異能者のありかた 03



 数人の異能者から能力を取り上げた雛は日付けが変わる前に自宅に戻り、溜息を吐いた。
「疲れた……」
「なら関わらずに無視してたらいいんじゃないの? 関われって命令が出てるわけでもないんだし」
「無視出来ないから関わってるの。……もういいや、考えるの止め」
 そう呟き、背後の翡翠を無視してリビングに向かう。テーブルの上に置きっ放しにしていたペットボトルのお茶を飲みながら時計を見る。
 十一時二十五分。あと三十五分で日付けが変わる。
 蓋を閉めたペットボトルをテーブルの上に置く。リビングを出て風呂場に向かい、シャワーを浴びる。
 決して熱くはない、生温い湯。それを頭から被りながら目を閉じる。
 関われという命令は出ていない、それを思い出して口元を歪める。
 逃げ出しておきながら、騒ぎを無視することが出来ずに関わる。このまま過ごしていれば、いつ見つけられてもおかしくない。ある意味、見つけてくれと言っているようなものだ。
(結局、私は……)
 逃げ出したとしても、異能者であることを止めれない。異能を持っているから異能者なのではなく、精神そのものが異能者なのだ。
 魂まで異能者だというべきなのか、骨の髄まで異能者だというべきかは分からない。けれど、成瀬雛は異能者であることを止めるという選択を取れなかった。
 濡れた髪が頬に張り付く。目を開け、自身の右手を見る。
 家を出た時からさほど変わらない、見慣れた手。昔はこの手を握るひとがいた。握り、忘れないように語るのだ。
(脆弱な精神で能力を揮うことは赦されない……)
 彼の言葉そのままを憶えてしまった。何度も何度も忘れないように、間違えないように繰り返される言葉。彼の信念とも言えるその言葉に、雛は拳を握る。
(忘れててもおかしくないのに……)
 最後に聞いたのは四年前だ。それ以来一度も聞いていない言葉を忘れていてもおかしくないはずなのに、雛はしっかりと憶えている。
 憶えているという事実が暗に『異能者であることを止められない』と告げる。
 拳を開く。シャワーを止め、雛は風呂場を出る。バスタオルを手に取ると同時に着替えを持って来るのを忘れていることを思い出し、小さく溜息を吐いた。
(名草、いるー?)
 珍しく現出していない彼女に声を掛ける。
 空気を震わせることのない声でも、精霊を呼び出すには充分だ。
「何か御用ですか?」
「悪いんだけど、パジャマ持ってきて。持って来るの忘れてた」
「分かりました。でも、ぱぱっと拭いてから自分で行ってもいいのでは?」
「髪乾かすのに時間掛かるからそんなことやってたら風邪引いちゃう」
 苦笑しながらの言葉に名草は「そう言えばそうですね」と呟き、脱衣所を出て行った。数分もしない内に戻って来た彼女から着替えを受け取り、礼を言う。
「ありがと」
「いえ、いいですよ。じゃあ、私は戻ります」
「うん」
 微笑んだ名草の姿が消える。目の前に存在していたことが幻であるかのような消え方に驚いていたのは幼い頃だけだ。今となっては慣れすぎて何も思わない。
 着替えて、髪を拭く。タオルを籠に入れてから脱衣所を出てリビングを通り過ぎ、ベランダに出る。
 太陽が出ている間は暑くても、夜になれば気温が下がり肌寒い。冷たい風に当たりながら目の前の道路を見下ろす。
 深夜だというのに走っている車やバイク、自宅に戻ることなく歩き続ける学生。そういったものを見ながら溜息を吐く。
(大人しくしないひとがいるからいつまで経っても終わらないのに)
 後天的に異能者となった者のほとんどは深夜徘徊を繰り返していた。そして、ある日能力を受け取り異能者となる。その結果は死か、能力を取り上げられたことによる屈辱感を抱くかのどちらかだ。
 もっとも、自分の物ではない能力を取り上げられた結果に抱くのが屈辱感というのも雛からすればおかしいのだが。
 本来異能は自分だけの物で、他人と全く同じ物などない。自分自身にしか扱えず、他人と交換など出来ない物、それが異能であったはずなのだ。
 それが崩れたのは十年ほど前、『後天的な異能者』が現れ始めた頃だ。
 それ以来、『後天的な異能者』は増え続けている。どれだけ対策を立てても、どれだけ異能を取り上げても、それを上回る速度で異能者が生まれ続けているのだ。
(ほんと、やだなぁ……。分かってないひとばっかり)
 ある日突然目の前に現れた人間に「超能力をやる」と言われてあっさり受け取る者が多すぎる。一般人の常識から考えてもおかしいだろうその言葉を『後天的な異能者』たちは受け入れ、その結果彼らは増え続ける。
 一定以上増えることのない異能者と、際限なく増え続ける『後天的な異能者』、どちらの方が不利なのかは子供でも分かる。
 数に頼った暴力、それに先天的な異能者が負けることもある。いくら異能の扱いに長けていても、単純な暴力に敗北することはあるのだ。
(…………)
 道路から視線を外し、空を見る。黒に近い夜の色を見ながら唐突にあの日は雪が降っていたなと思い出す。
 僅かに積もった、すぐに融けてしまう雪。やがて土と混じり合い、濁った色へと変わってしまう雪。それが積もった日に、雛は逃げ出した。
 手摺を握る。一度思い出してしまえば、それに引き摺られるように当時のことを思い出す。
 彼の言葉や、向けられた嫉妬と恐怖、撫でた髪の感触と、振り払った手の温度。
(声…………)
 記憶の中の声が甦る。泣きながら「行かないで」と繰り返す、現実を認めたくない子供の声。
 それが誰の声なのか雛は分かっている。今まで一度も忘れたことのない存在、妹の声だ。
 逃げ出そうとした時に、見つけられた。殆ど荷物を持っていなくても、彼女は自分の姉が逃げ出そうとしていることに気付いた。そして、泣いた。
「お嬢、風邪引くぞ」
 リビングから声を掛けられ、雛は肩越しに振り返る。
「大丈夫。でも、あったかいココア淹れて」
「寒いなら戻ってくればいいだろう」
「寒くはないの」
 小さく笑いながら言い、「だから、あったかいココア淹れて」と頼む。苦笑しながらキッチンに向かう玲の気配を感じながら雛は記憶の中の泣き声を追い払う。
 あの日、初めて妹を泣かせた。それ以来一度も会っていないし、電話を掛けることもない。同じ様に、向こうから来ることもなかった。どう考えても嫌われている。
(あれから帰ってないし……)
「死んだって思われてたらどうしよう」
 流石にありえないだろうが、そういうありえない方向の勘違いを正さないのが父だ。妹に対して何も言っていない可能性も高い。
 だから死んだと思われているかも知れないと思ったのだが、それを否定したのはマグカップを持ってベランダに出て来た玲だ。
「お嬢が死ねば俺たちは本家に戻ることになっている。死んだと思われることはないはずだ」
 彼からマグカップを受け取った雛はココアを一口飲み、疑問を口にする。
「玲たちが戻ってこないのが、私が生きてる証拠、ってことになるの?」
「そうなる。元々俺たちは主が死ねば本家に戻って再び使役されるまで眠りに就くからな」
「………そっか」
 よくよく考えれば、一つの時代に二十五体の精霊全てが使役されることは奇跡のようなことだ。
 それを、たった二人の人間が成し遂げているということも。
「ねぇ、始祖って本当に人間だったの? 精霊を二十五体召喚して、その上契約で柚木家に縛って……色々人間離れした話もあるし」
「人間だった。ちゃんと心があったからな」
「心のあるなしで決まるの、それ」
「そうだろう。たとえ人間でも、心のない者は人の形をした獣だ。人間だろうが異能者だろうが一番重要なのは心で、精神の在り方だろう」
 玲の言葉を聞きながら、雛はココアを飲む。ずっと昔に、似たようなことを師から聞いた。もしかして、と思いながら玲に声を掛ける。
「それ、始祖が言ってたこと?」
「あぁ、あのひとが言っていた。おそらく、本家のどこかに置いてある本にも書いてあるはずだ。まぁ、柚木本家に伝わる信念の一つだろう」
「だよね。昔同じこと言われた。精神って何って聞いたことあるし……」
 精神精神と繰り返されても分からない物は分からない。逆に、何度も繰り返される所為で混乱すらした。
「お嬢の師匠は基本的にスパルタだったからな。もう少し噛み砕いて教えてやれと思っていた」
「多分、とりあえず憶えさせて、数年経ってから『あー、こういう意味だったのか』って思わせるのが目的だったと思う」
「もしそうなら成功しているな。あいつの言葉の意味が分かるようになったのは最近だろう?」
 玲の言葉に雛は「さぁ?」と返す。ココアを飲んでから道路を見下ろす。
「あのひとの話は止めて、違うことでも話さない?」
「冷えるから早く中に戻れとしか言えないな」
「ケチ。別にいいじゃない、気分転換ぐらい」
「早く寝ないと明日遅刻するだろう」
「あー、うん、それはありえるかも」
 未だに通行人の減らない道路から視線を外し、リビングに戻る。鍵を掛けてからキッチンに空のマグカップを置き、雛は寝室に戻った。
 どれだけ慰めても、結局手を振り払って出て行った雛はひどい姉だろう。だからきっと、雛は妹に、成瀬芹菜に会う資格を持たない。同じ様に、柚木翔に会う資格もない。
 逃げ出したのだから、何もなかった様に彼らに会うことは出来ないのだ。


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