華となりて棘となる 前編




 人が、二人消えた。
 王の娘と、息子。王妃の美貌を継ぎ、それよりも遥かに美しいと讃えられる王女と、次期国王と見做されていた王子が消えた。
 残ったのは多くの家臣と、王、そして幼い弟王子だけ。


「兄様は、どこへ?」
 まだ高い、少年の声が問う。だが、その問いに答える声はない。ただ、静かなすすり泣きのみが響く。
「姉様は、どこへ?」
 その問いにも答えはない。小さく響く、泣き声。それのみが少年の耳に残る。
「兄様と、姉様はどこへ? リリー、知っているんだろう? 知らないはずがない。姉様は、誰よりもリリーを信頼していた。知らないはずがない」
 小さな白い手がすすり泣く女の袖を掴む。主を前にして泣き続ける侍女は赤くなった目で少年を見る。
「カーティス様と、ローズマリー様は、いなく、なられました……。あの方たちは、もうどこにもいない。残ったのは、貴方だけです、リオン様」
 少年の顔に困惑が浮かぶ。兄も姉ももういない。残ったのは自分だけ。その言葉に、彼は「嘘だ」と呟く。
「兄様が、どこかに行くわけがない。姉様だってそうだ。どこにも行かない。どこかに行くはずがない」
 彼の声は、妙に響く。しんとした城の中、彼の声だけが響く。窓から見える庭に、姉の姿はない。兄の姿もない。美しいと讃えられる人も、穏やかな笑みを浮かべる人も、もういない。


 王女と王子が消えた理由を弟王子は知らない。
 誰も、二人が消えた理由を語らないのだ。家臣に訊いても、王に訊いても、一言も語らない。
 けれど、それに彼は納得しない。理由なく居なくなる人たちだと思えない。だから彼は、幾度となく問うた。

 兄と姉は、どこへ消えた? あの二人は、どこへ消えた?

 応える声はない。そんな彼の目の前に答えを持った少女が現れたのは二人が消えて半年経った頃だった。


「ねぇ、知りたいんでしょう? 消えた王女と王子の話」
 栗色の、艶やかな髪が揺れる。王子に問いかけたのは、今まで見たことがない少女だった。彼女の髪の色は、この国の人間のものではない。この国に、栗色の髪を持った人間はほとんどいない。栗色の髪は、南の隣国のものだ。
 だから彼は、眉を寄せた。王位継承権第一位を得た弟王子、その威を纏って少女に問う。
「君は誰だ?」
「誰でも良いでしょう? あぁでも、名前がないと不便でしょうね。そうね、ヴィオラで良いわ。貴方が持っている楽器、その名で呼んで」
 少女の言葉に南の訛りはない。外見も、髪の色以外はこの国の人間と大差がない。第一、南の国は荒れ果て、貴族であっても楽器の名すら知らないはずだ。あの国の王族は腐り切り、貴族を含めた全ての民から金を搾取しているらしい。それを嫌がり、この国に逃げ込んできた者もいるがそういった者はかなり運が良かった者だけだ。ほとんどの者は逃げ出すことすら出来ず、あの国で餓えて死ぬらしい。
 だから、少女は南の出身ではないだろう。ただ、その特徴とされる髪を持っているだけだ。
「……じゃあ、ヴィオラ、君は誰だ?」
「今はヴィオラ。昨日はヴィオラじゃなくてリリシアだったわ。その前はアイリス、そのもう一つ前はティアナ。私に名前なんてないの」
「…………そんな人間がどうやって城に入った」
 声が硬くなる。彼女の身分は分からない、けれど城に入ることを許される身分ではないことだけは分かる。名前がない存在など、この国では限られている。
「どうだって良いじゃない。私は今ここに居て、貴方はヴィオラという女の話を聞く。それで良いじゃない。それとも、貴方の大好きな兄様と姉様が居なくなった理由、永遠に知らないままの方が良いの?」
 少女の声が問う。優しげな笑顔。その裏に隠されているのは、優しさではない。それを感じ取りながらも、王子は彼女に声をぶつける。
「真実を知っているなら語れば良い」
 笑みが広がる。少女の顔一面に笑みが広がった。その様を見て、彼は息を呑む。
 彼女は、城に入れる身分ではない。貴族でも、軍人でもない。彼女は、兄が何よりも嫌っていた職業に就いている女だ。
 その女が、ゆるりと語る。彼が知らない、消えた王女と王子の話を。



 二人が消えた原因、それは王女の感情。王女が抱いた、道を外れた想い。
 それを語る為に、時は戻る。


 風が吹いた。その風に長い髪を流され、彼女は目を瞑った。金の髪が目に入る寸前、その髪を男の手が掬う。
「今日は、風が強いな」
「ええ、いつもよりも。兄様、剣の稽古では?」
「もう終わった。リオンはまだだがな」
 言葉通り、弟の姿はない。剣が苦手だと泣き言を言っていた弟だ、剣術の才に秀でた兄と違って稽古の時間も掛かるだろう。
 男の手にある剣を彼女は見つめる。彼女が一度も握ったことのない、鉄の塊。
「マリー?」
「兄様、剣ってやっぱり重いものなの?」
 彼女の言葉に男は軽く目を瞠る。そうだな、と呟いた声が妙に響いた。
「これはまだ軽いほうだな。だが、マリーやリオンには重い。持ってみるか?」
「良いの?」
「あぁ、落とすなよ」
 兄から剣を受け取る。今まで一度も触ったことのない鉄の塊は重く、彼女は息を呑む。
 兄は、こんな物を振るっている。兄だけではない。あの小さな弟ですら、これを扱うことを強要される。女であることを理由に国政から遠ざけられる彼女と違って、二人は国の為に働く。
 剣を返す。彼女が重いと感じたそれを、兄は重さなどないように扱い、「重かっただろう?」と問うた。
「ええ、でも、これよりも重いものを、兄様は使うの?」
「必要があれば。今のところはこれで足りる」
「そう」
 重い剣を扱う為に、彼は身体を鍛えたのだろう。そう考え、彼女は逆なのかもしれないと感じた。鍛えて、その結果重い剣を振るうのだ。鍛えない内は軽い剣のみを扱い、少しずつ鍛えて重い剣を振るう。そのほうが正しいのかもしれない。けれど、彼女に剣の知識はない。武術の知識もない。どちらが先にあるべきなのか、判断出来ない。
「兄様、今日の予定は?」
 問うと、穏やかな緑の瞳が和らぐ。今日は珍しく予定がないと告げて、彼は彼女の髪を撫でた。
「後で、中庭でお茶でも飲もう。リオンも誘って」
 穏やかな声。兄弟三人で午後のお茶を楽しもうという彼の提案。それに頷きたくない気持ちを堪え、彼女は笑みを浮かべる。
「ええ、そうしましょう。私、リリーにお茶菓子の用意を頼んでくるわ。兄様はリオンを呼んできてください」
 了承の声を聞き、彼女は歩く。侍女を捜しながら、口元を押さえる。
 兄弟三人でお茶など飲みたくない。その場に、弟が居る必要はない。二人きりでお茶を飲むほうが良いに決まっている。けれどそれは、彼の意に背く。だから彼女は彼の提案を受け入れ、自身の気持ちを押し隠す。
 あの穏やかな人を。兄である人を。次代の王である人を、独り占めしたい。誰も触れないように、誰にも見えないように、誰かが来ることなどない空間に彼と共に閉じ篭りたい。
 だが、それは叶わない。彼女はいずれこの城を去る。けれど、兄であり、王となるあの人は死ぬまでこの城に留まり続け、そしてここで消える。
 そういう運命だと決まっている。ならば。
 足を止める。目を閉じる。息を吐く。
 泣きたくなる気持ちを押さえ込みながら、彼女は顔を上げる。
 ここから、消えてしまおう。この牢獄から。


Copyright (C) 2010 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system