合流、変転 19




「四年振りだな、雛」
 そう告げられて、雛は「その間に諦めてくれればよかったのに」と思った。
 どうして、今まで捜し続けていたのだと叫びたい。捜してくれと頼んでいないのだから放っておいてよかったのにと泣き喚きたい。
 だが、そんなことをしても意味はない。ただ、時間の無駄にしかならない。
 だから、違うことを口にした。
「翡翠、たちは?」
「どっかにいるだろ。多分、お前の家じゃないか?」
「そう……」
 下を向く。顔を見たくないと思ったし、見られたくないとも思った。
 小さく拳を握る。そうしないと駄目だと直感が告げていた。
「何で、来たの?」
 雛の行動を読むことなど、彼には簡単だっただろう。行動を予測出来るようになるには充分過ぎる時間、彼は傍にいた。
「お前だったらここに来るだろうって思ったからな」
 言われ、雛は唇を噛む。理解していたのなら、なおさら来ないで欲しかった。だが、彼は自分を捜していたのだから来たはずだ。
 もし、来たのが別の人間であったなら、彼女はとっくに去っていた。
 どんな用件であれ、去っていたのだ。もし後天的な異能者であったならば精霊がいないままでも戦っただろうが、それはあくまで例外だ。
 今、この場から去れないのは来たのが柚木翔だったからだ。
 雛にとって男は師であり、目標であり、何よりも兄だった。
 だから、精霊を退去させられた今でも、逃げられないのだ。
「何で、来たの……」
 もう一度繰り返したのは、来て欲しくなかったからだ。そうでなければ、何度も同じことを言わない。
「四年も経ってるのに何で諦めなかったの? 普通、途中で諦めるのに……」
 最初の内だけ、捜されると覚悟していた。だから、会いたくないと言い続けた。
 途中で諦める。そう思っていたのに、現実は違った。
 目の前の男は、途中で諦めなかった。そして、雛は見つけられたのだ。
「会いたくない、って言ったのに」
 家を出る前に、伯父が翔に伝言はあるかと聞いたのだ。彼女は首を振り、「会いたくないからない」と返した。
 伝言を頼めば、捜される。それが嫌だった。
 捜して欲しくなかったのだ。会いたくないから、捜して欲しくなかった。何より、逃げた自覚があるからこそ、会いたくなかった。
「お前が会いたくなくても、俺はお前に会わないといけなかったんだよ」
 雛は首を振る。会わなければならない必要などない。久々に会えたことに喜ぶ資格も、既に失った。
 引き止められるのが分かっていたから、彼がいない間に逃げた。行かないでと泣いた妹の手を振り払い、逃げた。
 だから、翔が会わなければならないと思う必要などない。
「翔に会わないといけない理由なんて、ないよ。翔が、私に会わないといけない理由もない」
 そう告げてから、一つだけ理由があったと気付く。
 精霊の返還。
 雛は逃げる時に精霊を返さず、そのまま逃げた。本来ならば逃げ出すと同時に精霊を返すべきなのに、それすら忘れていた。
「何で、会わなきゃいけなかったの?」
 もし、精霊の返還について言われたら従うつもりだった。
 逃げ出した彼女がこれ以上精霊を従えていても、無駄かもしれない。親族が従えた方が為になるのなら、すぐにでも返す。
 だが、翔が告げた理由は全く違うものだった。彼女が予想すらしなかった言葉を、翔は告げる。
「悪かったな、色々」
 目を瞠る。驚いて顔を上げると冗談でも何なく、本当に謝っている翔がいた。
 それが冗談ではないと、雛には理解出来る。彼は、冗談で謝るような性格ではなかったはずだ。
「何で、翔が謝るの……」
 呆然と呟く。翔が謝る必要などないと思う。
 わざわざ彼が謝らなければならないことなど、思いつかない。
「謝る必要なんて、ないでしょ。わざわざ謝らないといけないことなんて、なかったはず……」
「あったんだ。逃げ出そうと思うぐらいに追い詰められてたことに気付かなかったからな」
 それを聞いて、雛はもう一度下を向く。
 逃げ出そうと思うぐらい追い詰められていたのは事実だ。だから、彼女は逃げ出した。
 けれど、それに対して翔が謝る必要はない。少なくとも、彼女はそう思っていた。
「気付かなかったから、謝るって、何で? 気付かなくて当然だったのに……」
 翔に向かって、逃げ出したいと言ったことは一度もない。誰にも言わず、あの日初めて父と伯父に言った。
 翡翠ですら、驚いた顔をしていたのだ。一番長い間傍にいた精霊にも気付かないように隠し続けていたことに、一人暮らしをしていたこともあって週末にしか会わなかった翔に気付けるはずがない。
「気付けるはずだったんだよ、本当は。俺も昔は同じ目を向けられてた。それが苦痛だってことは、俺が一番知ってた」  
「だから、謝るの?」
 返事はなかった。それが肯定だと理解出来た雛は顔を歪める。
「何で、今更、謝るの……。もう、四年も経ってるのに……。何で、今更謝るのっ」
 叫びかけて、途中で止める。熱を憶えた目元を拭う。
「四年も経ってるのに、何で……」 
「お前が逃げるから言うのに時間が掛かったんだよ」
「そんなの、逃げたくて逃げたんじゃ、ないのに……っ」
 言ってどうするのだと、誰かが告げる。
 限界まで我慢して、耐え切れなくなったから逃げ出した。耐えれる間は耐えていたのに、それすらも出来なくなって逃げ出した。
 だがそれは、誰にも告げたことのない真実だ。今更口に出しても意味などない、過去の出来事。
「何で、謝るの……? 結局、全部私が悪いのに……」
 泣き出した雛に向かって翔が手を伸ばす。けれどそれは、彼女に届く前に別の手に払われた。
「泣かせた馬鹿は触るな。雛、落ち着いて」
 翡翠はそう言いながら雛を抱きしめ、頭を撫でる。その光景を見ながら、翔は「思ったよりも早かったな、戻ってくるの」と呟いた。
「本家まで戻しておきながら何言ってんだ。その所為で雛が死んだんじゃないかって騒がれたぞ」
「本家に戻ったのか?」
「お前の所為で四年ぶりに里帰りだよ、次期当主様」
「翡翠、口悪い……」
 落ち着いてきた雛の言葉に翡翠は「だって戻って来るの結構疲れたし」と返し、隣に佇む名草を見る。
 無言で同意を求められた名草は苦笑しながら「まぁ、遠かったのは事実ですけど」と呟き、翔に向かって頭を下げる。
「お久し振りです、次期当主。よくも本家まで返してくれましたね。お元気そうで何よりです」
「名草、間に何か挟まなかったか?」
「こちらに常盤がいるとは言え、遠かったので」
 移動に長けている常盤は短距離ならば距離を無視して一瞬で戻って来ることも可能だ。だが、一定以上の距離となるとそれなりに時間が掛かる。当然のように、本家からここまで来るのにはそれなりに時間が掛かったのだろう、名草の機嫌が悪い。
「まぁいい。雛、お前、ここ最近の騒ぎに関わってただろ」
 その指摘に雛の肩が跳ねた。顔を上げた彼女は「何で?」と叫ぶ。
「ちょっと考えればすぐに気付く。『何か』を従えれる奴は限られてる上に、そいつが女だったらほぼお前だろう。他にいるか、そんな奴」 
「…………土師さんの親戚、とか」
「あそこ、本家は男三兄弟だ。分家はそんな能力も残ってない」
「そんな情報だけ見つけられたのかと思うと泣きそう」
 翡翠が雛の頭を撫でた。もう平気、と呟いた雛に対し、翔が問う。
「雛、お前どうする気なんだ?」
「なにが?」
「継ぐのか継がないのか」
 翡翠が「主語がない」と呟いたが、言われた雛はすぐに何のことなのかを理解した。
「あと五年ください」
「四年まで。一番いいのは今決めることだな」
「それは無理。でも、私たちじゃなくてどこかから婿引っ張ってくる計画とかなかった?」
「止めようってなったんだ、それは。お前が微妙な逃げ方するから色々と保留だしな」
 雛は顔を逸らす。そして、「翡翠、ほんとにもう平気」と呟いた。
「もう平気? なら放すよ」
「何、その言い方」
「転んだら嫌だなぁ、と思ったから」
 雛を放した翡翠は「じゃあ、俺と名草は戻るから」と言うとすぐに姿を消した。
 それを見送る雛を見ながら、翔は「どうするんだ?」と訊く。
「なにを?」
「逃げ出したお前は、異能者として戻って来るのか、異能者であった成瀬の長女として戻ってくるか、どっちだ?」
 すぐに答えを返さない。考える為に暫く沈黙した雛はやがて小さく笑う。
 そして、口を開く。
「異能者じゃなくなったら、私には何も残らないよ」
 向けられる目が嫌で逃げ出した。けれど、異能者であることを否定出来なかった。
 異能者であることを否定しまえば、何も残らないと感じたからだ。
「結局、私は異能者だったんだな、って思うの。だから、放っておけなかったんだし……」
 後天的な異能者たちは、加害者になった者の方が多いが、最初は被害者だったのだ。
 先天的な異能者のほとんどは彼らを『被害者』とは見ないが、雛にとっては被害者だった。
 能力を受け取ると決めたのが彼らであったとしても、いずれ死に至ると知らずにいたのならば被害者だ。
 そこまで考えて、雛は不意に首を傾げる。
「捜すのに時間が掛かったって言ってたけど、伯父さんに訊かなかったの? 伯父さんと父さんには住所とかも言ってたんだけど」
「訊いても無視された。嫌がらせか、お前が嫌がってたから言わなかったんだろう」
「何で諦めなかったの?」
 普通なら途中で諦める。何の手掛かりもないに等しい状況で四年も捜し続ける者はそう多くないはずだ。
 それを口にすると軽く頭を殴られた。本気ではないから全く痛くないが、理不尽だと感じる。
「色々あったんだよ。芹菜も心配してたしな」
「芹菜が心配するわけないと思うんだけど」
 行かないでと泣いた妹の手を振り払ったのだ。あの時にも思ったが、既に取り返しのつかないほど嫌われている気がする。
「じゃあ、芹菜がお前に会いたがってるのは仕返しの為か?」
「そっちの方がありそう。流石に酷いことしたなぁって思ってるし」
「それでも仕返しはないだろ。そんな性格してないぞ」
「昔のままならそうだろうけど……」
 流石に四年も経てば変わるのではないかと思い、雛は眉を寄せる。それを見ながら、翔は「明日、暇か?」と問う。
「明日のいつ?」
「昼間」
「暇だけど、本家まで帰るぞとか言われても頷かないよ」
 ここから本家まで帰るにはそれなりに時間が必要になる。日帰りの予定でも、四年振りの帰宅になるのだから数時間で戻って来れるとは思えない。
 だからこそ先手を取って断ったのだが、翔が告げたのは別の言葉だった。
「そっちじゃなくて、異能者絡みの事件の方だ。どうせお前、ろくな情報持ってないだろ」
「……情報交換して、さっさと犯人見つけてそのあとでじっくり説教?」
 否定して欲しいと希望を込めながら問うが、あっさりと頷かれ、雛は肩を落とす。
「何時間?」
「説教は三時間」
「鬼……」
「可愛い可愛い弟子が逃げ出したからな。明日の昼に駅前集合でいいか?」
「いいけど、昼前っていつ」
「昼前」    



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