異能者のありかた 09




「でも、私ってそんなに甘い?」
 雛が麦茶を飲みながら問うた言葉に、名草が頷いた。
「ええ。どれだけがんばっても冷酷にはなれません」
「んー、そう? まぁ、自分でも甘いって思う時はあるけど……」
 冷酷になりきれないのは、時に残酷でもある。
 死んだ方がいい状況であったとしても、生かしてしまう。たとえ今までよりも辛い人生が待っていると分かっていても殺せない。
 いっそ命を絶った方が苦しまない、そんな状況であっても殺せないのだ。
「翡翠ならばっさばっさ殺しそうだけど……」
「主の優しさは美徳ですよ。殺すのは私たちに任せてもいいんですし、このままでいいんです」
「それも違うような気がするんだけど……」
 精霊たちに殺せと命令してしまえば、実行したのが誰であれ雛が殺したようなものだ。
 命令を聞いた精霊たちが殺したのではなく、命令した雛が殺した。そう受け止めるべきなのだ。
 唐突に名草の眉が跳ねた。彼女の右手が横に振られ、同時に舌打ちが響く。
「主、すみません。知られたかもしれません」
「それって……」
「ええ、次期当主に知られた可能性が高いです」
 一番聞きたくなかった言葉を告げられ、雛が頭を抱える。
 彼らが次期当主と呼ぶ男、会いたくない男、それに見つかったかもしれないというだけで頭が痛い。
「とりあえず、無駄だろうけど結界の強化お願い」
「二重にします?」
「うん。それにしても、四年か……。その間に諦めてくれるかと思ってたんだけど」
 認識が甘かったのだろうか、と思い返す彼女の耳に名草の呟きが滑り込む。
「主は会うのも嫌、電話も嫌、絶対に来ないで、でしたからね。しかも引越し先の住所も教えてませんし」
「でも、引越し先は父さんと伯父さんも悪いと思う。あの二人には言ってるのに」
「主が嫌がるから言わないのでは? それか、次期当主を困らせたいだけですかね」
「どっちもありそう、それ」
 彼女の父と彼の父は性格が悪い。ひとの嫌がることを堂々と実行してしまうのだ。
 影でこっそりではなく、堂々と実行する辺りが余計に嫌だと感じさせてしまうのだが、本人たちはそう思われたいから行動しているらしい。
「ほんと、あの二人って性質悪いよね」
「ええ。あのひとそっくりです」
「私の中の始祖のイメージが音を立てて崩れそう…………」
 自身の能力のみで精霊二十五体を召喚し、契約によって柚木家に受け継がせた男が精霊に子守を頼み、その上かなり性格が悪かったなど知りたくなかった。
 これ以上始祖のイメージを破壊せずに済むよう、精霊たちから聞いた話は誰にも言わない方がいいのだろうか。そう悩む雛の前で名草が苦笑した。
「あのひとだって人間だったんですから、完全じゃないですよ。勝手に美化しすぎです」
「でも、一人で二十五体も召喚するなんて滅茶苦茶だし……。普通は無理だよ、そんなこと」
 雛は歴代三位の能力を持って生まれたが、始祖と同じように何かを召喚し、その上契約によって縛る場合はせいぜい五体までが限界だ。
 師であった男にしても、十五体ほど召喚出来れば上出来であるはずだ。
 歴代三位と、二位。始祖に次いで強大な能力を持つと言っても、長い歴史の間に始祖よりも大きく劣っているのだ。
「……始祖って本当に人間だったのかな、って思うんだけど」
「人間でしたよ。そうでなかったら、主も次期当主も人外の血を継いでいることになりますよ」
「んー、それはどうでもいいんだけど……ただの人間にしても能力が強すぎる気がするんだよね」
 この時代で一番能力を持つ男、長い柚木の歴史の中でも二位の能力を持つ男を知っている雛からすれば、始祖の強さは『異常』としか言いようがない。
 あの男ですら、何の能力もない人間を震え上がらせてしまうのだ。それ以上となると想像が出来ない。
 もしかしたら、『出来ない』のではなく『したくない』のかもしれないが、それは些細なことだ。
「本当に、人間でしたよ。ちょっと能力が強すぎただけです」
「それでも限度ってあるような気がするんだけど。強すぎない?」
「雛だって、ひとのこと言えないんじゃないの?」
「そういう突っ込みはいらない」
 急に現れた翡翠にそう返しながら雛は溜息を吐く。
「何で急に出てくるの?」
「頼まれたこと確認してきて暇になったから。こないだの奴等、一応普通に生活してたよ」
「一応って何、一応って」
 普通に生活しているのならいいが、その前に『一応』が付くならそれは普通とは言い難いのではないか、と突っ込みたくなる。
「真昼間から学校サボってたり、授業で当てられたけど答えられなかったり、何もない所で転んでたりするのを普通って言う?」
「一番最初以外は普通の範囲内だと思う。あと、暇になったからって急に現れるの禁止」
「雛、暴君にでもなりたかったの?」
「なりたくないけど、急に出てくるからびっくりするの」
「驚いてないじゃん」
「……まぁ、そうだけど。もういい」
 どうせ、翡翠は何を言っても止めようとは思わないのだ。なら、諦めるしかない。溜息を吐いた彼女に向けて、翡翠はあっさりと新しい情報を告げる。
「あと、翔には知られたよ。ここにいるって」
「……住所まで?」
「そうじゃなくて、この辺りにいるって知られた。あいつのことだからその内来るんじゃない?」
「絶対に嫌。会いたくない」
 もし、あの男に会えば。
 間違いなく怒られる。逃げ出したことと、逃げ続けていたこと。その二つについて怒られる。
 そのあとで、事件に関わっていたことについても怒られるだろう。本来ならば関わらなくてもよかったのだ。関わるのなら、許可が必要になるはずだ。それを無視して独断で動いていたことについて怒られる。
「……どこまで怒られるかな」
 四年間の行動、その中の『怒られそうなこと』の内、どれが怒られ、どれが許されるのか正確には分からない。
 予測は出来る。絶対に怒られると分かっていることもある。ただ、怒られそうだと感じるものは、本当に怒られるのか分からない。
「さぁ? とりあえず、三時間説教されるのは確定だと思うよ」
「……ついでに翡翠も巻き込めないかな、それ」
「一人で怒られるのが嫌だからって巻き込むのは止めた方がいいと思うよ。その分伸びそうだし」
 男の性格を理解している言葉に雛はがっくりと肩を落とす。
 考えただけでも嫌だと思うのに、理解してしまう。
 それが何を意味しているのか、彼女には分からない。
 確かなのは、『見つかった』ということ。ただそれだけだ。



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