十四回目の春、あなたとわたし




 いつかは逢えなくなる、何度も何度も繰り返し聞かされた言葉は、その日が来たときに傷付かずにすむようにと誰かの祈りが込められていた。
 そして、繰り返し繰り返し、何度も教えられることでわたしも彼もいつかの別れを当然だと思うようになった。


 少しずつ柔らかくなった丸い空気の中、わたしは室内から庭を眺める。冬の間は白く染まっていた庭も、暖かくなったことで春らしくほのかに色付いた花が増えたことは嬉しく思うはずのことだ。けれど、わたしはこの春が何回目の春なのか数えて、そっと溜息を押し殺した。

 十五回目の春が来れば、わたしはこの屋敷を去る。そして今年の春は、十四回目。お父様に告げられた『十五回』は前後する可能性があると理解したのは、六度目に訪れた春だったような気がする。その日から、あと何度この部屋から庭を眺められるか指折り数え、そっとすべてを諦める。それが、わたしの春。

「姫様、清春さまがいらっしゃってます」
 そっと囁かれて、珍しいと感じながら女房に向かって「お通しして」と返すと他の者が静かに動き、彼と会うために部屋を整えていく。あることが当然となった御簾越しの景色は、ぼやけている。わたしの視界を遮る几帳は、同じように彼からもわたしの姿を遮ってしまう。直接言葉を交わすことだって、もう何年もしていない。
「姫様」
 小さな声に室内へ振り向くと、『お目付役』として長い女がわたしの隣へ動きながら「もう少しで来られると思います」と彼の行動を告げる。この時間に来るのなら、おそらくお父様に何かお話があったのかな。そう考えて、もう一度前へ向く。御簾と、その奥の几帳、二重の壁で姿を隠すことを当然としなければならなくなったわたしのことを、彼がどう思っているのか知りたいような、知りたくないような、どちらともいえない気持ち。
 軽い足音が少しずつ近づく。会うことが不安なのか、楽しみなのか、それすらもわたしにはわからない。
 春が来るたびになにかを諦めることを当然としていれば、ふと気付いたときには自分が何かを望むべきではないと思うようになっていて、いつの日からわたしは自分の希望を口にすることが減った。
 その変化を目の前の彼が悲しんでいることを知りながらも、わたしは己の望みを言葉にすることが出来ない。
「姫、お久しぶりです」
 いつものように告げられる彼の言葉は、柔らかい。わたしの周りの女房たちも、いつも通りわたしたちの会話を見守る。何年も変わらない、この光景。
「……みんな、下がっていてちょうだい」
 ぽそりと呟いた言葉が、彼にまで聞こえたのかは分からない。けれど、ざわめいた女房たちの気配は伝わってしまったかもしれない。姫様、と微かに声をあげる『お目付役』は、わたしの小さな反逆に驚きを隠せていない。
 その女に向かって、わたしは微笑む。
「なにもないわ、だって今年は、『十四回目の春』だもの」
 お父さまに教えられた期限までは、あと一年しかない。そんな年に、わたしも彼も別れるための準備が出来ていないとは思われたくない。
 わたしの言葉を受けて、女たちが下がる。静かに彼女たちがいなくなる音が彼に届いてるのかどうかは分からない。姫、と空気を揺らす彼の声。
「女房たちに、退室を……?」
 成人の儀を迎えてから、彼と直接話すことはなくなった。常に、御簾と几帳、女房に遮られていた。お互い成人したのだから、と押し殺していた、心。
「全員、退室させました。いまこの場にいるのは、わたしと清春さま、あなただけです」
 女房たちがいるときは、小声で、扇子越しに伝えていた声を、直接彼に届ける。十四回目の春は、わたしと彼にとっていままでと違う春になる。

「どうして、女房たちをここから退出させたんですか」
 硬い声に、そっと笑みを深める。諦めだけで構成される、わたしの世界。
「だって、十四回目の春ですもの。あなたが今日ここに訪れたのも、同じでしょう? わたしはこの冬に、ここを去る。違いますか?」
 問いかけて、きっとそうだろうと予測する。お父さまがわたしを嫁がせたいと考えてる方の情報を、彼が知っているのはどうかはわからない。けれど、その相手が彼でないことだけは、確かだ。言葉に詰まる彼の気配に、わたしは何度も繰り返した諦めを飲み込む。
「ねぇ、清春さま……わたし、あなたに文を送ろうと思っているの。もし許されるなら、受け取ってくださる?」
 断られるほうが多いとは、口にしてすぐに感じた。断られてもいいと、半ば諦めながら告げたわたしの希望。
「……、いつでも、送ってください。遅くなっても、必ず、返します」
 苦い、彼の声。その苦さは、幼い頃にはなかったものだ。わたしも彼も、何かを諦めながら生きていくしかないのかもしれない。
 十四回目の春、わたしはこうして彼に別れを告げた。


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