現実だけど」
 そう言って、迅は説明を終える。優が何かを問うとしていることに気付き、雛は「どうしたの?」と訊ねる。
「いや、仮に潜伏期間だとしてもあとから被害が出るって言うのが不思議だなって思っただけだ。最初から出てもおかしくないんじゃないか?」
 彼の問いに、雛は視線を上へ向ける。何十年も営業している喫茶店の、年季を感じさせる天井を見ながら囁くように答える。
「最初から出てるよ。それに気付かないだけで、最初からゆっくり確実に蝕まれてるの。最期が来るより先に能力を取り上げてるから、初期の被害者以外に死んだひとはいないけど」
 小さく溜息を吐く。結局、後手に回るしかないのが現実だ。どこかにいる後天的な異能者を見つけて能力を取り上げても、その裏で犯人は新たな異能者を生み出す。
 一人救っても、その裏で五人が被害者になっている、そんな可能性すらあるのだ。
「ほんと、嫌になる。誰が始めたのか知らないけど、他人を巻き込むっていうのが許せない」
「雛、いいこと教えてあげよっか? 何年か前に兄貴も同じ様なこと言ってた」
「うん、どうでもいい情報は要らないから。私と翔の考え方が似てるなんて本当にどうでもいい」
 迅の言葉を切り捨て、雛はそう呟いた。アイスティーを一口飲んでから彼の濃いブラウンの瞳を睨む。
「大体、ある程度似ちゃうのは仕方ないでしょ? あのひとの刷り込みが大きいんだから」
「刷り込みって認めるんだ、珍しい」
「うるさい。あんまり言うなら怒るわよ?」
 その言葉に、迅が小さく笑った。テーブルに肘を着き、翔と同じ様に笑う。
「本気で怒れるなら怒れば? 生温い怒りじゃなくて、本気で」  
「そういうところが、嫌なのよ。誰に似たの?」
「さぁ? 兄貴じゃない? それ以外に影響が強いひとって思い浮かばない」
 雛は小さく舌打ちしてもう一度紅茶を飲んだ。そして、口出し出来ずに黙っていた優に視線を向ける。
「取り合えず、騒ぎについては分かった?」
「…………大体分かった」
「でも、何か気になることあるんでしょ? 顔に出てる」
 指摘して、雛は「気になるなら聞いて、答えれることなら答えるから」と付け足す。
「雛、親戚に見つけられたくないんじゃなかったか? 柚木って親戚だろ?」
「え、それ?」
 騒ぎについて聞かれると思っていた所為で、全く違うことを聞かれると困る。どう言えば一番分かりやすいかを考えながら、雛は事実だけを口にした。
「ちょっと前に迅の兄に見つけられたの。で、諦めた」
「早くないか、諦めるの」
「一番見つけられたくないひとに見つけられたからもう無駄だなぁって思ったの」
 元々、見つけられたくないと思っていたのは翔に会いたくないからだ。再会してしまった以上、諦めるしかない。
「だから、昨日ぐらいからは隠れるの止めてるの。で、迅にも見つけられた」
「雛、それだと俺に会いたくなかったみたいに聞こえるんだけど?」
「うん、会いたくなかったから。別に何も間違ってない。他は?」
「ない」
 それを聞き、雛は「そう」と呟いた。腕時計を見ながら、「じゃあ、そろそろ帰る?」と問う。 
「何時なんだ?」
「七時前」
「もうそんな時間? さっさと帰んないと今日の飯やばいじゃん」
「それは迅の自業自得でしょ?」
 それぞれ代金を支払い、喫茶店を出る。方向が逆だから、と言って別れた優の背を見送り、雛は歩く。わざわざ歩く速度を合わせて隣を歩く迅を見上げ、「家、こっちなの?」と訊く。
「まぁ、大体。雛、兄貴の家知ってる?」
「うん」
「俺、そこに転がり込んでるから」
「まさか、昨日いたの?」
「寝てた。雛が来てたって言うのはあとで聞いたけど、まさか近所にいたとは思ってなかったよ」
 だから今日見つけれて驚いた、そう言われて雛は溜息を吐いた。
「私は出来れば会いたくなかったから。迅って翔に似るんだろうなぁって考えると嫌だったの」
「それ、俺の方が嫌だよ。兄貴に似るって絶対に嫌だ」
「でも、もう手遅れでしょ? そっくりだし」
「いや、あそこまで強者じゃないから。そもそも俺、異能とかいらないし」
 彼がさらりと口にした『異能とかいらない』という言葉に、雛は一瞬だけ呼吸を止める。
 異能なんていらない、そう叫んだことを思い出す。
「……変わってないね、そういうとこ」
「変わり様がないしね。まぁ、俺は能力に執着してないだけ」
「昔から執着してないっていうのはある意味凄いよ」
 異能を失くすことに恐怖する異能者は多い。そう思わないのは強すぎる能力を持った強者か、迅のように自身の能力に執着せず、興味も持たない者だけだ。
 けれど、自身の異能に執着しない者などほとんどいない。強者だから執着しない者は多くても、優秀だと言われながら執着しない者はいないのだ。
「別に凄くないと思うけど? 俺の場合、兄貴も雛も強すぎたから諦めただけだし」
「そうやって諦められるところが凄いの。普通は無理だよ、そんなこと」
「そういう言い方だと俺が普通じゃないみたいに聞こえる」
「そういうつもりで言ってないから大丈夫。貶してるんじゃなくて褒めてる」
 断言して一度足を止める。
「じゃあ、私向こうだから」
「俺はあっち。兄貴に雛の家の方角教えた方がいい?」
「黙ってて。出来れば今日私に会ったことも言わないで」
「何で?」
 迅が首を傾げた。その仕草を見て翔とは別人だと思いながら、雛は理由を告げる。
「あんまり会いたくない。あのひとは、完成してるから」
 告げても、迅には分からないだろう。異能に執着せず、異能者であることを肯定しながらも異能者ではない彼には分からない。これが分かるのは、自身の力量を理解している異能者だけだ。
「なら、さっさと追い付けば? 素質はあるんでしょ?」
「無理。私はあのひとの位置に立てない。隣に並ぶのも難しいよ」
 翔は生まれた時から強者だ。始祖に次ぐ歴代二位の男、それが柚木翔でありこの時代最強だ。雛はそれよりも劣る歴代三位、彼の隣に並ぶことすら難しい存在だ。
 だから迅の言葉をやんわりと否定し、話を終わらせる。
「じゃあ、また今度」
 彼の返事を聞かないまま背を向け、駅の改札を通る。ざわざわとした音を感じながら電車を待った。  



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