翔と雛 13




 四年前、彼の前から一人の少女が姿を消した。
 六つ下の従妹であり、彼を止められる唯一の存在でもあった少女はある日を境に家を出て、彼が実家に帰って来た時には既に遅かった。
 いつもと同じように週末に実家に帰った彼はまず違和感を覚えた。
 普段ならば玄関にあるはずの靴がない。出掛けているだけか、とも思ったが、何か違うような気がする。
「…………」
 靴を脱ぎ、廊下を歩き始めた彼は存在しているはずの精霊がいないことに気付くと顔色を変えた。真っ先に従妹の部屋に向かう。
 襖を開け、部屋を見る。家具の配置が変わっていない部屋は、一見すると何もないかのように見える。だが、異状に気付いた彼は襖を閉めることすら忘れて廊下を走る。
 父親の部屋に辿り着いた彼は許可も取らずに襖を開き、声を上げる。
「親父、どういうことだ!」
「何かあったか?」
 父親は急に部屋に入って来た彼に驚くことなく、まるで予想していた事態が起きたかのように平然としていた。
 だからこそ、彼は問う。
「とぼけるなよ。何で雛がいない? それに、あの部屋はどういうことだ?」
 従妹の部屋は、一見するといつも通りだった。
 壁際に置かれたベッド、本棚や学習机、そういうものはそのまま置かれていた。
 家具だけは、いつも通りだったのだ。
 だが、あるはずの生活感がなくなっていた。彼女が気に入っていた本はなくなり、幾つかの鞄も部屋から消えている。
 そして、何よりもおかしいのは従妹がいないことだ。
「俺がいない間に、何があった?」
「雛が家を出ただけだ。気にするな」
「どういう、ことだ?」
 彼の問いに父親が薄く笑う。それを見て、彼は自分が何かに失敗したことを悟る。
 何を失敗したのかまでは分からない。けれど、確かに失敗したのだ。
「あの子は歴代三位の能力を持っている。始祖とお前に次いで強い異能者だ。このまま成長すれば、かなり強くなるだろうな」
 それは、従妹の能力を知る者ならば当然のように知っていることだ。
 今更のように確認するまでもない情報。それを父親が口にする。
 それだけで彼は恐れを抱く。この続きを聞きたくない、そう思っていても父親は語る。
「だからこそ、妬まれる。ただの子供のくせに、とな」
「それが……、どうした……」
 彼の前で父親は笑みを深くする。そして、あっさりと告げた。
「もう嫌だと泣き叫んだよ、あの子は」
 だから逃がした、と付け足され、彼は自分の耳を疑う。
 従妹が逃げる。それは、全く想像していなかった現実だ。性質の悪い冗談なのか、と聞き返したくなる。
 だが、現実なのだ。冗談であれば、父親はもっと楽しそうにする。だから、冗談ではない。
「逃げたって、何で……」
「お前が耐えれたことに、あの子は耐えれなかった。ただそれだけのことだ」
 強すぎる能力を持った者に対する、恐怖と嫉妬。常に向けられるそれに、彼は耐えた。
 けれど、従妹はそれに耐えれなかった。だから、逃げた。それを理解して、彼は問う。
「……どこにいるんだ」
「あぁ、母方の実家にいる。だが、お前には会いたくないんだと」
「会いたく、ない?」
「逃げたから、会いたくないと言っていたな」
 彼は沈黙する。
 従妹が逃げ出した先、母方の実家とはつまり柚木家先代当主の暮らす家。
 隠居した、先代当主。そこに逃げ込めば、彼女が恐れた物からは護られる。
 だが、何の解決にもならない。
「逃げて、どうするとか、言ってたのか?」
「何も言ってなかったな。強いて言えば、お前に会いたくない。だから、来るな、電話も掛けてくるなと言っていたくらいか」
 父親の言葉に、彼は拳を握る。
 従妹の能力は彼が誰よりも理解している。だからこそ、逃げ出したのが許せなかった。
 彼女は、未だに自身の能力を完全に抑えきれていない。何かの拍子に暴走してもおかしくない。
 そんな状態のまま、逃げ出す。それはある意味、爆弾を抱えたままの状態なのだ。
「あいつの、訓練はどうなるんだ?」
「先代当主が見る。その辺は心配するな」
「……先代で、大丈夫なのか?」
 先代当主の強さは彼も知っている。だが、従妹の能力はそれを遥かに上回る物なのだ。
 自身の能力を完全に抑えきれない従妹の面倒を先代当主が見れるのか、若干の不安を抱く。
「大丈夫だろう。名草があの子の能力を抑える方法はあると言っていたしな」
 あっさりとした父の言葉に、彼は目を瞠った。さらりと紛れ込んだ、名草と言う名前。
「雛は、精霊を返してないのか?」
 九年前に従えた精霊と、三年前に従えた九の精霊。十の精霊を連れたまま家を出たのかと問うと、父は頷く。
「あの子が継いだ精霊はそのままだ。あの子を主と定めたまま従っている」
 もう二度と異能者としての生活を送らない気なら、精霊を返せばいい。
 逃げ出して精霊を返し、一生能力を使わなければいいのだ。
 だが、彼女は精霊を連れたまま逃げ出した。
 それは、裏を返せば異能者であることを止めていないということではないのか。
「…………」
 正確なことは、本人に聞かない限り分からない。だが、逃げ出したとしても、精霊を連れている以上いずれ帰って来るしかない。
 誰かに連れ戻されるか、従妹が自分で戻ってくるか。
 そのどちらになるか、彼には分からない。だが、一つだけはっきりしていることがあるのだ。
 従妹は逃げたが、異能者であることを止めていない。
 先代当主が彼女の修行を手伝うのもその証拠だ。だから彼女は、成瀬雛は必ず帰って来る。
 異能者として、ここに帰ってくるのだ。
「……俺に会いたくないって、言ったんだよな?」
「ああ。翡翠もお前と雛を会わす気はないらしい」
「あいつに翡翠を継がせたのは失敗だったな」
 二十五体の精霊の中で、防御に長けた精霊は八。その中で二番目に力を持つ精霊である翡翠を雛に継がせると決めたのは彼だが、それを失敗だったかと反省する。
 防御に長けた精霊たちは主に忠実であり、裏切ることなどありえない。同時に、何よりも主の意志を優先する。
 攻撃に長けた精霊たちが状況を見て判断するのに対し、彼らはたとえ不利であっても主の意志を優先して行動するのだ。
 その中でも、翡翠は誰よりも主の考えを優先する。
 意志を優先し、安全を確保し、害になるものは排除する。
 防御に長け、他に劣るとはいえ攻撃の為の力も有する翡翠を継がせることで未熟すぎる彼女の身を護らせようと思ったのだが、まさか『会いたくないから会わせない』ということになるとは思わなかった。
「だが、あの子が精霊を連れて行ったから帰って来る、なんて思うなよ。逃げた以上、一生帰って来ない可能性もあるんだぞ」 
「それぐらいは分かってる」
 息を吐く。そして、彼は告げた。
「だからこそ、捜し出す」
 逃げたのなら、捜し出す。その上で、異能者でいたくないと言うのなら解放すればいい。
 もし、そうでないのなら従妹は戻って来る。異能者として戻って来るはずだ。
「まぁ、お前があの子を捜すのは勝手だが、仕事ぐらいはしろ。あと、一切手伝わないぞ」
「学生の間は手伝わなくていいって言ってなかったか?」
「春から手伝え」
「嫌がらせか……」
 春から仕事を任されるのなら、彼女を捜す時間は大幅に減る。捜すと告げたにもかかわらず異能者としての仕事を回すのは嫌がらせでしかない。
「嫌がらせだ。逃げ出した者を捜して連れ帰るような奴にはこれぐらいの邪魔があったほうがいいだろう」
 彼はそう言って笑った父を睨み、部屋を出た。
 そして、僅かな苛立ちを感じながら廊下を歩く。
 雛が逃げ出すと、彼は気付けたはずなのだ。それぐらいは予測出来るはずだった。
 事実、彼女の行動におかしなことがあった。
 三日前に電話を掛けた時、いつもと同じ会話をしたあとに彼女は何時ぐらいに帰って来るかを聞いた。
 普段ならば聞かないようなことを、どこか怯えながら聞いたのだ。
 いつもと違うことには気付いた。だが、そこまでしか気付けなかった。
 もう少し疑えば、彼女が逃げ出そうとしていることに気付けたはずだ。
 彼女がどういう目で見られているのか、それを一番理解していたのは彼だったのだから。
「…………俺も原因か……」
 逃げ出そうと思うまでに、もう嫌だと泣き叫ぶ前に、何とか出来るはずだった。
 だが、現実には何も出来なかった、
 自分は耐えた。だから、彼女も耐えれると思い込んでいたのだ。同じ環境だと思っていたということもある。だが、よくよく考えれば彼の方が恵まれていたのだ。
 本家の嫡男と分家の長女。
 強い能力を持って当然である彼と、劣った能力を持つことが当然であった彼女。
 そんな彼女が本家の次男や三男よりも優れた能力を持てば、必然的に周囲からの風当たりはきつくなる。
 たとえ彼や三男が彼女に敵意を抱いていなくても、周りは彼女に敵意や恐れを抱く。
 強すぎる能力を持っているが故に暴走するのではないか、と思われていることを彼女は感じ取り、そして耐えれなかったのだ。
 壊れる前に、逃げ出す。
 そうとしか取れない従妹の行動を責めるべきなのか、彼には分からない。
 だが、はっきりしていることはある。
 逃げ出した彼女を捜して、話し合わなければならない。


 歩きながら四年前のことを思い返し、苦笑を漏らす。
 あの時は雛が逃げ出したのが信じられず、父親に怒りを向けたが、本当に怒りを向けるのは自分だろう。
 ある意味では、彼の姿勢が彼女を追い詰めていたのだ。
 それに気付かず、ただ捜し出したかった。
「脆弱な精神で能力を揮うことは赦されない、か……」
 口癖のように繰り返した言葉。それによって、彼女は追い詰められたのかもしれない。
 彼女は、強くないと自覚していた。ただ能力があるだけで、精神的に強くないと知っていたのだ。
 だからこそ、彼の口癖は彼女を追い詰めた可能性がある。
「四年か……」
 四年も経てば、ひとは変わる。外見も、考え方も。
 彼女の考えも変わったかもしれない。教えを忘れ、脆弱な精神で能力を揮うことは赦されないと言う言葉すら憶えていないかもしれない。
 だが、どこかで否定する。彼女は、教えだけは忘れていないはずだと。
 根拠と言えるほどの物はない。ただの勘だ。けれど、それが外れているとは思えない。
 根底を理解するには十分過ぎるほどの時間、彼は彼女の面倒を見ていたのだ。
 たった四年でそれまでの彼女が失われることはないと思いながら、彼は情報を集め、彼女を捜す。

 



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