失われた祈り




 きっと、霧生奏という男は最初から最後まで変わらない。
 

 そう思いながら、私は溜息を吐いた。
 目の前には、奏。後ろには莉世。莉世の隣にいる契は黙り込んでいるから時々存在を忘れる。そんなことを考えながら、奏に声を掛ける。
「奏、それ何?」
「僕に言われても困るんだけど、さっき外で拾ったんだよ。何だろうね、これ」
 奏が摘み上げたそれは黒い塊だ。良く見れば、黒猫に近い。けれど、それにしてはいささかおかしいような気もする。
「それ、なんか大きくない? 子猫とか、そういうのにしては」
「まぁ、そうだよね。ほんと、何だろこれ」
 そう言いながら、黒い塊を見ていると不意に莉世が手を伸ばした。奏ではなく、彼の持つ黒い塊に向かって。
「莉世?」
 声を掛けると、涙目になった莉世が消え入りそうな声で「はなしてあげて」と告げた。そして、奏の手から黒い塊を奪おうとする。
 妹にしては珍しい行動だ。どういうこと? そう思いながら、契に声を掛ける。
「契、どういうこと?」
「それ、莉世の。亜梨紗だって知ってるんじゃないの? 『獣』」
「……『獣』って、莉世の安全弁? え、嘘、こんなちっちゃいのが?」
 奏が摘み上げている獣を見る。子猫に近い、小さな生物。こんな物が結城莉世の能力の一部を受け取り、安全弁の役目を果たすとは思えない。
「嘘じゃないよ」
「契が嘘言う理由なんてないでしょうけど……それでもちょっと信じられない」
 細い指が黒い獣に触れる。けれど、奏から取り返すには不十分だ。背伸びをしながら奏から獣を取り戻そうとする莉世を見つめ、もう一度呟く。
「どういう生き物なの?」
「さぁ? もう変質してるから」
 契の言葉に眉を寄せる。変質、その響きを口の中で転がす。
「どういうこと? 変質してるって」
「莉世の能力って、異物だから。適応した時点で変質してる」
「あぁ、そういうこと」
 結城莉世の、吸血鬼の能力は本来異物だ。それを取り込めば、その時点で以前の状態とは全てが変わっている。そういうことを、契は変質してると言ったのだろう。
「じゃあ、元は何なのよ」
「変質したから知っても意味ない」
「……あ、そう」
 莉世の手が獣を掴む。そっと抱きしめ、ホッとした顔をしたあとすぐに奏を睨む。
「かなた、ひどい」
「酷くないよ。返して欲しかったらそういえば良いでしょうが」
「いった」
「言ってないよ。放してあげては『返して』じゃない。そんなので他人に通じるわけないでしょうが」
「つうじる」
「それは相手が契だからでしょうが。僕と契が一緒だと思ったら大間違いだよ」
 そんな言い合いを聞いて、溜息を吐く。
「仲悪いわね」
 仲良くしろとは言わない。けれど、せめてもう少し手加減しろと言いたい。
「奏、莉世と喧嘩するならさっさと帰って」
「いつ僕と莉世が喧嘩したのさ。普通だよ」
 あっさりと、奏は言う。だから私は溜息を吐く。
 確かに、喧嘩と言うほど強くはない。もっと弱い何かなのだ。けれど、それを『喧嘩』と言いたい。
「まぁ、良いけど。あんまり莉世を虐めないで」
「虐めてもないよ。というか、安全弁ってどういうこと?」
「あれ、その話聞こえてたの?」
 莉世を見る。獣を抱きしめ、小声で話しかけている彼女は奏に対して興味をなくしている。契にしても、話す気はないのか莉世を見ている。いつも通りのその光景を見ながら、私は奏に説明する。
「そのままよ。あのこ、強すぎるから。制御出来なくて暴走させるぐらいなら始めからあのこじゃなくて他のが能力を使えば良いって考えなの」
「手抜きだね、その説明」
「分かれば良いでしょ、分かれば。あのこにとって獣は従、獣にとってあのこは主、そういうこと」
「まぁ、分かったけど。じゃあ、あれって莉世の所有物ってこと?」
「そういうことだけど……もうちょっと良い言い方しなさいよ」
「面倒」
 ばっさりと切り捨てる辺りが奏らしい。良くも悪くも、奏は莉世に興味がないのだ。
「契だけじゃないわね、奏が仲良く出来ないの」
「仲良くしたくないからね。絶対に合わないだろうし」
「私も莉世と話す奏って気持ち悪いなぁって思うけど、喧嘩売るのは止めたら?」
「売ってないって。買ってもないけど」
「そう」
 蒼い瞳を見上げる。澄んだその色を見ながら、小さく呟く。
「そのうち、独りになっちゃうんじゃないの」
「別に良いよ、耐えれるから」
「耐えないでよ」
「潰れて欲しいの?」
 優しすぎる微笑みを見ながら、考える。私は独りに耐えれる奏は嫌だ。でも、潰れて欲しいとは思えない。
「そういうのじゃないけど」
 独りになった奏に、どう思って欲しいのだろうと考える。
 耐えるのは許せない。けれど、潰れて欲しいとは思わない。きっと私は。
「奏が独りで死ぬのは嫌なのよ」
「そう言われてもね……。多分、独りで死ぬことはないと思うよ? 亜梨紗がいるし」
 蒼の瞳を、もう一度見る。澄んだ色、海のような色を見ながら、苦笑を浮かべる。
「そうね、私がいたら独りで死ぬことはないでしょうね」

 私がいたら、奏が独りで死ぬことはない。
 でも、いなければきっと独りで死ぬのだ。
 だって、霧生奏の中心にいて、核になっているのは。
 結城亜梨紗という存在、『私』なのだから。

「だから、独りに耐えれるなんて許せないわね」
「割と自分勝手だよね、亜梨紗って」
「当たり前でしょう。私、静かな兄とぽわぽわした妹に挟まれてるのよ? 自分勝手にならないと生きてけないわ」
「どういう理論、それ」
「さぁ?」

 核が私なら、きっと私は死んではいけない。
 でも、莉世の道を開くためなら、私は死んでも良い。
 だからきっと、奏は独りになる。
 独りになっても、霧生奏は変わらない。
 最初から最後まで、霧生奏であり続けるはず。
 それを、私は望む。  


Copyright (C) 2010 last evening All Rights Reserved.

inserted by FC2 system