異能者のありかた 04




 もう既に夏だと主張する太陽を睨み、雛は「暑い……」と呟いた。
 窓側の列の中央、冬になれば日が当たって暖かい席はカーテンで陽光を遮っていても、夏の間は暑い。
 だから呻くように暑いと呟いたのだが、それを聞いた優が「扇いでやろうか? ノートで」と声を掛けてきた。
 ノートじゃ意味ない、と小さく呟いて雛は首を振る。
「堪えるからいい」
「髪切ったらいいんじゃないか?」
「やだ。切ったらまた伸ばすのに時間掛かる……」
 机に突っ伏し、そう返す。
 腰まで伸びた髪は一度切ると同じ長さに戻すのに数年掛かる。それを理解しているから、彼女は短くしようとは思わないのだ。
 机に頬を付けたまま優に問う。
「次って数学だっけ?」
「だな。そのあと昼休み。屋上行くのか?」
 優の問いに雛は首を振り、「暑いから嫌」と呟く。
「暑いのにわざわざ暑いとこに行く必要なんてないと思うんだけど」
「まぁ、そうだな。じゃあ、どうするんだ?」
「中庭の日陰」
「微妙な場所を選ぶな」
「じゃあ、涼しい所」
 投げやりに呟くと沈黙が返って来る。涼しい場所を思い出そうとしていると知っている雛は優が口を開くまで待つ。
「中庭の日陰ぐらいしかないな……」
「ならそこでいいでしょ? 微妙でも」
「……そうだな」
 数学を担当している教師が教室に入ってくる。それを合図にして自分の席に着いていなかった生徒たちも自分の席に戻る。
 席に着いた生徒たちを見、教師が出席を取り始める。
 どこにでもある、ごく普通の光景。
 ごく普通の日常。
 その、微温湯のような平和に雛は身を浸す。

「そもそも、夏だからって暑すぎると思わない?」
「八月になったらもっと暑いだろうな」
「……優、暑いの平気?」
「割と平気だな。雛は髪長いから暑いんじゃないか?」
「関係ないと思う。多分だけど」
 玉子焼きを口に入れる。いつものことだが、自分で作った弁当は蓋を開けても何も感じない。
 小さい頃に弁当のおかずが気になっていたのは、作ったのが自分ではなく母だったからに違いない。
 中に何が入っているのか分からない、だから楽しみだったのだ。自分で作るようになってからはその楽しみを失ったが、それは弁当だけではない。夕食にしても、今日の夕食が分からない楽しさは失った。代わりに、自分で献立を考えなければならない面倒さが付き纏う。 
「今日の晩ご飯、何にしようかな……」 
「晩飯、自分で作ってたのか?」
「他に誰が作るのよ」
「精霊とか。作れそうだ」
 優の言葉に雛は眉を寄せた。それを見て、優が「無理なのか?」と訊いた。
「頼めば作ってくれるけど……わざわざ頼む方が面倒なの」
「そういうもんか」
「優だって寒いから火出そう、なんて思わないでしょ」
 雛の言葉に優が黙り込む。彼が何を思っているのか推測出来る雛は何も言わず、隣に置いていたペットボトルを手に取る。
 温くなった麦茶を飲む。キャップを閉めて元の場所にペットボトルを置く。
 何となくそこを見ると、暑さの所為でペットボトルの表面に浮かんだ雫が階段を濡らしていた。
「まぁ、優が寒いから火を出すかどうかは別として、私が精霊をそんな用事で呼ばないのは分かった?」
「分かった。言っとくが、俺だって寒いから出そうなんて考えないぞ」
「知ってる」
 とうに理解しているのだ。
 彼が生まれ持った能力を嫌っていることも、もしもの事態を恐れていることも。

  一般的に『異能』、『超能力』と呼ばれる能力は誰もが持っている能力ではない。
 そして、能力を維持してきた家系に生まれたから必ず能力を持つということはないように、両親共に何の能力も持っていないにもかかわらず能力を持つこともある。
 同じ親から生まれ、同じ能力を持った兄弟でもその能力を大きさが同じということはなく、どちらかが強く、どちらかは弱い。
 まるで運動能力のようだと、雛は思っている。
 兄は五十メートルを八秒で走れるが、弟は十秒掛かる。そんな違いに似ている。
 だが、異能は運動能力ではない。自分の持つ能力に耐え切れず暴走してしまうことだってあるのだ。
 制御出来ない、それは異能者にとって致命的な欠点だ。
 自身だけではなく、周りの者まで危機に追いやる、致命的な弱点。それを防ぐ為に、いずれ暴走すると予測出来る者には封印を施すということもある。

「優って、一人だけ持ってるんだっけ……」
 何を指しているのか、彼女は言わなかった。けれど優は「俺だけだな」と返す。
 三ヵ月程度の付き合いだが、お互いの性格は分かっているのだ。
 だから、踏み込んで欲しくない部分は決して踏み込まない。境界線を見極めて、その上で行動している。
「今まで暴走とか、しなかった?」
「しなかったな。近所に似たような境遇のひとがいて、そのひとが教えてくれた」
「そっか。そのひとって、いいひとだった?」
 その問いに優は「いや、どっちかって言うと悪人だった」と答える。即答と言ってもいい早さだったが故に、雛は目を丸くする。
「いいひとじゃ……なかったの……?」
「ああ。性格悪かった。滅茶苦茶なひとだったし」
「でも、そのひとって近所に住んでただけでしょ?」
 普通は近所に自分と似たような境遇の子供、異能者の子供がいても、その能力が暴走しないようにアドバイスをするなどありえない。
 かなりのお人好しでもなければ。
「お世辞にもいいひととは言えないひとだったぞ。絶対こんな奴みたいにはならねぇ、って思ったぐらいだ」
「どんなひとよ、それ」
「偉そうな女。確か、俺が十才ぐらいの時に高校生ぐらいだったな」
「六歳差だったの?」
「おかげでしょっちゅうガキ扱いされた」
「子供扱い……」
 甦ったのは、過去の記憶だ。
 子供扱いのような、そうではないような、何とも言えない扱いを受けていた。そういう記憶が甦る。
 彼は、優しかった。けれどそれは、厳しさと背中合わせの優しさだったのだ。どれだけ優しくても、修行の間は厳しかった。
「雛はどうだったんだ?」
「小さい頃? 普通だったよ。翡翠を継いで、修行して、色々教えてもらった」 
「普通か?」
「普通。まぁ、ちょっと厳しかったような気もするけど、仕方なかったんだと思う。そういう性格のひとだったから」
 大きすぎる能力を持っていると自覚していたからこそ、厳しかったのだ。
 暴走しても何とかなるように。暴走など、決して起こらないように。
 その為、彼は厳しかった。
 脆弱な精神で能力を揮うことが赦せなかったから。
「…………嫌な理解力」
「は?」
「何でもないよ、独り言。でもね、私からすれば、厳しいのは当然だった」
 じりじりと焼けるような錯覚を覚える。日陰にいても、熱された空気が流れ込んでくる。
 また、記憶が甦る。暑い中、道場で正座して聞いた昔話。暑さに耐えて、耳を澄ましていた彼の声。
「厳しくしないと、危ないから。暴走すれば危ないのは誰にでも分かってる。だから、厳しくて当然だった」
 嫌だと駄々をこねたこともある。雛と同じ、分家出身の異能者で同じような年齢の子供たちが受けていた訓練や修行は彼女ほど厳しいものではなかった。
 それを知って、嫌だと言った。逃げ出したこともある。けれど、逃げ出しても連れ戻され、時には殴られた。
 生まれ持った能力に比例して、修行は厳しくなる。彼女の修行が厳しかったのは、当たり前なのだ。
「雛、お前さっさと弁当食え。あと三十分しかないぞ」
「三十分もあれば余裕じゃないの?」
「次、移動だ。端から端まで」
「あ、そっか。ちょっと待って。急いで食べる」
 言われ、雛は急いで弁当を食べる。
「ごちそうさまでした」
 食べ終えた弁当に蓋をし、手を合わせるのは習慣だ。弁当を入れた小さな鞄とペットボトルを持って立ち上がり、教室へ戻る。
 隣に優がいるのも、数ヶ月の間に出来た習慣だろう。少なくとも、雛はそう思っている。
 お互いに、一定以上は踏み込まない。その距離が楽なのだ。
「今日って、何かあったっけ」
「何もないだろ。雛が勝手に用事を入れてる場合は別だろうけどな」
「じゃあ、何もない……、あ、買い物行かないと駄目なんだ」
 昨日の夜と、今日の朝。その時に見た冷蔵庫の中を思い出す。
 そろそろ買い物に行かなければならない。
「付き合ってやろうか?」
「いい。面白くないだろうし」
「重いんじゃないか?」
「大丈夫、大丈夫。そんなに買わないから」
 雛は四年前に実家を出た。耐え切れなくなって逃げ出し、母の実家に身を寄せたのだ。
 高校進学と同時に祖母や、父の援助で一人暮らしを始めたのだから、買い物に行ってもそれほど買う物はない。だから、荷物の重さなど高が知れている。
「で、晩飯決めたのか?」
「まだ。昨日の晩カレーだったから、それでも温めて食べようかな」
「始めからそうしろよ」
「置いとくと翡翠に食べられるの」
 本来、精霊は食事を取る必要がない。食べようと思えば食べれるらしいが、人間と違って食物を摂らないと動けない、ということはないのだ。
 にもかかわらず、翡翠はよく食べる。カレーを置いていたら食べられ、ケーキを焼けば一切れ食べられる。
 彼に食べられた物を並べれば切りがないくらいだ。
「話聞いてるだけだと、お前が本当に主として敬われてるのか怪しいな」
「翡翠には全く敬われてないよ。感覚としてはほぼ家族」
「……いいのか、それ」
「うん、いいの。私は、物として見たくないから」
 長い、長い歴史。始祖とされる男が呼び出した二十五の精霊。
 彼らは時折、物のように扱われた。意志のある、便利な兵器。そういう扱いを受けていた時代もあったのだ。
 そうならないことが、本来の姿。
 彼らは主の手助けをする、主を支える存在であったはずなのだ。
 だから、雛は『敬われなくてもいい』と思う。家族のような、それに近い関係でいいと思うのだ。
 道を、間違えたくないから。

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