疑念、信頼、再会 16




「あれ? 兄貴、今日は起きるの早くない?」
 言われ、リビングでコピー用紙に印刷された文字を追っていた翔は顔を上げる。
「気のせいだろ。普段より三十分しか早くない」
「充分早いって。何かあった?」
 迅に尋ねられ、翔は「うっかり見落としてた」と返す。
「少し考えれば気付いたはずなんだがな。四年も気付かなかった」
「雛の気配が辿れないのは結界があったから、とか?」
「…………気付いてたのか?」
「ただの勘。昔も言ったけどさ、兄貴も雛も、絶対に暴走なんてするなよ。身内同士で殺しあうなんて見たくない」
 ほんの一瞬、翔は動きを止めた。苦笑を浮かべ、迅の言葉を否定する。
「殺し合いになる可能性は低いから大丈夫だ。もう七時半だぞ、いいのか?」
「兄貴に時間大丈夫か聞かれると凄い違和感ある」
「学生なんだからさっさと行って来い」 
「はいはい」
 鞄を持ってリビングを出て行く迅の背を見ながら、翔は精霊を呼ぶ。
 呼ばれた精霊は姿を見せない。いつものことだと納得しながら、彼は命令を下す。
 それを聞き、精霊はすぐに消える。十五の精霊の内の二体が不在であることを確認し、彼はコピー用紙をテーブルの上に置くと違う紙を手に取った。
 後天的な異能者が起こした事件、その一部が記されている紙を読み進めていた翔は、不意に読むのを止めると白紙の紙を手に取った。
 その紙にボールペンでいつ、どんな事件が起きたかを並べていく。十年前から、一ヶ月前までの事件を並べた彼は眉を寄せた。
「段々派手になってるな」
 後天的な異能者たちが与えられた能力は、始めはどちらかというと地味な、破壊力の高くない能力が大半を占めていたのだ。
 それが、最近では破壊力の高い能力が大半を占めている。中には、相手の精神に干渉するような能力を与えられた者もいる。
「犯人は一人じゃないのか?」
 異能者であっても、個人が持つ能力は精々二つまでだ。その能力の使い道を増やすことは出来ても、全く違う能力を二つ以上持つことは出来ない。
 時折、二つの能力を持つ異能者に会うこともあるが、そんな異能者の数は極端に少ない。
 ただでさえ少ない異能者の中で、更に少ないのが二つの能力を持つ異能者なのだ。もし仮に三つの能力を持つ異能者がいれば、それはすぐに噂として広まる。
 そんな者がいると聞いたことがない上に、犯人が与えている能力は三つなどではない。少なく見積もっても二十はある。
 そんな数の能力を一人で持っている異能者など、いるわけがない。犯人は一人ではなく、複数人いると見た方がいい。
(だとしたら、何かの組織か?)
 明らかになっている犯人の目的、それを踏まえて考えると単独犯の可能性が高いと思われていた。
 異能者同士が争う、それをまるでゲームのように扱う犯人が複数人もいて欲しくないという願望も混ざっていたのかも知れないが、犯人が複数であるというよりも単独だと考えた方が納得しやすかったのだ。
 そして、犯人が単独ではなく複数の場合、全員が同じ意志で動いているのか、ただの模倣犯が混ざっているのか分からない。
(目撃証言、あったよな)
 テーブルの上に散らばっている紙の中から、犯人について書かれている紙を捜す。
 数枚に渡って書かれていた犯人の外見や行動、目的や出没位置などを見ながら、翔は複数犯かもしれないという可能性を僅かに否定する。
 目撃されている犯人の特徴は、全て同じだ。
 長い茶髪と、女であるということ。二十代に見える外見。個人を特定するには至らない、役に立つとも立たないとも言えない情報。
「…………二十代?」
 犯人である女の外見。それに、翔は僅かな引っ掛かりを覚える。
 後天的な異能者が現れたのは十年前。そこから少しずつ数を増やしているのだが、犯人である女が二十代だということは、十代の内にこんなわけの分からない目的を持って行動を始めたということになる。
 二十代という大雑把な括りではなく、もう少し詳しい年齢が分かればいいのだが、明らかになっていないことに対してこうであれば、と考えても意味はない。
「無理だろ、普通なら」
 十代の内に自身の能力を完全に制御出来るようになり、更に他人に能力を与える。
 そんなことが出来る人間がいるわけがない。
 本来、自身の能力を他人に与えるという行動自体が出来るはずがないのだ。その上、それを十代の内に成し遂げる。
 そんなことが出来るのは、人間ではない。
「……やっぱり、複数人いるのか?」
 ここ数年目撃されている犯人である女の上に、更に犯人がいて、昔はその犯人が他人に能力を与えていた。
 そして、ここ数年は、目撃されている女が他人に能力を与えることが可能になったからその女に一任する。そして、目撃されている女が昔からの犯人だと思われる。
 もし、そうであったなら、一般人に能力を与えて争わせるということを思いつき、実行に移した真犯人がいることになる。更に、その真犯人に従う異能者が存在することにも。
 考えれば考えるだけ、分からなくなっているのではないか、と思う。
 他人に能力を与えている犯人を見つけなければならないのは事実だ。そして、その犯人がどこにいるのか分からないのも事実だ。
「主、雛嬢の居場所が分かったぞ」
 唐突に、紫苑がリビングに現れる。彼の隣に姿は見せていないがもう一体精霊がいることを感じ取り、翔は「お疲れ」と声を掛けた。
「やはり、名草が結界を張っていた。始めから名草の結界を捜した方がよかったんだろう」
「そこに気付かなかったんだよな、俺もお前たちも」
 紙を見ながら呟くと、姿を隠したままの精霊が『自分で気付いてください』と囁いた。それを受けて、紫苑も頷く。
「主が気付かなかったのが悪いだろう」
「まぁ、忘れろ。もう戻っていいぞ」
 その言葉に従い、二体の精霊の気配が消える。再び一人になった翔は紙を一箇所に纏めて、まだ目を通していないものを読む。それほど厚くないその紙の束を一通り読み終えた翔は時計を見る。あと二十分でちょうど正午。
「昼飯作るか」
 キッチンに向かい、そこで彼は今日の予定を思い出した。
 三時から、土師家で『後天的な異能者に対する処罰についての話し合い』がある。本来その場に向かうのは父だが、その父によって『お前が行って来い』と言われている。
 もう一度時計を見る。あと十五分で正午だと告げているそれを見上げ、翔は溜息を吐いた。
 移動時間を考えると、今日の昼食はトースト二枚に決定だ。

 土師家はいつ来てもひとが多い。少なくとも、翔はそういう感想を抱く。
 けれどそれは、翔の実家が常にひとが少ないのも関係しているのだろう。土師家の方が多いのではなく、柚木家の方が少ないのだ。
 そんなことを考えながら廊下を歩く。襖を開け、会合の場と決められている部屋に入る。
 部屋にいた七人の内、五人が老人だ。まだ若いのは土師家の次期当主でもある充と、土師家の分家である相良家の三男の二人。
 彼らを見ながら、翔は席に着く。彼が座ったことを合図としたように、上座に座る老人、土師家の当主でもある男が口を開く。 
「皆、揃ったな?」
 無言で首肯する。その反応に、男は満足そうに頷く。
「では、会議と行こう。皆、後天的な異能者については知っておるな?」
 確認の声に、全員が無言で頷く。話を始めようとした男へ、相良家の三男が声を掛けた。
「当主、その前にお耳に入れたい話が」
「何だ?」
「成瀬家の長女の話です」
 翔の眉が跳ねる。成瀬家、その響きをゆっくりと反芻しながら、彼は男に問う。
「その話は関係ないはずだが? 後天的な異能者についての会議だ。生まれながらの異能者の話をしても何の意味もないだろう」
 相良が口にした成瀬家の長女は、生まれながらの異能者だ。いま、この場において何の関係もない存在でもある。わざわざ名前を出す必要もない。
「ありますよ。彼女、ここ数年こちらにいるでしょう? しかも、一度もそちらの本家に帰っていない。帰っていないのは、後天的な異能者、それを生み出す側に関わっているからでは?」
 充を含めた全員の視線が翔に集まる。家を出た成瀬家の長女、成瀬雛が騒ぎに関わっているのかという疑念を含んだ視線だ。
 彼らは、彼女が家を出た理由を知らない。雛は進学の為に家を出たようにも見えるのだ。そこまで考えて出て行ったとは思えないが、彼女が逃げ出したことを知っている者は少ない。
 だから、疑いが向けられる。
「考えすぎだ。第一、あれはそんなことが出来るほど器用じゃない。出て行ったのも帰って来ないのもあれの意志だが、この騒ぎには関わっていない」
 本人のいない場で断言する。その危険性を理解しているからこそ、全員が引いた。
 もしも彼女がこの騒ぎに関わっていれば、それを把握していなかった柚木は責められる。そうなることを予想出来るから、翔の言葉に嘘はないと全員が判断したのだ。
「では、話を進めるぞ?」
 土師の言葉に全員が頷く。異論がないことを確認して、男は告げる。
「奴ら、年々派手になってきておる。ここ一週間で既に十人近く見つかった。その大半が攻撃力の高い厄介な者だ」
 その言葉に、昨夜の異能者を思い出す。獣を従えた、どう見ても攻撃に秀でた異能者。
 そんな者は、昔はほとんどいなかった。もっと穏やかな、どちらかと言えば安全な能力を持った異能者が多かったのだ。
「このままでは、こちらからも脱落者が出るだろうな。元々、限られた人員だ。負担が大きすぎる」
 上座の老人を見る。老いていても、一人の異能者だ。この場にいる七人の内六人は、彼に勝てない。唯一勝てる翔にしても、それは圧倒的な力で叩き潰すという行動を取った場合のみだ。綿密な計画を立てる老人に対し、楽に勝てるとは思わない。
「じゃが、こちらには阿呆なほど強い者がいる。柚木の末裔がいれば、何とかなるはず…………違うか?」
 意志の強い、男の瞳。それが翔を見据える。
 阿呆なほど強い、そんな言葉に薄く笑った。
「格下相手に本気を出すとお思いですか?」
「いや、本気は出さんでいい。そんなことになったら町が壊れる」
「破壊力は低いですよ。そういう方向の能力じゃありませんから」
 柚木の本領は召喚と束縛だ。ここではない異界から人外を呼び出し、契約で縛る。本来、柚木に連なる者が持つのはその能力だけで翔や雛のように有り余った能力を『向いていない使い方』をする者はいない。そういう無茶が出来てしまうほど、二人の能力は強い。
 土師が言った、『阿呆なほど強い』という言葉は何も間違っていないのだ。
『みんなを呼ぶって、普通は出来ないの?』
 唐突に甦った声。十年以上も昔、ここにいない少女に問われた言葉。
 あの時、翔も彼女も精霊を一体しか従えていなかった。紫苑と翡翠、お互いにとって護衛とも称された二体以外は親族に従えられるか、眠りに就いていた。
 同じような歳の子供たちは、誰一人として精霊を従えていない。それに気付いた雛が問うたのだ。
 長い歴史の中、精霊を三体以上従えることは不可能だと思われていた。例外は精霊を召喚した始祖のみ。それを引っくり返したのが翔と雛だ。
「でも、『阿呆なほど』は余計では? 俺にも限界があります」
「最強であっても人間だと?」
「ええ。それに、最強と仰いましたがこちらの歴史では『歴代二位』……二番手ですよ」
「じゃが、ここにいる全員を一瞬で倒せるだろう?」
 一瞬、緊張がその場を支配する。最強と呼ばれる男一人に、七人の異能者が敗北する。その現実が引き起こされる確率、それに翔と充、土師家当主を除いた全員が緊張した。
 その緊張の中で、翔は笑う。
「可能ですが、そんなことをする理由がありますか?」
「まぁ、ないだろうな。そんなことをするぐらいなら成瀬雛を捜すだろう」
 あっさりと出た名前に息を呑む。
 捜していることを公言したことはない。自力で捜さなければならないと思っていたからだ。けれど、捜していることが誰にも分からないのかと問われれば疑問を覚える。
 だから、彼は呻くように問うた。
「どういう意味ですか?」
「そのままだ。無駄なことをするよりは、意味のあることをする。この場にいる全員に共通する話だ」
 老いた男は笑う。そして、七人の異能者を見る。
「早急に犯人を見つけ、騒ぎを収めねばならん。もう少し連携を取った方がいいじゃろう。まず、戦闘に不向きな異能者の扱いから話し合おうか」
 男の口からすらすらと語られる言葉。それを聞きながら、翔は近くにいる精霊に小声で話しかける。
「全部記憶して、あとで親父に言ってくれ」
 頷いた気配があった。決して姿を見せないまま、精霊は土師の話を記憶する。そしてそれを睨み続ける男の気配があった。
 不自然に思われないように視線を動かすと目が合った。相良の三男、彼が、睨んでいる。
「……面倒だな」
 その小さすぎる呟きに、精霊が首を傾げた。  



Copyright (C) 2010-2015 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system