異能者のありかた 05



 スニーカーを履いた雛は靴紐を結び直すと立ち上がった。振り返り、廊下の奥に立っていた名草に声を掛ける。
「出かけてくるから、留守番お願い」
「怪我しないでくださいね。危ないと思ったら翡翠でも盾にしてください」 
「怪我しないように気を付ける」
 玄関を出て、鍵を掛ける。鍵をポケットに入れ、腕時計を見る。
「八時半か……。微妙かも」
 『彼ら』が行動を起こすのは、日が落ちてから。けれど、それ以外の情報はない。
 日が落ちてから、再び日が昇るまで。その間のどの時に行動を起こすかは個人の自由で、強制されていないのだ。
 階段を降りる。どこに行くかは決めていないが、適当に歩いていても何とかなるはずだ。
「…………」
 ひとの行動は読めない。だから、いつどこで何が起きるのか分からない。
 ある意味、問題が起きる時間が夜に限定されているのは幸運なことなのかもしれない。
「夜の方が被害も少ないし……、いいのかな……」
「俺は微妙だと思うけど? どっちもどっちだし」
 唐突に声が響く。視線を動かすまでもなく、誰が現れたのか理解する。
「翡翠、急に出てこないで。ちょっとびっくりする」
「全然驚いてないのにそう言われても困るんだけど」
「急に出てくるのは止めて、っていう話なの」
「じゃあ予告すればいい? 三十秒後に行くよ、みたいな感じで」
 そういう問題じゃない、と思いながら首を振る。無駄でしかない会話を打ち切り、別のことを口にする。
「何で来たの?」
「南に一キロ行った所に異能者がいるから」
 足を止める。その時になって、雛は既に自宅からかなり離れていることに気付いた。
「異能者って、どっち」
 声が硬い。それを受けて、翡翠が笑った。主の性格を理解し、その結果として浮かべる微笑みだ。
「雛と違う方。探してる奴等が暴れてくれるみたいだけど、どうする?」
「行く。南に一キロでいいの?」
 声もなく、肯定の気配だけが返って来る。昔からそうだ。常に、声ではなく気配で返される。
 走ろうか、と思うが周囲にひとが多い。ぶつからないように走っていくよりも、普通に歩いていく方が楽かもしれない。
 早足で歩き、人込みを抜ける。異能者がどこにいるか、正確な場所は分からない。
 勘を頼りに歩き、時折気配を辿る。
「…………」
 違和感の塊。そうとしか言えない存在を捜しながら歩くのは、精神的に疲れる。
 何しろ、違和感の塊だ。本来ならばありえないはずの存在。ちぐはぐの存在。 
 ありえないはずの『後天的な異能者』、それを雛は捜しているのだ。
 加害者であり、被害者である彼らを。

 異能、超能力と呼ばれる全ての能力は、先天的な物だ。それが目覚めるかどうかは別として、後天的に異能者になることはない。
 始めから、異能者は異能者として定められている。
 自身の能力に目覚めるのか、目覚めないまま一生を過ごすかは個人によって違うが、生まれた時に持っていなかった能力をある日突然手に入れ、異能者になることだけはありえないのだ。
 にもかかわらず、十年前から増え始めたのが『後天的な異能者』だ。
 始めは、一年で数人だったらしい。それが少しずつ増え始め、最近では日に三人は『後天的な異能者』が見つかる。
 対処に当たっているのは、先天的な異能者。家系によって異能を維持している者たち。
 雛が生まれた柚木一族もそうだ。彼らは『後天的な異能者』が問題を起こすと動き、時には問題を起こす前にも動く。
 いたちごっこのような状態だが、それしか手がないのも現実だった。

「……何で、異能者が増えるんだろうね」
 歩きながら呟く。僅かに空気を振るわせた雛の呟きに、翡翠が言葉を返す。
「どこかの馬鹿が、他人に能力を与えてるからだと思うけど? そういう証言があったし」
「そうだけど。それを、ゲームって言っちゃうようなひとって理解出来ないな、って思うの」
「理解出来たらびっくりするけど? そんなことになったら、俺は雛が駄目になった、って思うよ」
「駄目になったって……」
 翡翠の発言に言葉を失う。いつものことだが、彼が『こうであって欲しい』と願う主の姿はいまいち分からない。
「馬鹿な奴の考えなんて理解出来ないのが当然だと思う。本音を言えば、雛には理解して欲しくない」
「翡翠には分かるの?」
「全然。柚木の気配は分かるけど」
 その言葉に驚いて足を止めた。驚愕を張り付かせた顔で翡翠を見ると、「どうかした?」と訊かれる。
「柚木、って言った?」
「うん。それがどうかした?」
「誰の、気配……?」
 問い掛けながら、雛は頭の中で地図を描いていた。この近所に、本家はない。分家の屋敷もないはずだ。
 考えられるとすれば、既に独立した誰か。もしくは引退した誰か。
 彼と、その兄弟の名前が出ないことを祈る雛の前で、翡翠は告げる。
「翔と迅。あの二人、割と近所にいるよ」
「聞きたくなかった……」
 がっくりと肩を落とす。
 彼と、その弟。どちらも柚木の本家の出。正当な血筋の二人。
 単純に血筋だけで見れば、雛は二人に敵わない。だが、現実には雛は迅よりも能力がある。
 理由など分からない。本家の息子より強い能力を持つなど、本来ならばありえない。それを無視して、分家の娘である雛は強すぎる能力を持った。
 もし、翔よりも能力を持っていたら本家の顔に泥を塗ることになっただろうが、そうはならなかった。
 それを幸運と思うべきか、不幸と思うべきか、雛には分からない。
 確かなのは、強すぎるが故にお互いにしか止めれなくなったということだけだ。
「近所、か……。まだ見つかってない?」
 その問いに、はっきりとした言葉は返って来なかった。代わりに、肯定そのものである柔らかい微笑みが翡翠の顔に浮かぶ。
「名草の結界はちゃんと役に立ってるよ。俺が保証する」
 二十五体の精霊。その中で一番強力な結界を織り成す二体、防御に長けた名草の結界を彼女より力が劣るとはいえ同様に防御に長けた翡翠が保証する。
 強い能力を持っている彼に知られていないと知って、雛はほっとする。
 自分が逃げ出したと理解しているから、会いたくないのだ。そうでなければわざわざ名草に結界を張るように頼まない。
「……あ」
 小さく声が漏れる。違和感の塊としか言いようのない、『後天的な異能者』。
 誰かに能力を与えられたありえない存在。それが、近くにいる。
 視線を動かし、近くにどれぐらいひとがいるか確認する。いるのは、雛を含め五人だ。
「…………」
 雛を抜いた四人、その内の何人が異能者なのか。それを探りながら時計を見る。
(九時……)
 派手な騒ぎを起こすには向いていない時間だろう。そもそも、向いている時間などないのだが。
「おい」
 通行人の内の一人、雛と同じ年のような外見の少年が声を掛けてきた。
 顔を上げると目の前に来ていた少年が「お前、異能者か?」と首を傾げる。
「さぁ? そもそも、異能者って何?」
 それははったりだ。これに乗るか、否か、それによって見極める。
 少年は僅かに目を瞠り、すぐに表情を変える。
 彼は獰猛な獣を連想するような顔で雛の髪を引いた。
「そんなものを従えてるくせに、認めないのか?」
 もし、生まれながらの異能者であれば。
 雛が従えている存在を見て、距離を置く。そうしない者はただの愚か者であるか、『後天的な異能者』。
 そして、今回は後者。
 髪に触れる手を叩き落し、冷たさを宿した瞳で少年を見る。
「馬鹿ね、あっさり乗るなんて」
 隣にいる翡翠が周囲に結界を張る。戦闘になったとしても周囲を破壊せずにすむように考えての行動に雛は感謝する。
「地獄でも見たいの?」
 彼女に従う十の炎。その意味を理解していない少年はただ眉を寄せただけ。それを見ながら、雛は告げた。
「終わりよ、こんな時間」 



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