プロローグ 01



 呼び出されたのは、二十五体の人外。
 ただの人間によって召喚された彼らはある者は驚きを、ある者は嘲笑を持って男を見る。
「何用か」
 二十五体の内の一体が口を開く。ただの人間ならば怯むであろう眼光が男に向けられた。それを受け止め、彼は笑う。
「柚木だ。お前ら二十五体、契約によって繋がせてもらう」
 それが、始まり。
 後に始祖と呼ばれた男と、二十五体の精霊の出会い。

「だが、何をすればいいんだ?」
 その問いに男は「手伝え」と返し、紙に彼らの名を記そうとした手を止めて顔を上げると、「お前ら、精霊でいいな?」と問う。
「呼び名などどうでもいい。何をすればいいんだ、主よ」
「俺の手伝い。そうだな……。俺の血が受け継がれ、尚且つお前らを従えられる者がいる限り、仕え続けろ」
「構わん。どうせ、ひとの寿命など一瞬だ。これから先、従おう」
「頼んだ」

 そうして男は、呼び出した者を契約によって繋いだ。
 時代が変わり、身分が変わり、主が変わっても彼らは仕え続けた。
 主に従い続け、そして一つの時代を迎える。


 永い時を経て男の血が薄まったにもかかわらず、男に匹敵する力を持った者が二人もいる時代を。


「もし、俺たちのどっちかが暴走したら、殺し合いになるんだ」
「殺し合い……? わたしと、翔が?」
「暴走した方を止める為に、全員で挑んでも……結局、止めれないだろうな。暴走してない方が殺すしかない」
 少年の言葉に少女は首を傾げる。わからない、と小さく呟いた彼女の頭を撫で、彼は言い直す。
「俺が駄目になったら、雛が止めるんだ。で、雛が駄目になったら、俺が止める」
「ひとりで止めるの? みんなで止めるの?」
「みんなで止められないだろうから、一人で止めるんだ」
 それを聞いて少女は首を振る。
「わたし、止められないよ。勝てないから」
 彼女は、少年に勝てない。二人の間にある六年の差、それに伴う体格差、経験の差が彼女と少年の間に溝を作っている。
 それだけでなく、彼女よりも少年の方が能力がある。その差を埋めることが出来ないのだから、彼女は少年に勝てない。それぐらい、彼女でも知っている。そして、彼女が勝てない可能性を彼女よりも知っている少年は彼女に向かって告げる。
「勝てなくても、やるしかないんだ。放っておいて、大変なことになったら困るだろ?」
「大変なことって?」
「そうだな……。家がなくなるとか」
「? それだけ?」
「いや、もっと大変なことも起きる。でも、さすがにそこまでは分からない」
「止めればいいの?」
 少女の問いに少年は頷く。頷いて、はっきりと告げる。
「止めればいいんだ、何が起きても」
「みんなに手伝ってもらってもいいの?」
 彼女の言う『みんな』は家族や、親戚のことではない。
 今までずっと受け継がれてきた二十五体の精霊を示していると理解している少年は「手伝ってもらうんだ」と返す。
「翡翠でも、名草でも、誰でもいい。お前が従える精霊に手伝ってもらって、止めるんだ」
「従えるって、なに?」
「雛の言うことを聞く精霊に手伝ってもらうんだ」
 言い直すと、少女は「わかった」と頷いた。その小さな頭を撫でながら、少年はそんな未来が訪れなければいい、と思う。
 殺し合いなど、避けたい。
 その為には自分の力を制御して、絶対に暴走しないようにしなければならない。
 力だけではない。意志も、強くなければならない。
 脆弱な精神で能力を揮うなど、赦されることではないのだから。
 少年は一度頭を振ると「じゃあ、休憩は終わりだ」と告げる。
「また?」
「ああ。そうじゃないと、危ないからな」
 少女を縁側から下ろし、庭に立たせる。彼は彼女の目線に合わせる為しゃがみ、彼女の能力を制御する為の訓練の続きを始める。
 訪れて欲しくない未来を、避ける為に。

 道を歩いていた彼女はふと甦った記憶を再び忘れる。
 その時は意味が分からなかった言葉。その意味を、今の彼女は理解している。
 強すぎる力は、時に災いへと変わる。
 彼が言っていたのは、その一つの例だったのだろう。
 彼と彼女の、強すぎる力。それが暴走した時の対処法を、彼は教えていたのだ。
 暴走しても、何とかなるように。暴走など、起こらないように。
「雛?」
 声を掛けられ、彼女は「何でもない」と返す。歩きながら「優には関係ないよ」と呟く。
「関係ないって……何かいたのか?」
「そういうのじゃなくて、昔のこと思い出しただけ」
 十年以上昔の記憶。彼に言われた時、彼女はまだ精霊を一体しか継いでいなかった。
 一人の男によって呼び出され、従い続けることを命令された二十五の人外。精霊と呼ばれるようになった彼らの正体を知る者はほとんどいない。
 気にする者がいないから、『精霊』と呼ばれ続けているのだ。
 僅かに熱気を孕んだ風が吹く。そろそろ夏だと思い知らされ、雛は眉を寄せる。
「暑いよね、最近」
「もう七月だしな。涼しかったらおかしくないか?」
「怪談でもする?」
 断られることを承知の上で提案すると、すぐに「却下」と言われる。分かっていたが、面白くない。雛は僅かな苛立ちを覚えながら優を見上げる。
「何で? 話のネタなら百個ぐらい用意出来るのに」
「俺だけ涼しくなるだろ、それ」
「そう? 幽霊とか慣れてるのかと思ってたんだけど」
「お前と違って見えない」
「私だってちゃんと見えてるわけじゃないよ。霊を見てるんじゃなくて、『人外』を見てるんだから」
 霊視能力を持つ者は霊を見る。だが、雛の場合は『霊のみを見る』というよりも『ひとではない者を見る』という方が近い。
 霊だけではなく、妖怪や使い魔、人間ではない存在全てを見てしまうのだ。
 そんなことを考えながら、雛は「優の肩にずーっと手があるんだよね、血塗れの」と呟く。
 自身の言葉に目を瞠った優の右肩を見ながら「このまま乗せとく? 祓う?」と問い、彼の返事を急かす。
「どうするの?」
「祓ってくれ」
「了解」
 片手を伸ばし、優の右肩の辺りを払う。一見すると何もない空間に当たった雛の指には、僅かな能力が込められている。
 肩に乗っていた埃を払うような動作で血塗れの手を、霊を祓い落とす。
「これで大丈夫。あんまり得意じゃないから雑だけどね」
「雑って……、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫。本当に危なかったらちゃんと祓うから」
 彼女に付き従う、十の炎。長年受け継いできた二十五の精霊の内の十体。
 十体の内の二体は防御に秀でているが、その内の一体は攻撃の力も有している。
 命令を下せば、彼はそれを承諾する。「祓って」と頼めば、即座に実行に移されるはずだ。
「雛はいいよな、最初から受け入れられてるんだから」
 吹き抜ける風が優の髪を揺らす。彼を見上げた雛の視界の端で明るい茶髪がそよいでいた。
「最初から、『当然』で……苦しくなさそうだ」
「そうでもないよ。私は、時々苦しかった」
 雛に向けられるのは、嫉妬と恐怖。それが苦しいと思っていても、口には出せなかった。
 強すぎる能力を警戒されるのは、彼女にとって地獄だったのだ。
 持ちたくて持ったわけではない能力。それを、親族が勝手に妬み、時折恐れる。
 妬まれたいわけでも、恐れられたいわけでもない。
 けれど、それは絶対に届かなかった。
「苦しくて、堪えれなかったから逃げ出したしね。始めから『こっち側』に生まれても、それがいいとは思えないよ」
 強すぎる能力を持ったが故に向けられた全てを振り返り、彼女は告げる。
 経験する必要などなかった全てを過去の物として忘却する雛の耳に、優の呟きが滑り込む。
「嫉妬って、そんなに酷かったのか?」
 言ってすぐ、彼の顔に後悔の色が浮かぶ。言うべきではなかったかもしれない、そう考えている顔を見て雛は苦笑する。
「さぁ? その時の私には辛かったけど、本当は全然酷くなかったかもしれない」
「どっちだよ、それ」
「どっちか分からないの。逃げちゃったから」
 目を逸らし、耳を塞いで、彼女は逃げ出した。
 だから、本当に辛いと感じるものだったのか、堪えれるものだったのか、分からないのだ。
  「お前もお前で色々面倒なんだな」
「今更?」
「今更か?」
「だって、優が霊とか妖怪とか引っ掛けてくるから、いつも祓ってるでしょ? 結構面倒なの、向いてないし」
 雛の能力は霊を退治する為の能力ではない。
 それを無視して向いていないと自覚している使い方を実行に移せるのは、彼女の能力が強大だという証でもある。
「向いてないって言う割にはよく使うよな」
「呼び出してもいいけど、何もない空間に向かって話しかける変なひとになるのよね、時々。それなら多少無茶した方が楽」
 雛の傍に常に控えている精霊たちは異能を持たない者には見えない。異能を持つ者は少なく、精霊が見える人間は殆どいない。
 そして、異能を持つ者全員が精霊を見れるわけでもない。一定以上の力を持たない者には絶対に見えないのだ。
 見えない者からすれば、精霊と会話している雛は『何もない空中に向かって話している』ように見えることがある。それを避ける為に、彼女は人目の多いところでは精霊を呼び出さない。
「負担だけで言えば、呼び出す方が楽なんじゃないか? 前にそう言ってただろ」
「楽だけど、あんまり呼び出したくないの。見つかるから」
 誰に見つかるのか、雛は口にしない。
 けれど、言いたくないと言う感情が伝わったのか優は追求せず「腹減ったな」と呟く。
「優だけでしょ? 私はまだ平気」
「そもそも、雛はあんまり食ってないだろ。普段から」
「普通に食べてるよ」
 どこにでもある、平凡な会話。あまりにも普通すぎる日常。
 平和以外の何でもない言葉を交わしながら、彼女は笑う。
 日常から遠ざかる時間が近付いていると理解して。


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