疑念、信頼、再会 14



「主、少しは片付けたらどうだ?」
 翔しか存在しないリビングに、唐突に声が響く。
 姿を現した精霊、自身に従う十五の精霊の内で最も馴染み深い紫苑を見て、翔は「あとで片付ける」と返すと再び手元の紙を読み始めた。
 翔自身の文字で埋まっているルーズリーフと、ゴシック体の文字で埋まっているコピー用紙。その二つがテーブルの上に散らばり、本来の木目は完全に隠れていた。
「あととはいつだ」
「読んだら片付ける」
 印刷された文字を追いながら、翔はテーブルの上に手を伸ばす。彼がマグカップを取ろうとしていることに気付いた紫苑は取りやすい位置にそれを動かし、溜息を吐く。
「余所見をすると零すのではないか?」
「大丈夫だ」
 マグカップに入れていたコーヒーは既にぬるくなっている。眉を寄せながらそれを飲み干し、翔は「コーヒー入れてきてくれ」と頼む。
「既に三杯目ではないか。まだ飲む気なのか、主よ」
「じゃあ麦茶でいい」
「そろそろ昼食の時間ではないのか? 既に正午だぞ」
 言われ、壁に掛けてある時計を見る。紫苑が言う通り正午だと気付いた翔はテーブルの上の紙を一箇所に置くと昼食を作る為にリビングに向かった。

「そう言えば、雛も十六か」
「時が流れるのは早いな。あの時は十二だったが、もう十六か。成瀬の跡取り問題はどうするのだ?」
「保留。あいつが帰って来ないと結論が出せないからな」
 異能者の間で大雑把に柚木一族と纏められる家系は本家である柚木家、分家である成瀬家、長谷部家、一条家、宮城家の五家だ。
 その中で、分家の纏めを担っているのが本家に次いで能力の強い成瀬家。成瀬家の跡取り、次期当主とはいずれ家を継ぎ、分家の纏め役として成瀬を含む四家を背負わねばならない。
 だが、次期当主として候補に挙がっていた長女である雛が家を出て以来、成瀬家の次期当主は空白のままだ。
 元々、成瀬家に生まれた子は全員が女であり、他の分家から婿を取ってその男を次期当主にしたほうがいいのではないかと言われていたのだ。
 長女が家を出るまでは強力な異能者である彼女が当主となればいいと考えていた者も、彼女がいなくなったことで彼女より能力の劣る次女や三女に家を継がせてもいいものかと悩み始めた。
 成瀬家の当主は分家を纏め、尚且つ本家を支える。
 他の分家の当主よりも責務も多く、その分負担も多い。
 それを、強力な異能者である長女ではなく、平均的な能力の持ち主である次女に継がせてしまって大丈夫なのか、と心配する者も多い。
 簡単に結論を出すことは出来ず、暫くの間『保留』としているのだが、本音を言うと家を出た長女である雛が帰って来ない限り、結論が出ないのだ。
 彼女が異能者であり続けるとしても、家を継ぐかどうかは分からない。
 異能者でいたくないのなら次女が家を継ぐという選択肢があるのだが、長女であり、強力な異能者である彼女の意志がはっきりしない内は決めれない。
 仮に異能者であり続けると決めても、彼女は強すぎる能力を持つが故に誰にも止められない翔を止めれる可能性を持つ唯一の存在だ。
 そんな彼女に家を継がせ、何かの手違いで喪うようなことになる可能性があるぐらいなら家を継がせず、どこかに留めておいた方が得策だという声もある。それを思い出して、翔は呟いた。
「俺もあいつも暴走する危険性のある機械か」
「機械かどうかはさておき、暴走する危険性があるのは確かだろう。主はともかく、雛嬢はおそらく今でも不安定だ」
「途中で家を出たし、見つけたら叩き込まないと危ないか……」
 雛の能力をきちんと理解しているのは彼女と彼女の精霊を除くと翔ぐらいだろう。
 制御が甘い、という評価を下した彼女が途中で逃げ出したのだ。今でも制御が甘いままの可能性はかなり高い。
「だが、名草か翡翠が雛嬢の周囲に結界を張っている可能性もある。おそらく、今の雛嬢が暴走しても周囲に対する被害はあまりないだろう」
「そうだといいんだがな」 
 彼女の正確な状況が分からない以上、何を言っても予想にしかならないが、そうしないと耐えれないのも事実だ。
 幼い時からずっと、彼女と能力の限界を計ってきた。どこまで耐えれるか、何が出来て、何が出来ないのか、それをずっと計り続けてきたのだ。
 それが、四年前に途絶えた。彼女が家を出てからは、彼女の能力の限界が分からない。
 たった四年、そんな年月で大きく変わるはずがない。けれど、四年も経っている。大きく変わっているかもしれない。
 彼女の能力の限界は、翔ですら分からない。
 四年前、大体の限界は分かった。だが、彼女は不安定なのだ。翔が理解したのが本当の限界だと言う保証はどこにもない。
「そもそも、あいつが本当に十体しか従えれないのかも怪しいな」
 異常と言ってしまえるほど強い能力を持って生まれた翔と雛。
 翔自身の限界はとっくに理解出来ている。だが、彼にとって分からないのは雛の限界だ。
 十体しか従えれない、そう判断したのは翔ではなく雛の父親だった。そう告げられたあとに翔の父が確認し、彼女に継がせる精霊を十と定めたのだ。
 その時に、嘘を吐かれていた可能性もある。
 あまりにも安定に欠ける彼女の限界は十ではないかもしれない。そう疑いながらも、翔は雛の父に真実を聞こうとは思わない。
 もし、嘘を吐かれているのならそれ相応の理由があるはずだ。隠しておかなければならないから黙っている。そういう可能性もある。
 だから、彼は聞かずに過ごして来た。
「仮に十でなかったとしても、これ以上増やしてどうする気だ? 主と雛嬢が死ねば、我等全員を従えれるような者はいなくなるぞ」
「二人で精霊を二分してるってこと自体がおかしいからな。本来なら、多人数で精霊を分割するはずだ」
 事実、翔が次期当主と定められる前はそうしていたのだ。雛と精霊を二分するまでは親族に従っていた精霊もいる。
 彼女と翔で精霊を二分すると決めたのは翔の父だった。それによって、従えられずに眠っていた精霊たちも再び主を得たのだ。
 彼の中に予感がある。もうすぐ精霊たち全員が使役される時代は終わるのではないかと言う予感が。
 薄まった血は能力を薄め、既に強大な能力を持っていない。
 突然変異と称してしまってもいいほど強い能力を持ったのは翔と雛だけで、親兄弟はそれほど強いわけではないのだ。
 優秀な部類の親、平均的な能力の持ち主の兄弟。その中で、強すぎる能力を持った二人。
 お互いにしか止められなくなった彼らにとって、暴走は何としてでも避けなければならないことだ。
 雛が暴走するぐらいならば、まだ止められる可能性が残っている。だが、翔が暴走すればその可能性は殆どない。
 それを理解しているからこそ、翔は自身が絶対に暴走しないように能力を制御してきた。それによって、今では彼に対し、暴走するのではないかという危機感を抱いている者はいない。
「あいつ、本気で逃げてるんだろうな」
「主が嫌われたのではないか? スパルタだっただろう」
 指摘され、翔は顔を歪める。
 雛の修行を見るのは本来なら彼女の父だが、彼女の父が忙しかったこともあり、代わりに翔が面倒を見ていたのだ。
 スパルタだったかはともかく、彼女の修行が同年代の親族に比べて厳しかったのは事実だ。
 強大すぎる能力を持って生まれたが故に、修行も厳しくするしかなかったのだ。
 駄々をこね、逃げ出した彼女の頬を叩いたこともある。嫌だと泣かれても、道場まで引き摺っていたこともある。
「俺の時に比べたらマシだっただろう。親父に容赦なんて言葉はなかったぞ」
「雛嬢に比べて主の方が強いのだから当然だろう。そもそも、主の修行を基準に考える方が間違っている」
「そうか? でも、修行時代の厳しさが嫌で嫌われたっていうのはないと思うんだがな。そこまで馬鹿じゃないはずだ」
 雛も、彼が無条件に優しくはないと理解していたはずだ。彼女を甘やかしたことはほとんどないし、甘やかすとしてもそれは彼女が何かを頑張った時だけだった。
 厳しさと背中合わせの優しさしか、彼女には与えていない。
 無条件の優しさは他の人間が与えていたのだ。彼女の親だけではなく、精霊も与えていた。だからこそ、翔は無条件の優しさを与えようとは思わなかった。
「あんまり甘やかすとあとが面倒だったしな」
 彼女を甘やかす筆頭は母親で、その次が翡翠だった。今考えると、どうして精霊が主を甘やかすのだ、と突っ込みたくなるが、当時は全く気にしていなかった。
 逆に、当然のように感じていたのだ。あの時の雛は幼く、主としての自覚があるかどうかを問えば否定するしかなかった。
「性格に難があるから、か……」
「誰のことだ? 翡翠か?」
 紫苑の問いに翔は頷く。テーブルに肘をつきながら、数年前の言葉を口にする。
「親父が雛に言ってただろ、『翡翠は性格に難がある』って。お前らの中で、翡翠は変わり者だと思ったんだよ」
「まぁ、翡翠は名草や昂に比べると違いが目立つが……。ひとでも様々な性格の者がいるだろう、あれと同じだ」
「そういう問題か?」
「そういう問題だ。我等全員が同じ性格だと、それはそれでおかしいだろう」
 全員同じ性格の精霊を想像し、翔は「気持ち悪いな」と呟く。それに合わせるように、紫苑が言う。
「ほとんどの者は外見で性格も予想出来るだろう。そういう意味では、翡翠の性格に難があるのも当然だ」
 二十五の精霊の外見は個々で異なる。
 一番多いのは二十代の外見を取っている精霊、次が十代の外見を取っている精霊だが、外見年齢が上がるとその分だけ感情的な性格ではなくなる。
 十六歳前後の外見を取っている翡翠は防御に秀でていることもあり、感情的な性格だ。本人は冷静であろうとしているのだろうが、時折感情的な行動を取る。
 能力的には優秀でありながら、性格的に扱いにくい。そんな評価を受ける翡翠は二十五の精霊の中でも『変わり者』と評される。
 そして、そんな変わり者を従える雛も、冷静に、冷徹になれない。少なくとも、翔が知っている雛はそういう性格だった。
 四年で全てが変わるとは思えない。おそらく、雛は昔のままだ。
「……詰めが甘すぎると思わないか?」
「誰のことだ?」
「雛。本当に逃げ出して、見つかりたくないなら先代の所に行かなければよかった。それこそ、絶対に見つからないような所に行けばよかったんだ」
 逃げ出した先が先代の家では、逃げ出したことになっていない。たった数年でも修行を続けていたのならば、異能者であり続けることを肯定している。
 向けられる目が嫌で逃げ出した。にもかかわらず異能者であり続けたのでは、やがて昔と同じような目を向けられる。
「何がしたかったんだか……」
「逃げたかったのだろう。だが、異能者であることを否定しきれなかった。だから、修行は続けたんだろう」
「どっちだよ、それ」
「本人に聞くしかないだろう。気になるのなら、さっさと雛嬢を見つけて聞けばいい」
 その結論に翔は溜息を吐く。
 紫苑の言う通り、気になるのなら本人に聞けばいいのだ。ここで言葉を重ねても、予想にしかならない。
「まぁ、その内見つけるしかないな」
「さっさと探し出せばいいだろう。主ならば、雛嬢の居場所ぐらい探れるのだろう?」
「今は無理だ。あいつの気配が辿れないからな」
 翔の能力と雛の能力はほとんど同一の物だ。始祖の能力を絶やさないように、ずっと維持されてきた能力は多少の差こそあれど大きな違いはない。
 だから、彼女の気配を辿ろうと思えば辿れる。一定以上の能力がないと出来ないことだが、翔にはそれが可能だ。
 他の者ならば苦労して対象を見つけるだろう。だが、彼は苦労することなく対象を見つけれる。
 けれどそれも、様々な事情で不可能になることがある。その中の一つが、対象の能力が抑えられている時だ。
「雛の能力を完全に隠すのは無理だ。だが、多少零れるぐらいだと雛だと断言出来ない。そういう中途半端な気配しか掴めないんだ」
 強すぎるが故に、完全に隠せない能力。僅かに漏れ出る能力では雛なのか、一族の者なのか分からない。だから、気配を辿って探すという方法は無理だった。
 地道に情報を集め、それを元に捜すしかないのだ。
「その為の情報が、それか?」
 紫苑の視線の先にはテーブルに積まれた紙がある。精霊と同じようにそれを見ながら、翔は肯定する。
「あいつのことだ。どうせ、異能者でなくなることは出来ずに、関わっているはずだ。そうでなくても、何か一つぐらい情報がある」
 どこかの誰かが仕掛けた、爆弾付きのゲーム。それに巻き込まれた一般人、『後天的な異能者』を雛は見逃せない。
 いずれ死に至るような能力を取り上げ、元の日常に返す道を選ぶはずだ。そうなれば、たった数人でも彼女を見たと言う者が現れる。
 正体不明の『何か』を従えている少女。そういう風に噂が広まってもおかしくない。
 今はまだ噂にもなっていないが、『何か』を従えている少女を見た、という情報は既に手に入れた。
「そろそろ見つけれるか?」
 その呟きに返事はない。それを当然として、翔はリビングを出た。  



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