あなたの言葉




 柔らかい夕陽が差し込む部屋の机の上に置かれた、数枚の便箋。
 それを手に取る彼女の後ろ姿。


 親愛なる我が恋人、エミリアへ。

 こんな風に書き出すと、君は怒るかな? 親愛なるエミリアなのか、恋人であるエミリアなのか、いったいどっちなの、そういって頬を膨らます君が見えるよ。これが僕の妄想じゃないってことは、別れるまでの十年以上が保証してくれると思うよ。
 ああ、やっぱり駄目だ。別れるまで、って書いてしまうと、僕と君が喧嘩別れしたみたいに取れるね。きちんと文通してる相思相愛の仲なのに。君の、厳しいお兄様に誤解されてしまう。可愛い可愛い妹はいつの間にか隣家の馬の骨と別れて独り身だと、思ってしまうだろうね。君が寂しいだろうと気を利かせて、自分の友人を紹介してしまうかもしれない。それは困るよ。彼じゃないけれど、君は可愛い。美人だ。お兄様はお兄様で美形と表現して問題のない外見だし、多分、あのひとの友人だって同じだろう。君が優男なんて興味ないことは知ってるよ? でも、それなりの美形を見たら暇つぶしに眺めるでしょ? 目の保養だって、時々言ってたしね。
 そして、可愛いくて美人な君に見つめられた男はきっと勘違いしてのぼせ上がるよ。ああ、嫌だな。書いてて嫌になったよ。この二年で、君はもっと綺麗になっているんだろうね。
 けれど、会いたいとは言えないよ。会いたくないわけじゃないよ? 会えるんだったら、いつでも会いたいさ。それを許してもらえないから、まだ会えないけどね。
 ああ、エミリア。僕と顔を合わせない間に、君はいったい何人の男に話し掛けられたんだろう。告白してくる相手だって、いたかもしれないね。何度だっていうけれど、君は可愛い上に美人だった。素敵な女の子だったんだ。いいや、いまでも素敵だろうね。もっと素敵になっているはず。でも、きっと君と再会する時、君は女の子じゃなくなっているよ。
 ここまで読んで、君は眉を寄せるんだろうね。私と再会するのは何年後のつもりなの? って。うん、間違ってないといいな。もし僕の想定した行動と、君が取った行動が違っていたら少し傷つくよ。
 長々と書いてた所為で、僕が何を伝えたかったのか分からなくなってきてるね。ただの近況報告のつもりだったけど、だらだらと長い手紙なんて、きっと迷惑だろうね。あなたの近況なんて想像出来るわ、って拗ねるかもしれない。
 だから、このあたりで筆を置こうと思います。どうか君に、穏やかな日々が訪れますように。
 君の恋人より。


   君はもう知ったかな? 先月、姉上に息子が生まれたらしいんだ。私に似て美人だったわ、なんて手紙に書いてあるけど、実際はどうなんだろうね? もう、将来の甥っ子に会った? それとも、まだ? もしまだなら、僕が戻ってから、一緒に会いに行かない? ああ、でも、きっと君はもう会っているんだろうね。姉上が会わせる気がするよ。君は、姉上に本当に大事にされていたからね。
 弟なんていらないからエミリアが欲しい、なんて言われてたことを君は知っているのかな? 皆に愛されるのは君の美徳だよ。独占させてくれないところもね。うん、時々憎く思う君の美点だ。どれだけ頑張っても、君は僕だけのものになってくれないからね。
 こう書くと、君はまた怒るのかな? 私の人権はどこに行ったの? って。昔、似たような話をした時に怒ってたよね。君は自由に笑ってて欲しいと思うし、独占したいとも思う。こんな感情を、君は嫌うかな。矛盾してる自覚はあるんだけど。


 こっちに来て驚いたのは、雨の多さだよ。こっちの雨は激しいからね。一度降り出すとうるさくて、実家で聞く雨の音は本当に静かなんだなって実感するよ。
 しとしとと雨が降った日に、君と二人で静かに本を読んだことがあったよね。途中で読書に飽きた君はレース編みを始めてたよね。いや、完成してなかったから、再開したっていうほうが正しいのかな? まぁとにかく、君は途中から読書を止めてた。けどね、別々のことをしながら同じ部屋にいるの、結構楽しかったよ。
 君はレース編みは苦手って言ってたけど、あれ、綺麗だったよ。手紙に書くぐらいなら、あのとき言えばよかったでしょ、って怒られそうだね。ゆっくりと出来上がる模様に、器用だなって感心してたんだ。


 君に、告げなければならないことがあるんだ。出来ることなら直接言いたかったんだけど、出来るだけ早く伝えようと思うと手紙になってしまうんだ。残念ながら、僕はもうしばらく帰れないからね。
 いつ帰ってくるつもりなの、って責められそうだね、こんなこと書くと。別れる前に告げたけど、一応来年の春には帰るよ。あと半年間、悪いんだけど我慢してて。
 それで、本題だけど。
 帰ったら、君のお父様とお兄様に話したいことがあるんだ。その前に、君の意見も聞きたい。ううん、君の返事だな。了承の返事以外は聞きたくないんだけど、どうなるんだろうね。君は照れ屋さんだから。帰ったら直接言うつもりだけど、先に手紙でも言っておくよ。
 君を愛してるよ、エミリア。


 ぽつりと、手紙が濡れる。彼女の手の中に収まっていた四枚の便箋。ばらばらの日付で綴られた彼の言葉。
「愛してるんなら、帰ってきたらよかったのに」
 小さく呟いて、首を振る。帰ってくるつもりだった彼を帰らせてくれなかったのは、純粋な事故だ。事故が起こることすら想定していなかった。帰郷のために乗った列車で起きた事故によって、彼は帰って来れなくなった。もう、五年も前の話だ。
 少女時代の想い出である手紙を小さく畳む。机の上に散らばっていた手紙たちを纏めて、暖炉に入れる。もう会えない彼との想い出を、彼女は灰にした。

Copyright (C) 2010-2012 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system