疑念、信頼、再会 18




 その電話がかかってきたのは、既に夜中といっていい時間だった。そろそろ寝るか、と思っていたところに電話が鳴り、翔は眉を寄せる。
「おい、宮森。お前今が何時だと思ってるんだ?」
 既に五年以上友人を続けている女からの電話であったこともあって、彼は不機嫌だということを隠さずにそう告げた。
 普段ならば、宮森も笑いながら何かを返す。だが、今日に限ってはそれがなかった。
 あったのは、沈黙だ。何を言うべきか分からないからこその沈黙ではなく、声が出ないから訪れている沈黙。
「宮森?」
 聞き逃しそうなほど小さく、彼女の声が聞こえた。注意しなければ何を言っているのかすら分からない声は一つの地名を告げる。
「おい、宮森? お前……」
 何かを言うより先に、何かが地面に落ちる音が響く。彼女が携帯を落としたのだと気付いた翔は通話を切ると部屋を出る。
 何があったのかは分からない。だが、彼の勘が行かなければならないと告げていた。
 寝ようとは思っていたがまだ着替えていなかったから普段着のままだ。そのまま靴を履き、宮森が告げた場所に向かう。
 冷静さを欠いた翔の背を見ている存在に気付かぬまま。

 女は嗤っていた。
 彼女が仕掛けた爆弾付きのゲーム。それに巻き込まれた異能者。巻き込んだ異能者。
 その内の一人が、重傷を負った。
 それによって、その異能者はこれ以上このゲームに関われない。
 だから、女は嗤う。
「これで、一人脱落」
 今まで、後天的な異能者が脱落することはあっても先天的な異能者が脱落することはほとんどなかったのだ。
 ゲームを仕掛けた彼女としては、どっちが勝っても楽しい。だが、先天的な異能者の内の誰かが脱落することろを見たかった。
 そんな時に、二人の異能者が出会った。
 成瀬家の長女と、異能者の家系に繋がっていない異能者の女。
 成瀬家の長女は強すぎる能力を完全に制御出来ていない。それを利用して、彼女は一人を脱落させた。
 上手く行けば成瀬家の長女も脱落するはずだったのだが、彼女は精霊に助けられ、脱落しなかった。 
 けれど、たった一人でも脱落すれば、彼女は満足だった。

「……宮森?」
 告げられた場所に来た翔は眉を寄せる。夜中であることも関係して、視界が悪い。
 だが、それはたいした問題ではない。彼が眉を寄せたのは、別の理由だ。
 一歩、足を出す。僅かな水音がして、何かが跳ねた。下を見ても、ただ黒いということ以外は分からない。
 けれど、周囲に広がる鉄の臭いがそれが何かを告げている。そして、座り込んでいる彼女の姿も、彼の予想したものが間違っていないと告げていた。
「来て、くれるとは思わなかった……。柚木、結構優しかったんだ……」
「宮森、お前、何があったんだ? 普通なら、こんなことにはならないだろ」
 地面を濡らすのは血だ。おそらく、宮森から流れた血液。
「うっかり、油断したのよ……。見た目に、騙されたの……」
「理解出来るように言え。何だ? 自業自得でそうなったのか?」
「まぁ、そんな感じよ……。最期に、情報でも、あげようかと思って呼んだんだけど……」
 情報を口にする前から、彼女の体力がなくなっていく。それは、ただ見ているだけの翔でも分かった。
 このまま放っておけば、彼女は死に至る。救急車を呼んだとしても、手遅れだろう。
 ただの人間ならば出来ることはない。異能者であったとしても、他人の傷を癒す能力を持っていない限りは意味がない。そして、翔はそんな能力を持っていない。
 だが、彼は十五の精霊を従えている。その中に、治癒を得意とする精霊がいる。
 短く、精霊の名のみを呟く。その声に従って姿を見せたのは最も付き合いが長い紫苑だ。
「何用か」
「コイツの治療を頼む。目の前で死なれると迷惑だ」
「了解した」
 紫苑の手が彼女の傷に翳される。ただそれだけの行為で、彼女の傷は消えた。
 宮森の瞳に驚愕が浮かぶ。そのまま翔を見上げた彼女は「どうして……?」と呟く。
「さっきも言っただろ。目の前で死なれるのは迷惑なんだ」
「……柚木らしい。情報だけど、私がうっかり負けたの、女の子だったわ。高校生ぐらいで、髪が腰まであって……あんたと同じで、『何か』を従えてた」
 相手を特定するにはあまりにも少ない情報。だが、翔の中でその条件全てに当て嵌まる少女が連想される。
 それは彼だけではなく、彼女を治療した精霊もそうだ。
「主、もしや……」
「多分、雛だろう。『何か』を従えてる奴なんてそうそういない。その上、女で『何か』を従えれる奴なんて限られてる」
 探している彼女は、『ここ』にいる。
 確かな情報ではない。けれど、その可能性が高い情報が手に入った。
「見つけたら説教だな」
 拳を握る。四年前に姿を消した彼女には言わなければならないことがいくつもある。
 逃げ出した理由を確かめたいと思う。連れ戻したいとも思う。待っている妹のことを伝えたいとも思う。
 けれど、何よりも告げなければならないのはおそらく、謝罪だ。
 気付けたはずなのに気付けなかった。その上、追い詰めた。それを謝らなければならない。
「……ねぇ、柚木、ここまで歩いてきた?」
「いや、走ってきた」
「……家まで帰れそうにないんだけど」
「充でも呼べ。多分、まだ起きてるだろ」
「困ってる友人を助ける気は?」
「ない」
 断言すると、宮森は顔を歪めた。そして、吐き捨てるように「鬼だわ、アンタ」と呟く。
「治してやっただろ。何なら、護衛に一体ぐらいは付けてやるぞ?」
「いい。充でも呼ぶ。あと、私が負けた子、様子が変だったわよ」
 その言葉に翔は眉を寄せ、「変?」と聞き返す。
 頷いた宮森はメールを打ちながら「そうよ」と言うと何かを思い出すように眉を寄せる。
「何だろ……。私にもよく分からなかったけど、暴走させられたって感じだったわ」
「ちょっと待て、もしかしてこの辺が凹んでるのってそれが原因か?」
「ええ、そうよ、あの子が暴走したから。凄かったわよ、道路が抉れるし、破片が飛んできて死にそうになったし」
 宮森が怪我を負った理由にも見当がつき、翔は溜息を吐く。
 だが、違和感がある。
 宮森が負けたのが雛だったとしても、彼女の能力が暴走した所でこんなことにはならない。彼女と翔が持つ能力はそれほど破壊力が高くはない。物質を破壊する為の能力ではないのだから、当然だ。
「で? 充は迎えに来るのか?」
「ええ。面倒だけど来てくれるらしいわ」
「じゃあ、俺は帰るぞ。もうこんなことはやるなよ」
「しないわよ」
 その言葉を最後に、翔は自宅に戻った。

「あいつの性格が昔から変わってないなら」
 翌日、昼食を食べ終えた翔がそう呟くと迅に「兄貴、何言ってんの?」と問われる。
 椅子に座っていた翔は視線を上げ、キッチンで皿を洗っている弟に向けて続きを口にする。
「雛が昔通りなら、自分がミスして滅茶苦茶になった場所を見に行くだろうな、って思ったんだが……どう思う?」
「見に行きそうだけど、急に何? もしかして、雛でも見つけた?」
「まだ会ってないが、見つけた。あいつの行動読んで先回りして捕まえる予定」
「それだけ聞いてると兄貴、悪人だよな。まぁ、さっさと行って来たら?」
「そうする」
 立ち上がり、玄関に向かう。家を出る寸前に、「鍵、俺が掛けるから開けっ放しでもいいよ」と言われ、翔は苦笑した。
「じゃあ、閉めといてくれ」
「芹菜に兄貴が雛見つけたって言った方がいい?」
「まだ言うな」
 そう告げて、扉を閉める。昨日の路地裏に向かう為に歩いていると途中で精霊から声が掛かった。
「主、見つけましたよ」
「俺も見つけた。桔梗、それを言う為だけに出て来たのか?」
「ええ。主にちゃんと言わないと駄目だと判断したので」
 頷いた精霊、桔梗は十代前半の姿をしている。彼女は攻撃には向いていないが防御に秀でている。
 だがそれも、名草と翡翠、紫苑には遠く及ばない。
「あの方の周囲、名草が張った結界があります。多分、暴走してもよほどのことがない限り周囲に被害は出ないはずです」
「名草の結界か……。確か、主に負担が掛かれば掛かる分だけ、結界も緩くなるよな?」
「です。でも、それ以上に隙が出来ます」
「全員出させて、退去させた方がいいか」
 呟き、その為に能力を高める。普段なら抑えている能力は雛よりも強い歴代二位の物だ。そして、この時代彼に敵う者は存在しない。
 歩きながら、桔梗に戻っていていいと告げる。小さく頷いた精霊はすぐにいつもと同じように傍に控えた。
 彼の傍には、現出していない十五の精霊がいる。始祖が契約によって繋ぎ止めた二十五の精霊の内の半数以上、それが彼に従っている。
 雛と精霊を二分すると決めた時、彼は雛の限界に合わせた。本来ならば二十三体を従えられる男は十五しか継がず、精霊に頼ることはそれほど多くない。
 未熟であるが故に精霊に頼ることが多くなる雛とは、全てが違う。
 経験、能力、そして、自身の能力を応用し、使い道を増やすことが出来る。
 雛に対し、暴走するのではないかと危機感を抱く者を見るたびに、彼は疑問を抱いていた。
 能力を制御出来ない雛よりも、能力の制御が完璧であり、止められる者などいない柚木翔という人間の方が、よっぽど危険なのではないかと。
(制御出来ているか、出来てないかだけで判断するのは、間違っていたんだろうな)
 どこに基準を置くか、それが問題であり、今まではずっと『制御が出来ているか』ということが重要だったのだ。
 歩いている内に、小さく声が聞こえた。
 四年前に姿を消した雛と、それほど変わらない声。昔より落ち着いた、けれど少女らしい声。
(長かったな、四年は)
 捜し出すのに、時間が掛かりすぎた。四年も経てば、何を言っても言い訳にしかならない。
 それを理解していながら、翔は進む。
 そして、男は四年振りに少女と再会した。  



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