変わる日常、再会 11



「この馬鹿っ! 何やってんだ!」
 耳元で叫ばれ、雛は顔を歪める。
「翡翠、耳元で叫ぶのは止めて……。一応、反省してる……」
 視線を動かすと、そこは見慣れた自宅の廊下だった。頭を振りながら、「何で帰って来てるの?」と聞くと怒っていると分かる語調で返事が返って来る。
「名草が顔色変えたからヤバイと思って雛を捜したんだよ。で、着いたら暴走だ。仕方ないから常盤を呼んで帰って来た」
 精霊の内で移動に長けた精霊の名を出され、雛は納得する。常盤ならば距離を無視して一瞬で帰って来ることも可能だ。けれど、棘のある硬い声は翡翠が怒っていることを強調する。
「たく、何で暴走してるんだよ。理由は?」
「怒ったから。ごめんなさい」
 一応、翡翠を含めた十の精霊の主ではあるが、彼女は翡翠に対しては立場が弱い。
 一番最初に従えた精霊である翡翠には何もかも知られている。
 弱点も、致命的な欠陥も。
「本当に、馬鹿だろ。あれだけ暴走すれば翔にも知られる。それどころか、迅ですら分かる。何やってんだよ」
「まさか名草の結界が壊れるなんて思わなかったの。初めて見た」
「言っとくけど、そこに感動するなよ。いっそ、もう一回全部やり直すか?」
 その言葉に雛は「う……っ」と呻く。翡翠が何を言いたいのか、それすら分からないほど馬鹿ではないのだ。
 彼は、もう一度全ての訓練をやり直すか、と提案する。それはそのまま、雛の未熟さを露呈する。
「反省してる。でも、誰か巻き込むかもしれないのに火を生み出すなんて頭に来ない?」
「暴走したくせに何言ってんだ。結局雛も同じことしてるだろ」
「翡翠、もしかして凄く怒ってる……?」
 恐る恐る聞くと彼の顔に分かりやすく怒りが広がる。頭を掴まれ、雛は小さく悲鳴を上げた。
「そんなことも分からないほど馬鹿だったっけ」
「ごめんなさい、わざわざ聞いてごめんなさい!」
 涙目になった雛に対し、まだ文句を言おうとしていた翡翠は後ろから「翡翠、やりすぎです」と声を掛けられ、視線を動かした。
 廊下の奥に立っている名草は呆れたような顔で翡翠を見て、もう一度告げる。
「主が心配だったのも分かりますし、暴走したのを叱りたいのも分かります。でも、やりすぎですよ」
 そんなに怒ってるの百年振りに見ました、と付け足され、翡翠の顔が不機嫌そうに歪む。
「そりゃ、百年振りに主が馬鹿なことしてくれたからね。俺だって怒るよ」
「だから、怒りすぎなんです。ちょっと頭冷やして来たらどうですか? 何なら、代わりに怒っておきますよ」
「じゃあ、怒っといて。俺はちょっとあそこの状態見てくる」
 そう告げ、翡翠が消える。彼の気配が完全に消えてから、雛は「怖かった、本当に怖かった。翔より怖かった」と呟く。
 翡翠に抱えられていた所為で耳元で怒られ、その上、怒気もしっかりと感じ取れるのだ。泣き出しそうになったとしても仕方ない。
「主、本気で怒らせましたからね。次期当主より怖くて当たり前です。口調も変わってましたし……」
「それが一番怖かった。あれってどっちが素なの? それによっては物凄く怖いんだけど」
「普段のが素ですよ。さっきのは本当に怒った時だけです。でも、大丈夫でした? 結界が壊れましたし、怪我は?」
 名草の問いに雛は自身の身体を確認する。そして、「大丈夫、怪我もないよ」と告げる。
「ならいいですけど……、主、ちょっとこっちに来てもらえます? 結界、張り直します」
 彼女の近くに行くと、額に指が当てられた。それだけの行為で、一瞬にして以前よりも強力な結界が張られる。
「名草、前より頑丈になってる気がするんだけど……」
「念の為ですよ。これで、ある程度までは耐えれます。でも、だからって暴走しないでくださいよ?」
「分かってる。でも、今回は変だったの」
 その言葉に名草が首を傾げる。「どう変だったんですか?」と問われて雛は眉を寄せた。
「まだ暴走しない、って思ってたのに暴走したの。普段なら、絶対に暴走なんてしなかったはずなのに……」
 未熟であると理解しているから、彼女は自身がどこで暴走するのかも理解している。
 今回は暴走せず、耐えれるはずだったのだ。にもかかわらず、あっさりと暴走した。
「誰かに、暴走させられたみたいな感じだった」
 気のせいだと言われれば、それを認めるしかない。ただ、彼女は何となくいつもと違うような気がしたのだ。
 今まで、何度か暴走したことがある。けれど、周囲に対する被害は軽く、今回のように轟音が響いたことなど一度もなかった。
「…………主、今日、異能者から能力を取り上げました?」
「一人だけ……。って、まさかそれが原因?」
「あくまで可能性ですけどね。元々、異物です。そんなものがある時に暴走しそうになったら、あっさり暴走することもあるんじゃないですか?」
「……今度から気を付ける。疲れたから、もう寝るね」
「ええ、お休みなさい。翡翠にはちゃんと怒っておいた、って言っておきますよ」
「ありがと」
 雛が部屋に戻り、暫くすると翡翠が現れる。
 不機嫌な顔をした彼は名草を見ると「また甘やかしただろ」と呟く。
「さぁ? で、どうだったんです?」
「滅茶苦茶だった。でも、意外とマシだったな」
「ならいいじゃないですか。……機嫌悪そうですね」
「おかしかったんだ、あの辺。雛の暴走にしては被害が大きすぎだ。別の何かが壊したような感じだった」
「あぁ、さっき主が今日は一人分取り上げたって言ってましたよ。多分、それが原因だと思うんですけど……」
「……ってことは、犯人は雛と相性が悪いのか? それとも、暴走に引き摺られるってことはいいのか?」
 悩み始めた彼を見ていた名草は不意に苦笑する。いきなり笑い出した同胞を見て、翡翠は眉を寄せる。
「どうした?」
「いえ、本当に主が……と言うか、雛が心配なんですね。今までのどの主よりも心配してますし」
 苦笑しながら言われた言葉に翡翠は溜息を吐きながら、「危なっかしいんだよ、雛は」と返す。
「ちょっと目を離したらすぐ暴走しそうだ」
「そこまで制御出来てないわけじゃないんですし、大丈夫ですよ。何の為に結界を張ってると思ってるんですか」
「俺たちの安心の為」
「主が暴走しても被害出さない為ですよ。その認識は間違ってます」
「合ってる様な気もするけどな。俺はもう戻る。あと頼んだぞ」
「分かってますよ」
 名草が頷くと翡翠が消える。控えている九の同胞の気配を感じながら、彼女はリビングに戻った。

 翌日の昼、皿を洗っていた雛は時計を見ると「出かけようかなぁ」と呟く。
「どこにですか?」
「昨日の道路。何か気になるから」
 蛇口を捻って水を止め、手を拭いた彼女は「ちょっと出かけてくるね」と名草に向かって告げるとリビングを出た。
 いつもと同じようにスニーカーを履いて玄関を出、鍵を掛ける。
 階段を降りて適当に歩きながら昨日の路地裏に向かっていると、思っていたよりも早くそこに着く。
「意外と酷い……のかなぁ。ここまで暴走した感じなかったのに」
 道路に刻まれた凹みを見ながら、小さく呟く。
 元々、彼女の能力は何かを壊すものではない。多少何かを壊したとしても、道路に傷を付けることは本来ならばありえないはずなのだ。
 だが、現実にそれが起きている。彼女が意図して壊したのではなく、運悪く暴走したことによって引き起こされてしまったのだが、どちらにしても気を付けたほうがいいのだろう。
 不意に雛の眉が跳ねる。僅かな違和感を感じた彼女は傍に控える精霊を呼び出す。
「昂、玲、翡翠、紅葉、露草」
 力を込めた声に即座に従い、彼らが姿を現す。代表として昂が「命令は?」と問う。
「ちょっと待機。何か変だから」
 周囲に人影はない。だが、雛の勘が変だと告げていた。
 何かが、誰かがいる。姿を見せていないだけで、近くにいるのだ。
 コツン、と音が響く。足音だと理解し、次いで雛は顔色を変えた。
「椿、菊、名草、常盤、楓!」
 一瞬で彼女の周囲に十の精霊全てが姿を現す。十体全てが召喚されたのは彼女が精霊を継いだ時以来のことであり、それだけに彼らは疑問を抱く。
「主、どうして……?」
 呼び出された精霊の内の一体、楓が問う。小さな子供のような外見を取っている彼女は見た目に反して攻撃に長けている。
 それだけに、彼女は自宅以外の場所で呼び出されることがない。自発的に姿を見せることも少なく、彼女が現れるのは儀式の必要上精霊全てが現出していなければならない時か、雛がお菓子作りを始めた時ぐらいだ。
「悪いんだけど、ここにいて」
 雛は理由を語らない。だが、彼らは彼女に七年間従っているのだ。声だけで、彼女の考えは分かる。
 だから、それ以上は誰も聞かなかった。代わりに行動を始める。
 名草と翡翠がそれぞれ結界を張る。名草は元々あった雛の結界を強化し、尚且つ周囲に結界を張る。その隣で翡翠は周囲にもう一つ結界を張った。
 昂や楓、露草といった攻撃に長けている精霊はいつ攻撃が来ても反撃出来るように集中する。
 けれど、彼らは見落としていた。
 敵が、必ずしも攻撃するとは決まっていないということを。
 ある意味では、油断していたのだ。精霊たちも、彼らの主である雛も。
 だから、その声が響いた時には既に遅く、何も出来なかった。
「退去せよ」
 たった一言。短すぎる言葉によって十の精霊全てが姿を消す。
 強制的に『帰らされた』と理解した雛は色を失う。
「……嘘っ」
 他人の支配下にある精霊に干渉し、退却させる。そんな無茶苦茶なことが出来るのは一人だけだ。
 少しずつ足音が近付く。やがて雛の目の前に現れた男は彼女を見るとゆるりと笑う。
「わざわざ全員出してくれて助かった。名草の結界が緩くなることと、お前自身に隙が出来ることぐらい理解したか?」
 彼女に従う精霊を退却させた男は雛の正面に立つと一言告げた。
「四年振りだな、雛」 



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