プロローグ 02




 日が落ちる。
 暗闇が全てを包み込む時間になり、ビルの屋上にいた女は笑みを浮かべた。
 全く日に焼けていない白い肌に深い茶の髪が落ち、くるくると巻かれたそれは女の背を覆う。
「始まるわよ、夜が」
 人工的な灯りが街を照らす。完全な闇に沈むことを拒否した街、そこを歩く人々を見下ろしながら女は楽しそうに笑う。
「今日も、いつも通り。いつも通りに始まりそうね」
 彼女が仕掛けた、爆弾付きの遊び。他人を巻き込んだ思惑は少しずつ大きくなり、真実を見せ始める。
 真実を指し示す、事実の欠片。個々では『点』でしかないものが集まり、やがて『線』となる。
 その末に、真実に気付く者を彼女は待っているのだ。
「早く気付きなさいよ、異能者」
 彼女が見下ろしている場所の近くには、青い炎が浮かんでいる。
 その炎が柚木家に伝わる精霊と呼ばれる存在であり、それを従えている者が柚木に繋がる者だと知っている女は笑う。
「さっさとしなさい。生まれた時からその身に異能を宿した人間、私が生み出す者と正反対の姿勢を貫く異能者」

「翡翠、露草、玲」
 用件も何もなく、ただ名前のみを呼ぶ。呼ばれた精霊たちは主である雛の傍に現出するとそれぞれの態度で口を開く。
「雛、用は?」
 十六歳ぐらいの少年の外見を取っている翡翠に聞かれ雛は「変な気配がしたんだけど、探れる?」と返す。
 それに答えたのは雛よりもいくつか年上の外見を取っている玲と、玲と同じような年齢の外見をしている露草の二体だ。
「翡翠には向いていない。探るなら、俺がやってくる」
「私も同意見。玲が行って来た方がいいと思う」  
「じゃあ、玲は探ってきて。翡翠はいつも通りで、露草は援護」
 主の言葉に三体は頷く。すぐにいなくなった玲と露草を見送り、雛は歩き始める。
 その後ろを翡翠がついてくる。彼は頭の後ろで手を組みながら歩き、雛に声を掛けた。
「雛、名草は?」
「留守番頼んで来たけど……、急に何? 普段なら気にしないのに」
「俺よりも名草の方が防御得意だから、あいつの方がいいかな、って思っただけ」
「名草の方が得意だから部屋に置いてるの。そうじゃないと見つかるでしょ」
 括っていない黒髪が風で揺れた。靡く黒髪の先を摘み、翡翠は問う。
「そんなに翔に知られたくない?」
「怒られたくないの。絶対に一時間ぐらい怒られるだろうし……。想像するだけでも嫌」
 肩を落とした雛は「翡翠、髪引っ張らないで」と呟く。いささか力のない主の声に従い、彼は髪を離した。
「一時間じゃなくて、二時間じゃない? 翔ならそれぐらいの時間、説教に当てそう」
「本当にそうしそうなのが嫌……」
 それほど重要ではない会話。歩いている間の時間潰しに言葉を交わしていた雛は不意に足を止める。
「…………」
 昼間の物とは違う、夜の風。肌を撫で、通り抜けていくそれが、いつもと違う。
 何が違うのか説明することは出来ない。ただ、感覚として違うのだ。
 空を見上げる。既に日が落ちた空は暗く、彼女の目には黒に近い色として映りこむ。
「……変だよね、今日」
 小さな呟きに無言の頷きが返って来る。自身の背後にいる精霊の動きは見えないが、僅かな空気の動きで理解できる。
 雛は視線を正面に戻すともう一度歩き始めた。
 しばらくして違和感の理由を理解する。それと同時に出て来た言葉は彼女の本心を過不足なく表していた。
「面倒臭い……」
「なら、止めればいいんじゃないの? 雛がいちいち関わる必要なんてないし、別に頼まれたわけでもないじゃん」
「そうだけど……。無視するのもどうかと思うの」
 無視するのは簡単だ。けれど、無視した末に起きる出来事を考えると彼女は動いてしまう。 
「まぁ、私が動いて意味があるのかって聞かれると微妙だけど」
 雛は自分が未熟者でしかないと認識している。潜在的に持っている力だけでいえば、彼女よりも強い人間は十もいない。
 だが、それをうまく使えるのかと問われれば首を振るしかない。
 未だに、自分の力をうまく使えているとは思えない。力任せに解決している時の方が多いような気がするのだ。
「一ヶ月ぐらい早かったかな、逃げるの」
「一ヶ月じゃどうにもならなかったと思うよ。多分、今も家にいて、それで九割ってとこだと思うけど?」
「……四年も早かったってこと、それ」
「うん」
 断言され、彼女は言葉に詰まる。未熟だと自覚していても、ここまではっきり言われると辛い。
「翡翠と話してると、私って本当に主だっけって思うんだよね……」
「大丈夫、俺たちの主は雛だから。俺は敬う気がなくなっただけ」
「そう。ねぇ、玲から反応ないんだけど、翡翠は何か分かる?」
「玲なら東に五百メートルぐらい行った所にいるよ。露草も一緒にいる。それと、異能者が一人」
 異能者という言葉に雛は「どっち、それ」と問う。
 寸前までとは違う、十の精霊を従える主としての声。それに、翡翠は「雛と違う意味で、異能者」と返す。
「翡翠、走るよ」
「了解」
 誰かが生み出し続ける『後天的な異能者』、本来ならばありえるはずのない存在から異能を取り上げ、元の生活へ戻す。それを実行すると決めた雛に従い、精霊たちは自身の能力を使う。
 そうして今日も、どこかの誰かの思惑が含まれたゲームが始まる。


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