異能者のありかた 07




 女は街を見下ろしていた。
 真の意味で闇に沈まぬ街を見つめながら、淡く笑う。
 彼女が仕掛けた、爆弾付きのゲーム。
 それは順調に進んでいる。けれど、その順調すぎるほど順調な流れに彼女は首を傾げる。
「もうちょっと妨害が入るかと思ってたのに、順調すぎるわね」
 長い髪が揺れる。肩に乗ったそれを払い、彼女は呟く。
「柚木はサボってるのかしら? でも、成瀬の子が動いてるし……土師は微妙ね。あんまり動いてないような気もするし。相良は必死だけど……」
 女の口から出た名は全て異能者の家系のものだ。
 家系によって異能を維持し続けている家に生まれなければ知るはずのない、『裏の意味』を知った上で女は四つの名を上げる。
「本家の頭が固い連中ほど動かないのかしら? だとしたら愚かね」
 吐き捨て、女は溜息を吐く。
 そして、囁いた。
「早く動きなさいよ。ちょっとぐらい妨害がないと楽しくないわ。せっかくのゲームなのに」


 頭の上で目覚まし時計が鳴る。その音に起こされた雛は手を伸ばして目覚ましを止め、文字盤を見る。
 昨日の夜に自分で掛けた時間は六時半。そして、時計の針が示している時間も当然のように六時半。
「…………」
 時計を定位置に置き、ベッドから起き上がる。ふらつきながらリビングに向かうと既に朝食が出来ていた。それを見て、彼女は首を傾げる。
「あれ? 私、名草に朝ご飯頼んでた?」
「いえ、先に作っただけです。お弁当はどうします?」
 キッチンにいた名草に言われ、雛は「自分で作る」と答えた。それを聞いた名草は苦笑し、「でも、眠そうですよ」と告げる。
「眠いけど……、作れるよ?」
「もう少し寝てていいですよ、作っておきますから」
「じゃあ、七時になったら起こして」
「ええ」
 もう一度部屋に戻り、ベッドに倒れる。
 目を閉じるとすぐに眠りに落ちる。そうして、彼女は夢を見た。

 昔の夢。夢だと理解して、彼女はそこにいる。
 実家の道場、そこで正座して話を聞いている少女と、話している少年。
 少年は今の彼女と同じような年で、少女は今の彼女の半分くらいの年だ。
 暑さを堪えて聞いた話、それを思い出すと同時に場所が変わる。
 僅かに雪が積もった庭。そこにいたのは二人の少女だ。
 十二歳の少女と八歳の少女。彼女自身と、その妹。
 妹が泣きながら手を掴む。行かないで、と告げられる。泣きやませようと必死になりながら、彼女は妹の頭を撫でる。
 行かないで、と何回も繰り返される。妹が必死になって縋りつく。
 けれど結局、彼女はその願いを無視した。
 無視して、逃げたのだ。 

「……っ!」
 飛び起き、周囲を見る。いつもと同じ、自分の部屋。
 視線を動かして時計を見ると、七時だった。部屋を出てリビングに向かうと弁当を包んでいた名草が「お弁当、出来ましたよ」と微笑む。
「ありがと。でも、名草にこんなのさせちゃったら駄目だよね、普通」
「いいえ? あのひとも昔は私に子守を頼んでましたから、平気ですよ」
 精霊たちが親しみを込めてあのひとと言うのは、始祖である男だけだ。それを理解している雛は半ば呆然と「子、守……?」と聞き返す。始祖と同時に語られることのない言葉を聞いたような気がする。
「ええ、あのひと、忙しかったので。よく頼まれましたよ。その時に料理も作ってましたし」
「……そう、なんだ」
「だから、お弁当ぐらい気にしないでください」
 微笑んだ名草の手が伸ばされ、ひんやりとした手が雛の額に触れる。
「熱はないみたいですけど……顔色悪いですよ」
「そう?」
 鏡を見ていないからはっきりしたことは言えないが、寒さを感じるとか、そういうことはない。
 だから首を傾げると「真っ白になってます」と返される。「悪夢でも見ました?」と訊かれ、雛は曖昧に笑いながら答える。
「見たような、見てないような、微妙な感じ。でも、大丈夫」
 あれを悪夢と言い切っていいのか、雛には分からない。けれど、それほど酷い夢でもないのだ。
「とりあえず、顔洗ってくる」
「ええ」
 歩きながら、酷い夢だったかなぁ、と呟く。どちらかと言えば普通の夢だったような気がする。
 悪夢なら、何度も見た。怖くて、どうしようもない夢。誰にも言うことなく、彼女の中にのみ蓄積していく悪夢。
 それと、今朝の夢は全く種類が違う。
 記憶を整理している間に見るものが夢ならば、今朝のものは昔の知り合いにあったのが原因かもしれない。
 洗面所に着いた雛は壁に掛けていたタオルを確認し、蛇口を捻る。
 流れ出した水は冷たい。それを掬おうとすると指の間から流れ落ちていく。
 まるで、記憶だ。
 憶えているつもりでも、いずれ薄れて、思い出せなくなっていく記憶。
 薄れていく、消えていく。だから、思い出せない。
 顔も、声も、交わしたはずの言葉も。
 流水によって手が冷えていく。それを意識すると同時に視界が揺れた。
「馬鹿っ!」
 声がする。それが翡翠の声だと気付いて視線を動かすと後ろに彼がいた。
 倒れたんだなぁ、と思いながら床を見る。そこに落ちた指先から水が滴り、小さな水溜りを作っていた。
 昔も、この光景を見た。あの時も、今と同じように倒れ、翡翠に抱えられた。
 その時に倒れた理由はもう忘れた。ただ、残っているのは僅かな記憶のみだ。
 そして、その僅かな記憶もいずれ薄れて、忘れていく。
 目を閉じると同時に、意識が途切れた。


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