異能者のありかた 08



 不意に携帯が震えた。それに気付いた優は携帯を見て、「珍しいこともあるんだな」と呟く。
 あまりメールを送ろうとしない雛からメールの着信がある。電話の方が早い、いちいち打つのが面倒、と言っている彼女がメールを送ってくるのは本当に珍しい。
 そして、文面を見て僅かな衝撃を受ける。すぐに電話を掛けると僅かな間を置いて相手が出る。けれどそれは彼女ではなく、彼女に従っている精霊の内の一体、常に隣にいる精霊だ。
『病人に対する気遣いくらい出来るようになったら?』
「何でお前が……」
『寝てるから。安眠妨害になる前に取るよ、俺は』
 発言だけを聞いていると、彼が彼女の精霊だとは思えない。
 主に対する敬意はなく、どちらかというと家族、それも妹に対するような態度なのだ。
「……じゃあ、さっきのメールもお前か」
『連絡ぐらいしとくべきだと思ったからね。じゃあ、もう掛けてくるな』
 それを最後に電話を切られる。
「容赦ねぇ……」
 けれどそれは、裏返しでもあるのだろう。主である少女に対する優しさの裏返し、倒れてしまった彼女に対する気遣い。
 彼は今日の授業と、帰ってからの予定、その二つを照らし合わせて一日の行動を決める。
「ノートぐらい取ってやるべきか……」
 彼女は成績が悪いというわけではないが、苦手教科と得意教科の差が酷い。
 それを考えると、苦手教科の授業は聞き逃しただけでかなり困るはずだ。
「英語と国語は得意だったはずだよな、あいつ」
 彼女の苦手教科を思い出そうとしたが、数学しか出てこない。他にもあるのは分かっているのだが、特定が出来ない。
「……全部取っとくか」
 得意教科であったとしても、遅れれば困るだろう。それなら、最初から全部写した方がいい。

 授業が全て終わると同時に優は教室を出た。中には友人同士で輪になり話している者もいるが、彼はそういう輪に加わることはない。
 雛もそうだ。声を掛けられれば受け答えをするが、友人と呼べるような存在は彼が見ている限りいない。
 最もそれは彼女自身の性格の問題だろう。もしくは、彼女が選んだ在り方の問題。
 校門を出て雛の家の方角へ向かい、途中のコンビニでチョコレートとプリンを買う。どちらも、普段の彼ならば買わないものだ。そして、どちらも彼女がよく食べているもの。
「…………」
 普段ならば通らない道を通り、彼女の家に向かう。
 住所を聞いているし、大体の位置も知っているとはいえ、一度も行ったことがない場所だ。迷わないように気を付けながら進むと、十分ほどでマンションに着いた。そこの階段を上り、二階の端の部屋のインターホンを鳴らす。
 しばらく待っていると扉が開く。そこから顔を出した二十代の女はそのまま動きを止める。
「どちら様……」
 だが、動けないのは優も同じだ。雛は一人暮らしだと言っていたにもかかわらず、雛以外の人物が扉を開けた。
 もしかして部屋を間違えたんだろうか、と思いながら口を開く。
 けれど、それより先に軽い足音と共に声が響いた。
「名草、どうしたの? て、優?」
「……雛、お前、一人暮らしって言ってたよな?」
「そうだけど。何、その確認」
「誰、このひと」
「精霊。名草、知り合いだから大丈夫。お茶用意してきて」
 その言葉に従い、名草と呼ばれた女が奥に消える。それを見て、優は溜息を吐く。
「家間違えたかと思った……。と言うか、元気そうだな」
「普通に行こうと思ったけど休めって言われたから。とりあえず、入れば? そこだと暑いでしょ?」
「あぁ」
 家に上がり、雛のあとをついてリビングに向かう。既に麦茶を用意していたらしい名草が微笑み、「お茶用意しましたよ」と雛に告げた。
「ありがと。でも、今日休むって連絡した? そんな記憶ないんだけど」
「精霊からメールが来た。……こう言うと物凄い違和感あるな」
「……あー、うん。違和感あるけど、精霊って……もしかして翡翠?」
「ああ、電話掛けたら用件だけですぐに切られた」
 その一言で雛が頭を抱える。暫くすると彼女は優に向かって頭を下げた。
「ごめん、翡翠って物凄く失礼な時があるの」
「気にしてないからいいけどな。と言うか、お前も失礼だろ、その言い方」
「多分周囲の人間に似たんだと思う。容赦ないのは翡翠の所為かな」
「人間じゃないだろ、そいつは」
「あ、そっか。本当だ」
 すると、今まで黙っていた名草が口を開く。
「でも、主が容赦ないのは翡翠の所為ではないと思いますよ?」
「え、そう?」
「ええ。別のひとに似てます。それに、翡翠と違って主は冷酷になれませんよ」
 その言葉に含まれていたのは純粋な優しさだ。それが、部外者である優にも伝わる。
 主とそれに従う精霊ではなく、もっと優しい関係を作り上げていると理解出来る。
 それは、優にとって遠いものだ。けれど、それを妬むことはない。彼女が何を恐れているか、知っているからだ。
「雛」
「なに?」
「お前に渡すものがあるんだが……どれからがいい?」
「何があるの?」
 その問いに優は暫く考え、「いいものと嫌なもの」と返す。
「じゃあ、嫌なものからちょうだい」
 その言葉を聞いて、まず今日の授業のノートを渡し、次にコンビニで買ったプリンとチョコを渡した。
「ありがとう。でも、出来れば見たくなかったんだけど、数学」
「遅れるとついていけなくなるんだろ? 数学」
「うん、そうなんだけど……。見たくなかった」
 そう言いながら、雛はノートをテーブルの上に置くとチョコとプリンを冷蔵庫に入れた。そして、今更のように「あ、座っていいよ」と告げる。それを受けて、優は首を振った。
「いや、もう帰る。明日が土曜だからって出歩くなよ」
「……何で?」
「お前のことだから最近の異能者がらみの騒ぎに関係してるんじゃないかと思っただけだ」
 夜になるとどこかで起きる異能者の事件。それに、目の前の少女が関係しているような気がしたのだ。
「加害者の奴等が死んだり騒ぎ起こす前に止めてるんだろ、本当は」
 何か証拠があってそう告げたのではない。ただ、勘でそう告げた。
 時折噂として耳に入る、『不思議な現象を起こした少年』や、『炎を出した少女』、そういう異能者の情報と、本来ならばありえないはずの怪我を負った人間。
 どこかで異能者が能力を使ったと分かる情報を整理している内に、噂にすらならない小さな出来事に気付いた。
 不良と言っても問題のない少年や、苛められていた少女、そういう者たちが夜になるとどこかに出かけ、そして翌朝公園などで見つかる。
 時には朝になる前に見つかることもあったらしいが、そういう情報を集めているとすぐにあることに気付くのだ。
 それは、彼らが異能者であったということと、異能者になったのが数日前であるということ。
 それがどれだけ異常なのか、彼は聞いたことがあった。だから、何となく目の前の少女が関わっているような気がしたのだ。
 彼女が自身の能力を好きなように揮う異能者を嫌っているのは知っている。
 そして、異能を使って何の関係もない一般人を傷つけることを嫌っていることも。
「……優、鋭いね。でも、今日は出かけないと思うよ? 流石に眠いから」
「お前、関係してたのか」
「うん、でも。犯人じゃないよ? 私は問題を起こす前に見つけて、叩きのめしてるだけ」
「叩きのめすって……もう少しマシな言い方ないのか」
「懲らしめる?」
「いや、もういい。じゃあな」
「ありがとね」
「もう倒れるなよ」
 その言葉に雛は淡く微笑む。言外に保証は出来ないと告げる彼女を見て、優は溜息を吐いた。
 玄関を出て階段を降りる。そのまま自宅に帰る道を歩いていた彼の隣を何かが通る。
(何だ、さっきの……)
 ほんの一瞬だけ感じた違和感。違和感の原因であろう『何か』が横を通ってどこかへ消える。
 消えた先には、雛の家がある。それ以外にはごく普通の住宅があるが、『何か』が何なのか分からない。
(……精霊か……?)
 彼女が従えている、十の精霊。それと似た気配を纏った何かが彼女の家のある方面へ向かう。
 それはそのまま、彼女の精霊が戻って来たということなのか。
(気にしても無駄か……)
 頭を振り、歩きなおす。そして彼は、このことを忘れた。
 この時の違和感が、雛の日常を変えるとも知らずに。



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